息をするように本を読む

初めて読んだ本も、読み返した本も、
ジャンルも著者もおかまいなしの私的読書記録
と、なんだかだらだら日常のことなども

マッチ売りの少女

2012-12-31 10:31:03 | 著者名 あ行
アンデルセン 著

大晦日といえば思い出すこの物語。
今年は特に寒さが厳しくて、より現実感が増す。

貧しい少女が街に出てマッチを売る。
家族で過ごす寒い日、人々は家路を急ぎ、少女には見向きもしない。
売れずに叱られることを考えれば帰ることもできず、少女は立ち尽くし凍える。
寒さに耐え兼ねて灯したマッチの小さな火。
そこに浮かんだのは、暖かいストーブ、テーブルに並ぶごちそう、そして
団欒の部屋を彩るツリー。
少女が憧れていた数々のものに見とれるのも束の間、あっと言う間に火は消えた。
夜空に流れる星。少女はおばあさんから「誰かの命が消える時に流れ星になる」と
教えてもらったことを思い出す。
次に灯した火に浮かんだのはそのおばあさんの姿だった。
懐かしさと喜びにありったけのマッチを灯そうとする少女。
おばあさんは彼女を抱きしめ、安らぎの世界へと連れて行った。
翌日そこにはマッチの燃えかすと小さな少女の遺体が残されていた。

この切ない物語にはさまざまなものが込められている。
恵まれない環境にいる子供たちの姿。児童労働の悲惨さ。
不遇な子供時代を過ごした母に対するアンデルセンの想い。
そしてマッチ売りはもっと残酷なものの比喩であるという説もある。

彼女が夢見た幸せはそんなに難しいものではない。
そして大人はそれを現実のかたちにして与えるべきだと思う。
子どもをもつということにはその程度の責任は伴うのだから。

アンデルセンは哀しい物語も美しく清らかな光景にし、子どもの心に残す。
大人になってものごとを理解してから思い出すとき、その意味の深さに驚愕する。

世界中のひとが幸せでありますように。
新しい年が喜びに満ちていますように。

デイヴィッド・コパフィールド

2012-12-30 10:54:32 | 著者名 た行
ディケンズ 著

不遇な運命を背負った主人公・デイヴィッドが、幸せを掴むまでの物語。
個性的な登場人物と、著者自身の体験にもとづくリアリティあふれるエピソードが
読む者を捉えて離さない。
ディケンズの代表作と言われるのも理解できる。

文庫で5巻。結構長い。もちろんそのぶんこまやかに書き込まれ、どっぷりと世界に
浸ることができる。

生まれた時には既に父は死亡、女の子を期待した大叔母からは失望されるという
状況で誕生したデイヴィッド。母と乳母のあふれる愛情を受け成長したものの、
母がだまされて再婚したことにより運命は暗転する。
学校にも行けず、暴力を受ける生活。
そして母は失意のもと死に、デイヴィッドは酒屋に小僧に出される。

なんとか運命を変えたいとロンドンの大叔母のもとへ身を寄せるデイヴィッド。
学校へ通い、さまざまな人との出会い、別れ、失恋も経験する。

法律や速記を学び、力をつけていくデイヴィッド。女性との出会いや別れもあり、
彼はいっそう人間としての深みを知っていく。

傷心のヨーロッパ旅行の中で、自分自身が本当に惹かれているのは、アグニスであると
悟ったデイヴィッド。大陸で作家として成功をおさめ、ついに彼女を妻とし、幸せを
手にした。

極貧からの成功、さまざまなな回り道を経て、自分にとって大切なもの、価値があるものを
考え、選ぶ力を見につける主人公の姿が、この物語の一番の魅力だろう。
原点に立ち返る、というか、自分自身を冷静に振り返る、というか、
そんな想いを持たせる物語なのだ。
そしてもっとも印象的なのが、ユライア・ヒープ。
もちろん嫌な奴なのだが、クセになるキャラクター。
いまだ悪役の代名詞みたいに使われているのもよくわかる。
名作と言われているのが理解できるなあ。

マラコット深海

2012-12-29 10:53:21 | 著者名 た行
コナン・ドイル 著

深い海というだけでそこには神秘的なイメージや、本能的な恐怖がある。
主人公・マラコット博士は、大西洋のカナリー諸島の西方にある海溝の
探検に挑んだ。
探検のためにさまざまな設備を積んだストラッドフォード号には、特殊な潜降函も
用意され、準備は万端かと思われた。

