引き下げてみようかな。
ここは単なる読書記録じゃなくて、自分の心をちょっとずつほぐして取り出して、そして見つめなおす、
そんなところだったような気がしたから。
本は読んでいるし、いっぱい書きたいんだけど、それがしんどくて取り掛かれないこともあった。
なら、関係ないことを書いてみる日があってもいいか。
心の整理のために。
まあ、誰もみてないだろうし、うん。
このごろ何に対して頑張っているのか、ちょっとごちゃごちゃになってきている気がする。
もともと仕事をしていたのは、もちろん生活のためだ。
途中で書く仕事は本当に好きだ、と思ったこともあったけれど、周辺の作業がとことん向いてなくて、
精神的にも経済的にも追い詰められてしまった。
働き方を変えたのは、収入が不安定になったから。
あの頃はもう貯蓄も食いつぶして、週末のバイトもうまくいかなくて、とにかくどうしようという状態だった。
いまの会社に入ってみたら、安いけれど安定した収入で先が見えてほっとした。
かけもちでもどうにかやれて、本当に助かったけれど、やっぱり両立は厳しくて体も壊したし、
かといって収入があてにならないもとの仕事一本に戻すのは怖かった。
結果、いまの会社にだらだらと残ることになった。
異動は現場の閉鎖に伴うやむを得ない処置。
会社との交渉に翻弄されてしまったのは、異動で条件があまりに悪化したから。
それでもいまの仕事を続けているのは、まずまずの働きやすさと定収入と保険。
で、現状を分析すると、
収入的には以前よりもいい。税金はどんどん上がるし手取りは減っていくけれども、
働き方を変えたあの時期よりもずっといい。
健康状態はあまりいいとはいえないけれど、追い詰められているほどでもない。
ぼちぼちなら何とか何年かもちそう、ということは、いまより労働条件がよくなれば、
どうにかいけそうってこと。出勤回数は少ないし。
もっと減らしてもいいんだよね。保険条件は満たせるし。
どうしてお金がかかったのかというと、子どものことが一番だった。
でももう手が離れてるし、新生活を始めようとしている。これが終われば自分だけのことを考えていいのではないか。
あとは姪のこと。大学に入ればそんなに必要とされないだろうし、成人式とか、結婚とか、苦手分野で申し訳ないけど、
できるお手伝いをすればいいのではないか。
妹を亡くしたとき、その悲しみとともに、あたりまえだけど出費もいろいろあって、情けないくらいの額なのに
負担が大きかった。病気や死に伴う出費は本当につらいし、自分の時は絶対してほしくないと思った。
手厚い介護、医療なんて自分には過ぎた贅沢だと思っている。
よくて孤独死、許されるなら積極的安楽死。ちなみに孤独死とかは全然かまわないです、ぼっち大好きなんで。
親のこと、自分の老後のことについては絶望しかないけれど、だからといって今体を酷使して勤務日数を増やしても
そこは誤差の範囲だろうなあ。
となると、もっとのんきになってもいいのかなあ、と初めて思えてきた。
これまで、いつもできる限り、精一杯、が目標で、そうするしかなかったんだけど、
実はこれって本当につらいことなのよね。ちょっとでも楽になると、これではだめだと思ってしまう。
世の中もっと人生を楽しんでいる人はいるのよね。いつも見えない先の暗い闇ばかりを想像しておびえてもだめだ。
先々を考えて、っていっても所詮はワーキングプア。この25年というもの、贅沢など何もせず、ブランドものなど
何ひとつ持たず昼も夜も働いたけれど、形にのこるものもお金も家もなにもない。
たったひとつ、我が家の財産といえるものは娘だけだ。
でも彼女に対してだけは、力の及ぶ限りの教育と、好きなことをさせたと思う。
もちろん、世間の目からはしょぼいものだろうが、我が家の経済力、本人の才能や力量を考えると最高の結果だと思っている。
そしてそのうえで彼女が選んできた夫(候補)も素晴らしい人だ。
考えてみれば、子どもでは全然苦労してないなあ。
あれ、これってかなり最高の幸せかも。
夫との関係は一言ではいえない状況だけど、彼は私といつも一緒にいるよりは、こうすることを選んでいるのだろう。
夫と娘の関係をうまく取り持てなかったことだけは後悔が残るけれど、努力はしたのだし、悪く言ったことはないのだから
仕方がない。
これが普通の夫婦だとも、よい状況だとも思わないけれど、ましてや未来など何も見えてこないけれど、
見せつけられて辛いものは、いやというほど見せられてきたのだから、もうほうっておいてもいいのかもしれない。
彼は裏切りを続けてきたのも事実だが、私のためにいろいろなことをしてくれたことも事実だし。
生活の基礎を支えてくれているのも事実。
もう目をつぶるしかない。
どうすれば心を軽くすることができるのか、なかなかうまくいかないけれど、いまの私の考え方は
いわゆる「引き寄せの法則」の真逆な感じになっている。
誰しもいろいろなものを抱えて、それでも明るく生きているのなら、私ももう少し前向きになれないだろうか。
ぼっちなのも、引きこもり気味なのも全然かまわないけれど、見えない未来を悲しむことはしたくないよね。
同じぼーっと過ごすのでも、いい天気だなあとのんびり過ごしたい。
ホームレスになって死ぬのでも、自由っていいなあって思っていたい。
こんな風に考えるようになった、しかも言葉にできるようになっただけでも進歩なのかもしれないと思いたい。
