木藤潮香 著
ドラマ化もされた『1リットルの涙』の主人公、木藤亜也さんの母の手記。
これは『1リットルの涙』『 ラストレター 「1リットルの涙」亜也の58通の手紙』
と合わせて3部作として読むのが正しい。
というのも、ドラマで話題になった頃、『1リットルの涙』だけを読んで、
いまひとつ流れに乗れない、という声をよく聞いたからだ。
潮香さんの視線からの話があって初めて、亜也さんがどんな状態だったのか、
どんな闘病だったのかが理解できる気がする。
だんだんと動けなくなる病と闘いながら、けなげにいきる娘。
どう支えていくのか、母親のつらさが身に沁みる。
妹が年頃になっても姉に遠慮しておしゃれできずにいるのを、
「お姉さんには、最高のタオルと一万円以上するネグリジェを着せているの。
妹がきれいなのはうれしいはずだからおしゃれをしなさい」
とさとす場面は、女性ならではの切なさを感じる。
また、働くことが不可欠という立場にあって、病気の子を持つ苦しさが
よく伝わってくる。
「辞めればいいじゃない」「辞めるべきだ」
幼児や病人、老人を抱えていると、ごく気軽に言われる言葉だ。
女性だけが。
作家の山崎洋子さんは、自分が生活のすべてを担い、夫の借金まで
背負っているのにもかかわらず、夫が倒れたとき、合言葉のように
この言葉を言われたという。
世間的に地位を確立していてもそうなのだ。
多くを乗り越えた母の強さ、美しさに心を打たれる。
そしてまた、家族の皆さんが幸せであるよう願ってやまない。
余談だが、騒音おばさんとして逮捕された女性は、亜也さんと同じ
脊髄小脳変性症を患う家族を2人も抱えていたという。
そしてトラブルのもとになったのは、その家族の車の乗り降りのため、
路上駐車せざるを得なかったことだとか。
そこにご近所からの宗教がらみの嫌がらせ(病気を治したいなら入信しろ)が
絡み、追い詰められていったらしい。
罪は罪としてほかの要素を切り捨てても、これだけの病の人を2人……と思うと絶句した。
ドラマ化もされた『1リットルの涙』の主人公、木藤亜也さんの母の手記。
これは『1リットルの涙』『 ラストレター 「1リットルの涙」亜也の58通の手紙』
と合わせて3部作として読むのが正しい。
というのも、ドラマで話題になった頃、『1リットルの涙』だけを読んで、
いまひとつ流れに乗れない、という声をよく聞いたからだ。
潮香さんの視線からの話があって初めて、亜也さんがどんな状態だったのか、
どんな闘病だったのかが理解できる気がする。
だんだんと動けなくなる病と闘いながら、けなげにいきる娘。
どう支えていくのか、母親のつらさが身に沁みる。
妹が年頃になっても姉に遠慮しておしゃれできずにいるのを、
「お姉さんには、最高のタオルと一万円以上するネグリジェを着せているの。
妹がきれいなのはうれしいはずだからおしゃれをしなさい」
とさとす場面は、女性ならではの切なさを感じる。
また、働くことが不可欠という立場にあって、病気の子を持つ苦しさが
よく伝わってくる。
「辞めればいいじゃない」「辞めるべきだ」
幼児や病人、老人を抱えていると、ごく気軽に言われる言葉だ。
女性だけが。
作家の山崎洋子さんは、自分が生活のすべてを担い、夫の借金まで
背負っているのにもかかわらず、夫が倒れたとき、合言葉のように
この言葉を言われたという。
世間的に地位を確立していてもそうなのだ。
多くを乗り越えた母の強さ、美しさに心を打たれる。
そしてまた、家族の皆さんが幸せであるよう願ってやまない。
余談だが、騒音おばさんとして逮捕された女性は、亜也さんと同じ
脊髄小脳変性症を患う家族を2人も抱えていたという。
そしてトラブルのもとになったのは、その家族の車の乗り降りのため、
路上駐車せざるを得なかったことだとか。
そこにご近所からの宗教がらみの嫌がらせ(病気を治したいなら入信しろ)が
絡み、追い詰められていったらしい。
罪は罪としてほかの要素を切り捨てても、これだけの病の人を2人……と思うと絶句した。