当初の計画では水深500mほどの海溝のふちにとどまり、そこからさらなる深みを
観察するはずだった。
しかし、巨大なカニのような生物が現れ、母船との命綱を切られてしまう。
潜降函は深海へと沈み、乗組員は死を覚悟する。
冷たい暗闇へと向かう彼らが見たのは、驚異の海底大陸だった。

とにかく大好物です!
学問に裏付けられた実験の失敗から始まる大冒険。
巨大生物と失われたはずの文化。
かと言って人類の姿が変わったわけではない。
透明なヘルメットは水中でも呼吸ができる装置、人々が食べる陸地と変わらないような食事は
海水から食料を合成する技術がもたらしたもの、言葉が通じなくても思念を映像化する装置で
コミュニケーションは万全、水素より軽いレヴィゲン・ガスの活用……。
夢いっぱいでありながら説得力があるのは知識の裏付けがあるから。
これはすごい。

マリンスノーなんて言葉もこの作品で覚えたなあ。

どんなに時代が進んでも、ときめきとか好奇心とか人間が本来もつものは変わらない。
こんな作品を読み返すと、それを実感できる。

地に伏して花咲く

2012-12-28 10:26:51 | 宮尾登美子
宮尾登美子 著

年末年始はなんとなく“お約束”のことをやろうという意識がある。
コンサバに立ち返るというか、伝統に呼ばれるというか、
誰も食べないと言いつつ用意するおせちとか、なんかよくわからないけど
義務感にとらわれてしまう大掃除とか、シフト制でまったく関係ないのに
年末年始の帰省に心騒ぐとか、そんなことだ。

で、宮尾登美子作品は私にとってそんなところがあるような気がするのだ。
季節の変わり目や自分自身の節目につい手にとってしまう一冊。
それも作者のくらしが伝わるエッセイはなおのこと魅力的。

本書はとても古い。1985年発売だ。
だからといって色あせてもいないし、古臭くて違和感があることもない。
もちろんその時その時の描写には時代が感じられるものもあるけれど、
著者が切り取る日々の小さな出来事や人との関わりは、華やかでなくても
思わず引き込まれるようなものばかりだし、その表現も細やかで面白い。

長編を読むときにぐいぐい引き込まれてしまう文章は、エッセイでも
やはり健在だし、ごく普通の暮らしを大切にしている姿に共感を覚えたりもする。
それに育ちの良さを感じる、四季の行事や伝統文化への想いには
思わずいい加減で無知な自分を恥じてしまう。

と、えらそうに書いたものの、年々手抜きは加速するばかり。
もう28日なんだけど、換気扇とベランダの掃除はしたよ(ほかはしてないよ)。
あと冷蔵庫の上も拭いた。なんかここを拭くと掃除した感に浸れるのだ(勘違いだ)。
年賀状も全部出してないし、いったいいつエンジンはかかるのか?
年内に間に合うのか?自分。

太陽の村

2012-12-27 10:01:44 | 著者名 さ行
朱川湊人 著

始まり方がベタでびっくりした。
いや、ありがちというだけで罪があるわけではないのだが、主人公・龍馬が引きこもりの
デブであることを説明するためもあって、長い!
失敗したかなあと思ったほどだ。

しかし実際の物語に突入してからはテンポよく進んだ。
飛行機事故で流れ着いた村は、まるで江戸よりずっと昔の日本。
聞いたこともない地名を使い、年号を名乗る。
そして社会の仕組みにもどこか違和感があるものの、やはり過去の日本に近い。
自分はタイムスリップをしたのだろうかと戸惑う龍馬。
何よりも肥満の巨体には、貧しい暮らしはこたえる。

いきなりネタバレですが、映画の「ヴィレッジ」みたいな構成だ。
そして途中のそこここでちょっとそれが見えてしまう。
うまい効果というよりは、惜しいという感じ。

封建的で圧政下にあるイメージづくりは、何も知らない村人たちを
騙しきるための工夫だったのだろうが、なんか納得いかない。
だってこの村は本来の日本人の心を取り戻す理想を目指したはずだったのだから。
否定のための否定という、どこかの選挙みたいな発想になってないか?

しかし龍馬は最終的にここに残ることを選ぶ。
これは個人的には疑問なのだが、これまでに彼が暮らしてきた環境や
両親と妹を一時に失った失望、浦への恋心などなどが選ばせたということだ。
それはねえ、いくら楽とはいえ引きこもりの暮らしには不安もあっただろうし、
親なき今、一人でやっていくことに自信がないのもあるだろう。
何よりもここには彼を必要とする人がいる。

結局私にとってはすごく面白いというわけにはいかなかった。
でも本書が悪いというわけではない。人によっては心に響くはず。
それに便利な暮らしというものを見直すきっかけにはなった。