ここは単なる読書記録じゃなくて、自分の心をちょっとずつほぐして取り出して、そして見つめなおす、
そんなところだったような気がしたから。
本は読んでいるし、いっぱい書きたいんだけど、それがしんどくて取り掛かれないこともあった。
なら、関係ないことを書いてみる日があってもいいか。
心の整理のために。
まあ、誰もみてないだろうし、うん。
このごろ何に対して頑張っているのか、ちょっとごちゃごちゃになってきている気がする。
もともと仕事をしていたのは、もちろん生活のためだ。
途中で書く仕事は本当に好きだ、と思ったこともあったけれど、周辺の作業がとことん向いてなくて、
精神的にも経済的にも追い詰められてしまった。
働き方を変えたのは、収入が不安定になったから。
あの頃はもう貯蓄も食いつぶして、週末のバイトもうまくいかなくて、とにかくどうしようという状態だった。
いまの会社に入ってみたら、安いけれど安定した収入で先が見えてほっとした。
かけもちでもどうにかやれて、本当に助かったけれど、やっぱり両立は厳しくて体も壊したし、
かといって収入があてにならないもとの仕事一本に戻すのは怖かった。
結果、いまの会社にだらだらと残ることになった。
異動は現場の閉鎖に伴うやむを得ない処置。
会社との交渉に翻弄されてしまったのは、異動で条件があまりに悪化したから。
それでもいまの仕事を続けているのは、まずまずの働きやすさと定収入と保険。
で、現状を分析すると、
収入的には以前よりもいい。税金はどんどん上がるし手取りは減っていくけれども、
働き方を変えたあの時期よりもずっといい。
健康状態はあまりいいとはいえないけれど、追い詰められているほどでもない。
ぼちぼちなら何とか何年かもちそう、ということは、いまより労働条件がよくなれば、
どうにかいけそうってこと。出勤回数は少ないし。
もっと減らしてもいいんだよね。保険条件は満たせるし。
どうしてお金がかかったのかというと、子どものことが一番だった。
でももう手が離れてるし、新生活を始めようとしている。これが終われば自分だけのことを考えていいのではないか。
あとは姪のこと。大学に入ればそんなに必要とされないだろうし、成人式とか、結婚とか、苦手分野で申し訳ないけど、
できるお手伝いをすればいいのではないか。
妹を亡くしたとき、その悲しみとともに、あたりまえだけど出費もいろいろあって、情けないくらいの額なのに
負担が大きかった。病気や死に伴う出費は本当につらいし、自分の時は絶対してほしくないと思った。
手厚い介護、医療なんて自分には過ぎた贅沢だと思っている。
よくて孤独死、許されるなら積極的安楽死。ちなみに孤独死とかは全然かまわないです、ぼっち大好きなんで。
親のこと、自分の老後のことについては絶望しかないけれど、だからといって今体を酷使して勤務日数を増やしても
そこは誤差の範囲だろうなあ。
となると、もっとのんきになってもいいのかなあ、と初めて思えてきた。
これまで、いつもできる限り、精一杯、が目標で、そうするしかなかったんだけど、
実はこれって本当につらいことなのよね。ちょっとでも楽になると、これではだめだと思ってしまう。
世の中もっと人生を楽しんでいる人はいるのよね。いつも見えない先の暗い闇ばかりを想像しておびえてもだめだ。
先々を考えて、っていっても所詮はワーキングプア。この25年というもの、贅沢など何もせず、ブランドものなど
何ひとつ持たず昼も夜も働いたけれど、形にのこるものもお金も家もなにもない。
たったひとつ、我が家の財産といえるものは娘だけだ。
でも彼女に対してだけは、力の及ぶ限りの教育と、好きなことをさせたと思う。
もちろん、世間の目からはしょぼいものだろうが、我が家の経済力、本人の才能や力量を考えると最高の結果だと思っている。
そしてそのうえで彼女が選んできた夫(候補)も素晴らしい人だ。
考えてみれば、子どもでは全然苦労してないなあ。
あれ、これってかなり最高の幸せかも。
夫との関係は一言ではいえない状況だけど、彼は私といつも一緒にいるよりは、こうすることを選んでいるのだろう。
夫と娘の関係をうまく取り持てなかったことだけは後悔が残るけれど、努力はしたのだし、悪く言ったことはないのだから
仕方がない。
これが普通の夫婦だとも、よい状況だとも思わないけれど、ましてや未来など何も見えてこないけれど、
見せつけられて辛いものは、いやというほど見せられてきたのだから、もうほうっておいてもいいのかもしれない。
彼は裏切りを続けてきたのも事実だが、私のためにいろいろなことをしてくれたことも事実だし。
生活の基礎を支えてくれているのも事実。
もう目をつぶるしかない。
どうすれば心を軽くすることができるのか、なかなかうまくいかないけれど、いまの私の考え方は
いわゆる「引き寄せの法則」の真逆な感じになっている。
誰しもいろいろなものを抱えて、それでも明るく生きているのなら、私ももう少し前向きになれないだろうか。
ぼっちなのも、引きこもり気味なのも全然かまわないけれど、見えない未来を悲しむことはしたくないよね。
同じぼーっと過ごすのでも、いい天気だなあとのんびり過ごしたい。
ホームレスになって死ぬのでも、自由っていいなあって思っていたい。
こんな風に考えるようになった、しかも言葉にできるようになっただけでも進歩なのかもしれないと思いたい。
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