大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

ドキュメンタリー映画「クラシコ」~淡々と描く手法の中に面白さはある

2011-06-04 23:40:36 | サッカー全般
本日が映画「クラシコ」の上映初日だということで、テアトル梅田へ、サッカー割引を使ってチケットを買って見に行きました。

映画、というかドキュメンタリーの感想という風に言うべきだろう。この映画の題材は地域リーグのライバル2チームにスポットをあてたものでしかない。それは、そこにだけしかないというものではなく、日本全国各地に転がっているような話だろう。サッカーの熱さとか、ダービーの因縁だとかは。確かに松本と長野市の間には何かしら因縁めいたものがあるらしいけども(なんかそれはケンミンショーっぽく思えるんだけども)、それは単なる入り口に過ぎないわけで、そうした入り口なしでもダービーとして盛り上がっているケースはなんぼでもある。全体的にJの理念というものが東京などの都心ではなく、周縁で生き続けているというコンセプトに上手く乗っかっている(丁度かつての甲府や大分のように)ようなものでしかないのかもしれない。だから、この映画の題材自体に何か真新しさを見出すのは難しい。

そう言い切れてしまうのは、地方クラブの光と影の双方のうち、もっぱら光の部分に注目しているからだろう。本当は長野において地域リーグでやって行くというのは本当に厳しい。実際、この作品中においても、長野がシーズン終了後に9人の選手と契約を更新せず、気さくにインタビューに答えていたバドゥ監督もその09年シーズン終了後に退任しているという事実をクレジットでサラリと触れている。

でも、こういう手法で影の部分に触れるというのが却っていいのかもしれない。ここで苦しいところを取り上げて、そこから成功への階段を駆け上がっていくというような手法だけでは、もう今の世の中で人々は感動したりはしないだろう。実際、この作品の中でもこうした手法はよく取り上げていて、信州ダービーでも松本山雅が先制して、ホームのサポの盛り上がりに達した直後に、これまたいい味出していた山雅サポだる、まるちゃんに愚痴らせることで現実に引き戻す、というところにも現れている。

そう、この作品の真の持ち味というのは、決して飾らない、感動の物語を作ろうともせずに淡々と日常と現実を描写し続ける、というところや、光と影の影にもサラリと触れることでそれとなく我々に気づかせてくれるというところに現れているのかもしれない。そしてこの映画を見て良かったと思うとしたら、信州においても自分たちと同じサッカーで繋がった、熱い思いを共有出来る同士を見いだせたという喜びが見いだせるからなのかもしれない。

その意味では、一歩間違えれば東京メディアによる単純な地方礼賛というトーンになってしまいそうなところを、独自の手法でもって地方クラブの現実というものを、抑えた形でサラリと描いてみせたところなんかが、なんかヤットのプレースタイルに通ずる味わいがあるんですけどもね。

大器晩成型の日本式システムの申し子、それが長友佑都

2011-06-04 11:03:18 | サッカー全般
長友を見ていると、つくづく日本の選手育成システムの多様性が効力を発揮しているとなと再認識させられる(これはボンバーにおいても言えることだが)。身長がそれほど大きくもなく、体育推薦で進学も出来なかった選手が大器晩成(世界的基準で言えばの話だが)で日本代表に選ばれるどころか、インテルにまで移籍してしまうというなんていうのは、多分他所の国ではありえない(特に中国では尚更)。

だから、それによってクラブユースの育成組織が機能していないというつもりはないわけで、勿論それはそれで成果は上がっていることを認めた上での話しをしている。ただ、欧州型の育成組織というのは、基本的にあちらの社会では若い年齢で、自分の能力や適性に合わせて進路を決めることを余儀なくされるという前提のもとに成り立っていることを押さえておく必要はあるかとは思う。その意味では、日本という国では、よその国では一旦エリートコースを外れた選手であっても、長友みたいに一発逆転出来る可能性がまだ残されているということだろうし、それは欧州に比べたら大器晩成型の日本社会には合っていることを意味している。

身長が170センチしかないというのも、DFとしての特異性を際立たせている。欧州では例えサイドバックであってもまず身長で足切りにされてしまっているレベルではあるよなあ・・・それを運動量でカバーするのはひとえに彼の努力の賜物とも言えるんだけども、それだけでなく、日本サッカーが打ち出している方向性というのにも関係しているように思える。

つまり、日本人が世界レベルで戦うには、フィジカル面でのハンデがあるのは致し方ない代わりに、世界と戦っていく上では、小さくても上手い選手、スピードのある選手、そして運動量が豊富で走り負けない選手というのを育てていくという方向性を日本が打ち出しているが故に、サイドバックの人材不足というのも手伝って長友はプロデビュー出来た。

逆に中国なんかはサッカーのスタイルが北欧路線であるせいか、アジアレベルでは比較的大きい選手を輩出しているんだけども、技術もスピードもサッパリだという傾向にあるわけですな。だから中国では小さくても上手い選手や早い選手というのをあまり見かけないんだけども、その理由は目指すサッカーの方向性にも関係しているんだろうし、あともう一つは、育成組織において、子供たちの技術レベルが皆どんぐりの背比べであったならば、最後に判断するポイントは結局身長しかないという台所事情も関係しているように思える。

その意味では、中国サッカー選手層はあまり厚くはない。よく、あれだけの人口なのになんでサッカーは強くならないのか、なんて言われているけども、自分に言わせれば、一国の総人口と競技レベルが比例しているケースなんて世界的にはインドのクリケットぐらいしかないわけで(でなきゃ、カナダがアイスホッケー世界一とか、NZがラグビで世界最強の説明がつかない)、あれは正に草の根レベルでもクリケットで遊ぶ文化があるからこそ可能なものだ。欧州型のスポーツクラブどころか日本で言う部活すらない中国の教育制度において、サッカーを競技としてプレーする人たちというのは限られている。じゃあ、日本みたいな部活とかがあればいいのか、ということなんだけども、かの国の過酷なまでの受験競争を考えると、スポーツなんかやっている暇があれば勉強しなさいと親御さんらは子供には言うだろうね。つまり、中国サッカーを強くする上では、草の根でのサッカーを普及させて選手層を厚くしないと行けないんだが、その為には、学校の部活精度の導入なども視野に入れた上で、今までの受験競争システムを犠牲にしてまで、文武両道路線というのに転換した方がいいのかというところまで議論しなければ行けない。それによって社会構造の変化も念頭に置かないと行けないということになるかもしれないんだけども、かの国にそこまで考えている人は流石に居ない。

え、だったら自分で中国人に言ってやれよって?そうねえ、中国語にして言うとしたら、

・目指すサッカーの方向性
・それに見合った選手の育成
・その選手を輩出する為の底辺の拡大

ということは言うんだけども、多分それは絵に描いた餅じゃないか、って中国人に返されるだろう。