息をするように本を読む

初めて読んだ本も、読み返した本も、
ジャンルも著者もおかまいなしの私的読書記録
と、なんだかだらだら日常のことなども

クチュール仕立ての刺繍バッグ

2014-11-16 10:41:24 | 著者名 ら行
Lemmikko (レンミッコ)

ため息がでるほど繊細でゴージャス。
素晴らしい手仕事の集大成ともいうべきバッグは見るだけでもうっとりする。
その技法を丁寧に細かく解説してあるという、出会えてよかった一冊。

磨きぬかれたセンスと高い技術が前提なのだが、じゃあ手が届かないもの
ばかりなのかというとそうでもないのだ。
ごく普通の手芸店でも手に入る材料であったり、懐かしのリリアン編みであったり、
こんな使い方もあるんだ!
こんなふうにつくるんだ!
とにかく目からうろこがどんどん落ちる。
デザイナーは何を見る時も、常にアンテナを張り巡らせているんだろうなあ。

実際やってみたら、こんなにはできないんだろう。
その辺にある材料といっても、あれこれそろえるうちに高価になって
きっと買うほうがはるかに安いってことになるんだろう。
でも、でも、絶対作ってみたい!

まずはこれ借りた本なので、自分用に買うことにする。
そしていつも身近に置いておこう。

蝶々夫人

2013-09-15 10:22:28 | 著者名 ら行
ジョン・ルーサー・ロング 著

言わずと知れたプッチーニのオペラの原作である。
長崎の街を舞台にした作品なので、幼い頃から
親しみのある名前であった。
アリア「ある晴れた日に」は覚えやすく美しい旋律で有名だ。

蝶々さんはオペラでは父が自害し、母は生きている芸者ということになっているが、
原作では母もおらず、祖母に育てられた女性で、踊りも三味線もできるが、
芸者という表記はない。

相手となるB.F.ピンカートン中尉は、陽気なアメリカ海軍士官であるが、
日本のことは馬鹿にしており、蝶々さんの親戚の出入りを嫌がっている。
まあ、今でも長崎は親戚づきあいが濃厚だし、特殊な文化が生き残る
狭い土地でもあるので、彼がどんなに息苦しかったかは理解できる。

ふたりは結婚し、蝶々さんは幸せであった。
しかし、実はピンカートンには本国で結婚した妻があり、蝶々さんは
旅先での妾にすぎなかった。そして二人の結婚を仲介したものたちも
女衒に過ぎなかったのだ。
ピンカートンを驚かそうと「蝶々はヤマドリと結婚した」と書いた手紙は
彼をむしろ安心させた。旦那が変わっただけと受け止められたからだ。
そして蝶々さんが知らないままに二人の間にできた息子は
正妻に引き取られることが決まっていた。

間もなくピンカートンが長崎に入港する。
待ち焦がれた蝶々さんは港を見つめて待つ。

裏切りを知った彼女は自ら自害しようとする。
オペラでは自害することになっているのだが、原作では違う。
子どもの泣く声に自分を取り戻し、生き長らえようとする姿が描かれる。
しかし結末は語られない。

ただ遊ばれただけの哀しい女性の話ととるか。
恋愛などできない時代に、つかの間でも真実の愛のもと暮らした女性ととるか。
ピンカートンの人物像によって大きく変わる印象だ。
小説よりもオペラのほうが、より割り切った期間限定の関係を望む男、という
感じがするが、それでも蝶々さんを本当に愛した時期はあったのだと思いたい。
ラシャメン(当時の外国人相手の妾)は相当数いたはずだし、それどころか
海外へ売られていったからゆきさんもいたのだから。
日本や日本人相手ではかなわなかった幸せを、ほんの少しでも彼女たちが
感じたならば、わずかでも豊かに暮らせたらならばいいと思う。

スカーレット

2013-05-30 10:52:07 | 著者名 ら行
アレクサンドラ・リプリー 著

マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』の続編として書かれた。
日本では作家の森瑤子が翻訳を熱望し、話題となった。

『風と共に去りぬ』は未来へ可能性と不安を感じさせて終わる。
スカーレットとレット・バトラーのその後は、読者にとって大変気になることだ。
しかし、著者であるマーガレット・ミッチェルはこれを完結した物語とし、
決して続編を書こうとしないままこの世を去った。

2011年著作権切れを前に、相続人たちは続編を企画した。
これは、望まない形で勝手に続編が書かれることを予防するためでもあり、
『風と共に去りぬ』を愛する人々を失望させないためでもあった。

リプリーが選ばれた理由に、彼女がレット・バトラーと同じチャールストン出身と
いうことも含まれていたという。

本書はひたすらにスカーレットとレットのすれ違いの物語だ。
これほどお互いを求めているのに、あらゆるものがかみあわず、心を閉ざすばかり。
ヨットの事故で心が通ったかに思えたのに、それは思いもかけない妊娠をもたらし、
レットはそれを知らないままに去ってしまう。

