『悟浄出世』-骨折り損をしない為の巻-
悟浄が女兎(じょ・う)のもとを辞してのち、『悟浄出世』の筆者、中島敦は、この時点での悟浄の心理の方向性を説明してくれています。「教え」の難解さにちょっと疲れている読者への心配りでしょう。
――一つの選択が許される場合、一つの途が永遠の泥濘(でいねい)であり、他の途が険しくはなってもあるいは救われるかれしれぬとすれば、誰しも後の途を選ぶに決まっている。
それだのになぜ躊躇していたのか。そこで、悟浄ははじめて、自分の考え方の中にあった卑しい功利的なものに気づいた。
険しい途を選んで苦しみ抜いた揚げ句に、さて結局救われないとなったら取り返しがつかない損だ、という気持ちが知らず知らずの間に、自分の不決断に作用していたのだ。
骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、武将で愚かで卑しい俺の気持ちだったのだ。
女兎のもとに滞在している間に、悟浄の気持ちもしだいに一つの方向へ追い詰められてきた。
※ ※ ※
筆者は更に悟浄の心理を力強い筆致で説明していきますが、それはまた次回のお楽しみ。なんだか、このあたりのクダリは、かつての、そして現在でも時々私の頭をかすめる気持ちを代弁しているかのようです。
※ ※ ※
長男と一緒に拝むご法事も、多分10回を越えただろう。今日一緒に拝んでいて、「本尊さまは私一人で拝むより、この若き青年僧侶と二人で拝むほうが、喜んでいる」――そんな気がした。
今日の法話の備忘録――M家のご法事「余生なんて言うの、よせぃ」、Y家のご法事「般若心経と“風が吹けば桶屋が儲かる”」、そしてお世話になっているお寺の行事では「信州信濃の早太郎」の一席。
――一つの選択が許される場合、一つの途が永遠の泥濘(でいねい)であり、他の途が険しくはなってもあるいは救われるかれしれぬとすれば、誰しも後の途を選ぶに決まっている。
それだのになぜ躊躇していたのか。そこで、悟浄ははじめて、自分の考え方の中にあった卑しい功利的なものに気づいた。
険しい途を選んで苦しみ抜いた揚げ句に、さて結局救われないとなったら取り返しがつかない損だ、という気持ちが知らず知らずの間に、自分の不決断に作用していたのだ。
骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、武将で愚かで卑しい俺の気持ちだったのだ。
女兎のもとに滞在している間に、悟浄の気持ちもしだいに一つの方向へ追い詰められてきた。
※ ※ ※
筆者は更に悟浄の心理を力強い筆致で説明していきますが、それはまた次回のお楽しみ。なんだか、このあたりのクダリは、かつての、そして現在でも時々私の頭をかすめる気持ちを代弁しているかのようです。
※ ※ ※
長男と一緒に拝むご法事も、多分10回を越えただろう。今日一緒に拝んでいて、「本尊さまは私一人で拝むより、この若き青年僧侶と二人で拝むほうが、喜んでいる」――そんな気がした。
今日の法話の備忘録――M家のご法事「余生なんて言うの、よせぃ」、Y家のご法事「般若心経と“風が吹けば桶屋が儲かる”」、そしてお世話になっているお寺の行事では「信州信濃の早太郎」の一席。
私はアーティストではないので、印刷は心情的に駄目なんです。心込めて(あはは、嘘、嘘。楽しんでです)一枚一枚書かせて、描かせてもらってます。そして、もらってもらっています。
早太郎の話は、文章で書いても、直接しゃべらないとその臨場感がぜんぜん伝わらないので、たぶんブログには書いてません(ミクシーの日記でも書いてないと思います)。落語とか講談の原稿になっちゃうんです。
いつか目の前でお話できることを、祈ってます。
臨場感は、和尚さんを想像して読みましたよ。
悟浄の心情は、精神世界や宗教を学ぶ人が陥りやすいものですね。私は菩薩の心情を忘れないようにと思っています。私も日々悩み何故に囚われていますが、一緒に彼岸に行きましょう。みたいな?
9月に娘に会いに神奈川県に行きます。その時の観光ルートに蜜蔵院さんを入れてもらいましたから、お会いできると嬉しいです。(お不動さまにも)えへへ。
うはは。ぐはは。(笑)の和尚さまを想像して読んでみます。うふふ。
来年9月までには、パワーアップした語りができるように精進したいと思っています。