息をするように本を読む

初めて読んだ本も、読み返した本も、
ジャンルも著者もおかまいなしの私的読書記録
と、なんだかだらだら日常のことなども

ソックリさん

2014-02-28 10:05:49 | 著者名 や行
吉村達也 著

“ソックリさん”はいわゆる「そっくりさん」とは発音が違う。
「こっくりさん」と同じ“ソ”にアクセントがある。

携帯電話ゲームで巨万の富を築いた丹波勇樹は、一年間だけ在籍し、
火災で廃校になった高校のクラスメート20人のうちすでに11人が
死亡しているという事実を知り驚く。

死者は「+-#♭」というダイイングメッセージを残していた。
生き残りの9人を集めて何とか死を回避しようと考える勇樹だが、
舞台のホテルではさらなる陰惨な死が繰り広げられた。

そこにあるのは携帯電話。密室であろうと遠距離であろうと、
どこにでも殺意は入り込む。

と、このあたりまではなかなかスピーディな展開で面白かったの
であるが、最後は失速。
暗号も途中から見えてきたし、展開も予想できた。
それなのにスッキリしない終わり方。
ちょっと残念だったなあ。

ポプラの秋

2014-02-26 10:30:54 | 著者名 や行
湯本香樹美 著

ドラマ化されていたらしい。もちろん知らない。

7歳の千秋の父は突然亡くなった。
茫然自失の母は父の死を否定するかのように千秋を連れて街をさまよい、
そこで見つけたポプラ荘に住みついた。

必死で働く母と、父の死を受け入れがたく揺れる千秋。
心のバランスは少しずつ崩れ、千秋は学校に行けなくなった。

大家のおばあさんは千秋を預かると申し出る。
毎日こわいおばあさんの家で過ごす時間。
おばあさんは千秋に、自分はあの世への手紙の配達人だと告げ、
千秋が父に書いた手紙を預かってくれるといった。
幼い文章で綴る手紙は、千秋の心を癒し、おだやかさを取り戻していった。

ポプラの木の下で過ごす四季。
変わり者ながらもあたたかさに満ちた住人たち。
傷つき、疲れ果てながらも、母をかばおうと頑張る小学生。

おばあさんの死によって集まった人々は、それぞれに心の傷があり、
おばあさんに手紙を預けていた。
千秋は大人になり、看護師となり、恋をして傷ついてすべてをやめた。
しかし、おばあさんの死と向き合い、かつての自分の手紙を見たとき、
心の扉が少しだけ開く。
そして母がおばあさんに預けた手紙を読み、父の死の真実を知って、
母との心の距離も少しだけ縮んでいく。

守られた約束と変わらないポプラの樹に、心を包み込まれるような
ぬくもりのある読後感を得た。

日本人の禁忌

2014-02-25 10:00:01 | 著者名 さ行
新谷尚紀 著

してはいけないことにはわかりやすいものとそうでないものがある。
法律で決められていることや、義務教育で当然のように教えられることは
誰にでも理解しやすい。
口伝えで親から子へと教えられ、なんとなく身に着けていくようなことがらは
たまたま知らない者、それでいて知らないと
いわゆる“お里が知れる”という状態になる。

幼い頃から当然とされている禁忌は、しようと思っても気持ちが悪くてできない。
だからこそ知っているものと知らないものの間には溝がある。

古代、平安、中世、江戸、現代の日本と世界の禁忌が紹介され、
なぜそれが禁忌になったかという成り立ちが説明される本書は、私のような
無知な人間にはとてもありがたい。
そこには懐かしいものもあり、知らなかったものもあり、
地域性の強い、つまり他の地域の人にとっては何それ?というものもあって、
楽しかった。

本書でも紹介されているが、正月の禁忌というのは多々ある。
箒を使うこと、料理をすること、喧嘩をすること。
私が住んでいた地域では、その年初めての客は男性でなければならなかった。
玄関を入るとき、父親や息子を押し出すように先頭にしたものだ。
それも関係あるのかないのか、私はお正月が本当に苦手だった。
いま自由に年を越せるようになって、昔のようなことはできない、したくない。
帰省もしないし、お雑煮も自分のオリジナルだし、おせちも好きなものだけ。
これに関しては禁忌をすべて押しのけてる気がする私。
それでも凛とした新年の空気だけは嫌いとはいえないし、けじめと思う。
そんな心地よさや整然としたものへの愛着が禁忌を守り続けてきたのだろうか。

未見坂

2014-02-21 10:48:49 | 著者名 は行
堀江敏幸 著

尾名川、未見坂。
街ごと老いてきたこの地でずっと暮らす人々。
時代の流れが人々の日々を変え、商売の在り方を変えていく。
どこにでもあるちょっと切ない日常なのだが、移動スーパー、ボンネットバス、
鉄塔の列などノスタルジックなモチーフを効かせた物語になっている。
やさしい文章で人々の風景を切り取り、懐かしい光景を描き出す。

移動スーパー懐かしいなあ。
まだ小さい頃なくなってしまったけれど、童謡「どんぐりころころ」を流しながら
やってくる「里移動スーパー」は、運転できないお年寄りや、
近所の店とはちがうおやつを買いたい子どもたちにとって待たれるものだった。
なぜかはっきり思い出すのは「シスコーン」。コーンフレークね。
小箱タイプのチョコとかシュガーの味がついたやつ。
きっとああやっておやつとして食べた世代が、やがて朝食に当たり前に取り入れ、
今みたいに一般化したのに違いない。

と話はそれるのだが。
乾いた道路に照り付ける夏の太陽、とか。吹き抜ける秋風と赤とんぼ、とか。
冷たい木枯らしのなか帰宅してもぐりこむこたつ、とか。
緑が萌えはじめる田んぼの横を自転車でかけぬける、とか。
懐かしくて心地よくていいんだけど、それを柔らかく書く文体もいいんだけど、
なんか好みじゃないのだなあ。
なんでだろう。
共感もあるし、うまいとも思うし。
う~んほかの著書を読んでみるか。

バチカン奇跡調査官 血と薔薇と十字架

2014-02-18 10:37:31 | 著者名 は行
藤木稟 著

シリーズ5冊目らしいが初めて読んだ。
もっとラノベ的な感じかと思ったら意外と読み応えがあってうれしいびっくり。
物語の背景もよく調べられ描き出されていて楽しかった。

ケルトも吸血鬼もモチーフとしては大好物。
それだけにいい加減なものは読みたくないのだが、そこもがっちり押さえてある。
閉じ込められた地域の中での連続事件という意味では、ちょっと『屍鬼』みたいな雰囲気もある。
中世の魅力を残した古い村と城。
かつての領主の変わらぬ保護のもとに暮らす人々は、あらゆることが昔ながらで、
変化を求めない。求めては暮らしていけない。
その閉鎖的空間がいかにも吸血鬼伝説の土壌らしい。

そして舞台である英国のホールデングスは英国国教会の地。
主人公であるバチカンの神父は部外者であり、いわば敵なのだ。
それが冷静な視点を生み、一歩引いた関わり方から真相に迫るという形になっている。

吸血鬼はいたし、いる。しかしそこにある不思議な出来事には理由がある。
そんな謎解きも説得力がある。

しかし、何しろ5巻目。主人公ふたりの関係性も人となりもまったくわからず
読んでいくのはつらい。
これはまずい。というわけでほかも読んでみることにする。