藤森節子 著
植民地で生まれる、ということの複雑さを思い知らされた。
まぎれもなく日本人として生まれ、その常識のもとに育てられた著者。
しかしその暮らしを取り巻くものは、まぎれもなく異国であり、
そのうえ、それは戦争とともに失われた地であった。
金融の仕事をする父について暮らした関東州。
小さな町とはいえ、支配階級である日本人は豊かな暮らしをしていた。
子どもたちはみな高い教育を受け、服装も住まいも当時としては
恵まれていたようだ。
子どもであるから国籍など関係なく遊ぶ。
しかし、無意識に口にしていた中国語のからかいの言葉は、
相手を下に見る侮辱の言葉だった。
いたるところに差別はあり、それは彼女の心の傷になっている。
そして敗戦のとき、それはさまざまな形で日本人への敵視となった。
少女の素直な目が見つめた記録は貴重だ。
当時はどんな時代だったのか、そこには誰がいて、どんな暮らしが
あったのか。何を楽しんで、何に苦しんだのか。
外地からの引き揚げ記録は悲惨なものが多いが、著者はまだ比較的
安全に帰れたようだ。もちろん書かれない苦労も多々あったのであろうが。
それでも、兄も姉の夫も戦死、大切にしていた銀行券は紙くずになり、
一家の日本での再出発が大変なものであったことは想像できる。
こんな時代の変化に耐えられるか?と問われたとき、できると答える
人がいるだろうか。
人間は強いけれど、強くなりたくないときもある。
植民地で生まれる、ということの複雑さを思い知らされた。
まぎれもなく日本人として生まれ、その常識のもとに育てられた著者。
しかしその暮らしを取り巻くものは、まぎれもなく異国であり、
そのうえ、それは戦争とともに失われた地であった。
金融の仕事をする父について暮らした関東州。
小さな町とはいえ、支配階級である日本人は豊かな暮らしをしていた。
子どもたちはみな高い教育を受け、服装も住まいも当時としては
恵まれていたようだ。
子どもであるから国籍など関係なく遊ぶ。
しかし、無意識に口にしていた中国語のからかいの言葉は、
相手を下に見る侮辱の言葉だった。
いたるところに差別はあり、それは彼女の心の傷になっている。
そして敗戦のとき、それはさまざまな形で日本人への敵視となった。
少女の素直な目が見つめた記録は貴重だ。
当時はどんな時代だったのか、そこには誰がいて、どんな暮らしが
あったのか。何を楽しんで、何に苦しんだのか。
外地からの引き揚げ記録は悲惨なものが多いが、著者はまだ比較的
安全に帰れたようだ。もちろん書かれない苦労も多々あったのであろうが。
それでも、兄も姉の夫も戦死、大切にしていた銀行券は紙くずになり、
一家の日本での再出発が大変なものであったことは想像できる。
こんな時代の変化に耐えられるか?と問われたとき、できると答える
人がいるだろうか。
人間は強いけれど、強くなりたくないときもある。