大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

ACL準々決勝第2戦展望-1stレグが終わった時点から戦いは始まっていた

2009-09-30 06:00:54 | ACL/A3
さて、今日いよいよACLの日本勢対決で決着が付くのであるけども、その展望について書いておく。

先週国立での第1戦が終わってから、この第2戦に向けての戦いは始まっていた、とも言えるのは、週末のリーグ戦で互いにターンオーバーを敢行したということだ。あんまりおおっぴらに入れ替えるとお犬様がまたキャンコラ吼えてくるのは目に見えてくるものの、今回程度の入れ替えならOKという線引きができたのではないだろうか?

とはいえ、入れ替えに出てきた川崎の黒津とか山岸や井川がセッキーの期待に添えられるような働きをしたかと言えばそうとは言い切れないのだけども(ただ、フロサポのブログ読んでるとその前の試合でも田坂や養父が良かったというわけでもないという)・・・でもこれは入れ替えた代償と言えるものであって、前にも書いたように選手を入れ替えるということはそう簡単ではない。入れ替えに出てきた選手の試合カンだとか、ゲームを通して走りきる体力だとかは常時出ていなければ維持できるものではない。まして圧倒的な戦力差を前提にしている中で入れ替える欧州とは違って日本ではそんなに戦力格差があるというのでもない(というか後述するが、そうした格差も長年対戦してきて研究対策である程度カバーできるようになってきている)。

その意味で、今の日本で入れ替えというのは少々入れ替えで出てきた選手の不出来には目を瞑ってでも、長期的に主力の疲労を軽減し、控え選手をゲームで徐々に慣らしていくということしか意義を見出せない。ここが難しいところで去年からウチは殆ど入れ替えをしなかったのだけども、それを批判するのであれば入れ替えで出てきた選手たちの不出来に目を瞑ることができるかが、ターンオーバーを敢行する時の見る側に求められる態度だろう。

そうやってターンオーバーの意義を考えると、去年ウチらがACLでやっていた時と比べると、ACL自体が新たな段階に突入したとも言えるかもしれないが。

さて、2ndレグであるけども、恐らく次のステージへ勝ち上がる為のリアリズムが支配する試合かもしれない。この間の川崎との対戦では、川崎のラインの設定がリーグとACLとでは違う。ACLでは低い設定だったということは、負けない戦いを選択してくる可能性がある。とはいえ、名古屋だって先制してしまえば後はバランスを崩さない戦いで主導権を握り、最後は守りきってしまう可能性もないわけではない。まあ、川崎って1-0で逃げ切れる相手でもないんだけども・・・

名古屋が90分で2-1なら延長だけども、その時には延長でもアウェーゴールが適用、というのが今年から確かなくなったんだっけ?ただこのルールだと2試合目ホームでやる方が延長に入ると有利にならないだろうか・・・

試合内容よりも、お互い結果に拘るガチな展開で、どんな手を打ってくるかを見るのが第三者的な楽しみではある。

最後に審判はやはりこの試合も第3国なんだけども、前にも書いた中立国審判を選出する原則は対戦チームが同じ国である場合には必ずしも当てはめる必要はないんじゃないかと思うし、今後こういうケースが出てくる場合は審判も日本人でいいんじゃないかという思いが強くなっている(まして利害が絡まない国から選出する必要もないわけだし)。

こういうことを書くのは、一つには国際試合でよく起こりがちな言葉の壁という問題をなるべく減らすことができる特殊なケースだと思うからだ。サッカーに限らず、他競技においてもミュンヘン五輪での男子バスケット決勝では物議をかもしたのだが、その時には、

審判(ブラジル人とブルガリア人)
対戦チーム(アメリカvsソ連)
観客(ドイツ人)
FIBA事務局(フランス語でまくしたてるオサーンがいた)

という異なる母国語を持った人たちがあの場にいたことで意思疎通が取れなかったのが問題だった(以後、バスケットの国際試合では審判2人のうち1人は英語の出来る審判と決められるようになったが、これは米国がイニシアチブを取るバスケットだからこそ決められたものかもしれない)。

そう考えるとサッカーでもこのアイデアは一つ考える余地があるのかな、とは思う。日本人選手たちだって皆が皆、宮本みたいにPKのエンド変更を主審に認めさせる程の英語力があるわけではないのが現実みたいだし・・・まあ、本当はサッカー選手が世界に出ようと思えば日ごろから語学の勉強はしっかりやっておいた方がいいわけですよ。