そしてスカーレットの成長の物語でもある。
すべてを捧げ尽くしてくれた黒人女性マミーの死。
舞台はアイルランドへと移り、そのパワフルさで成功したスカーレットは、
尊敬を勝ち取り、「ザ・オハラ」と呼ばれるようになる。

大西洋をはさみ繰り広げられる物語は実にドラマティック。
やっぱり『風と共に去りぬ』が好きだけれど、あれだけの作品の重さに負けず
これだけ評価されたというだけのことはある。

にんじん

2013-01-17 10:46:23 | 著者名 ら行
ジュール・ルナール 著

作者自身の幼少期の体験がもとになっている。らしい。
救いがないというか、子ども時代が黄金色に輝いている人でないと
読むのがつらいかもしれない。

赤毛でそばかすだらけ、家族から“にんじん”と呼ばれるフランソワ・ルピック。
彼は決して愛されているとはいえず、絶え間なく雑事を言いつけられ、
父の冷淡さと母の理不尽な怒りの中で暮らしている。

実は父はにんじんに対して愛情をもっている。しかし不器用で表現できない。
母は思わぬ妊娠であったにんじんについて複雑な感情をもっており、
夫に対しても素直になれない。にんじんの兄と姉に愛情を注ぎ、夫への不満を
にんじんにぶつけることで精神の均衡を保っている。
一家の中でスケープゴートをつくるころによってなんとか家族を保っているのだ。

子どもって親の理不尽についてなすすべがないんだよねえ。
まだにんじんの両親はある程度自覚があるだけましなのかも。
一方的な力関係はモラハラとか、いじめとかの構造にも通じるものがある。

にんじんはちょっとひねた子どもだ。
無邪気で天真爛漫な子どもに比べるとちょっと育てにくく、扱いにくいと思う。
小動物への残虐な行為という恐ろしさを秘めた行動もある。
しかし、それはこの扱いに起因すると思うし、悪循環でもある。

しかしにんじんは賢い子どもだ。解決策を提示することができない父に対し、
絶望しながらも、20歳まで辛抱しろという言葉だけを大切に受け止める。
そして、自立への道を進み始める。

力があったからよかった、と言える。
これができない子どもが大勢いるだろうから。
振り切るのは逃げ出すのは悪いことではない。どうしてもできないことはある。



あのころはフリードリヒがいた

2012-11-28 10:04:11 | 著者名 ら行
ハンス・ペーター・リヒター 著

第二次大戦下のドイツを舞台に、ごく普通の人々の暮らしや心が変化し、
子どもの運命までも翻弄していく様子を描き出す。
子どもの目線で、同じ年の子どものことを語っているだけに、
その残酷さや逃れられない苦しさ、そして異常事態が日常となっていく
恐怖が迫ってくる。

ドイツ人の少年“ぼく”は、同じアパートで暮らし、1週間違いで生まれた
ユダヤ人・フリードリヒと家族ぐるみで仲良くしている。
“ぼく”の家は貧しく暮らしも楽ではないが、フリードリヒの家は
余裕があった。

しかしときは戦時下。ナチスが勢力を伸ばしつつあり、状況は変わってきた。
“ぼく”の父はナチスの党員となり、よい職に就くことができた。
その一方でユダヤ人に対する迫害が始まり、フリードリヒの家族をとりまく
環境は過酷になっていく。
“ぼく”の父は彼らに国外へ逃げるように警告するが、そこまで危機を
感じないフリードリヒの父は、それをしなかった。

これは運命の分かれ目だった。
逃げられるときに逃げ延びて生き残った人はいたはずだ。
刻々と死の足音が近づき、一般市民がユダヤ人に暴行をはたらくという
これまでなら信じられないことが起こるようになってくる。
フリードリヒの母は心労のため死に、父は逮捕された。

第二次大戦の暗い記憶ホロコースト。
よき市民たちが正義の名のもとに暴行をはたらくというのは恐怖そのものだ。
先日の中国で起こった「愛国無罪」の人々もこんなふうに感情が
高ぶっていったのだろうか。

「アンネの日記」のアンネ・フランクも、父の判断で国外逃亡をとりやめた
ことが悲劇につながったという。昨日までのよき隣人がこれ以上自分たちに
危害を加えると誰が思うだろうか。
友人であったはずの人をかばえなくなる過程は、悲しいけれどよくわかる。
わかってしまう自分がまた嫌になる。
そんな想いを“ぼく”は一生背負うことになってしまった。

静かに人間そのものに着目していることで、争いの虚しさを突きつける物語だ。