恋って、不思議。
むかし、むかし、大むかし・・・布施明という歌手が歌っていた。
「恋というものは・・・不思議なものなんだ・・・
・・・逢えばまた切なくて、逢えなけりゃ悲しくて、逢わずにいられない・・・」
そもそも、恋なんていう不安定な精神状態、これは、精神衛生上よろしくない。
しかし、芸術や、小説、映画、その他、これを主題に、メインテーマに多くの作品が描かれている。
ある人が言っていた。
「結婚して、すごく、ホっとしてるの。
これで、もう恋に振り回されなくて済むから」
わたしは、子供の頃、家で鏡に向かってメークをしている母に聞いた。
「ねえ、なんで、もう結婚してるのに、おかあさんは、お化粧するの?」
誰に教わったわけでもないのに、幼いわたしのアタマの構図では、
女性美アピールは、結婚するための、オスを捕獲する策略みたいなものだと考えていたのだろうか。
マセている? 冷めている?
あるいは、子供の頃から、人生に対して見えるものがあった?
その時、突拍子も無いことを言い出す、小さいわが子に、
母はなんと答えたか、覚えていないが、おそらくわたしを納得させる答えではなかったに違いない。
シンデレラ姫は、王子様と結婚して、めでたし、めでたし、幸せになりましたとさ。
こうやって、ストーリーは、ヒロインが結婚して完結していく。
だが、本当のストーリーの始まりは、結婚してからだ。
しかし、めいっぱい脅すと、誰も結婚なんかしなくなるので、
神様は、恋キューピットだかなんだか、を、チョコレート業界と結託、提携、グルになって、
恋の魔法をかけて、目潰し、目くらまし忍法で、人々を結婚へと導いていく。
あんなに激しく燃えた恋、
この人がいなければ、太陽も昇らない、と、胃がキリキリ痛むほどの想い。。。。
で、隣で大いびきで寝ている、この人は、誰?
一夜が、10日になり、1ヶ月になり1年になり10年になり、現実が横たわる。
しかも、この現実は、不動のものではなく、さらに悪化するケースもある。
(好転するケースもあるけれど)
PL法をかざして、不良商品、不法販売法だ、悪徳商法、こんな欠陥商品、どうにかしろ、
と思ったころで、身動きは取れない。
かくして、神様の仕組んだ罠に、はまるわけである。
それが、男と女、人間の幸せなんだけれど。
神様が人間に与えた二大プレゼントのひとつだ。
一つは、恋、一つは、惚け。
と、ここまで延々と書いてきて、
で、わたしは・・・?
書きたくないが、書きたい心境のときもある。
わたしは、猛スピードで突進して、相手を追い抜き、恐れ、怯え、うんざりさせ、
直撃、激突、激つぶれ、沈没、自滅パターンを繰り返している。
突然、いきなり上がる炎は、相手を一目散に逃がし、
火の手を止められないまま、自分を焼き、
消防士さんに放水された後、壁は焼け落ちたが、残った黒焦げになった骨組みや生活用品が、水で、びしゃびしゃ。
なので、恋が成就したことがなく、すっぱいブドウ、そのものだ。
この豊富なワンパターン失敗例のせいで、自動制御装置が働く。
強烈なブレーキが、き、き、き、き~と、かかる。
想像力ばかりが、逞しくなる。
(想像だけの世界ってのも、哀しいものがあるが)
相手が自分に対して持つ気持ちとは裏腹に、勝手に炎が不意に燃えてしまったとき、
(一言で言うと、それを「片想い」という)
それは、消すしかない。
苦労して消して、やれやれ、と思っているところに、また炎をつけられる。
これは、火元から、火種から遠ざかるしかない。
君子、危うきに近寄らす。
一人芝居で、一人で疲れて、苦しいだけだ。
アップダウンの振幅に振り回されるのは、心身ともに消耗するので、こころを水平にフィックスする。
動かないように、地震防止用の家具転倒ストッパーみたいな頑丈な器具を、がしっと、つける。
早い話、傷つくのが嫌。
そのうち、こころも動かず、なんともなくなるだろう。
湿気たマッチを擦り続けて、力尽きたいところだが、哀しいかな、わたしは、マッチが、なかなか湿気ない。
充分な火力を持ちながら、外に出ることが出来ず、赤い顔をして中で暴れまくっている。
ほっておくと、自然発火しそうになるが、しない、その闘い。
根気、スタミナがあるのも、善し悪しだ。
この火力を化学変化させたり、工夫したりして、別の分野に使うことができれば、たいしたものなのだが。
例えば、研究や、開発、仕事、ボランティア活動・・・などなど。
そう理屈通り、うなくいかないから、法律があったり、警察があったり、芸術が生まれたりするのだ。
恋のメカニズムは、科学的に分析すると・・・生理学者やら、生物学者やら、動物学者やらが、
なんたら、こーたら、いろいろ、解明に尽力している。
「性科学」なんちゅう学問もあるようだし。
わたしは、年齢が、ぐぐっと上がっているので、ズバリ「そのもの」に対する興味は卒業の感がある。
下ネタのどこが悪い?という、下ネタの正当性を訴える理論を展開されても、
それは、各個人の感じ方なので、どちらが正しいというものではないし、自分の意見を押し付けるつもりは毛頭ない。
超個人的見解、感想、趣味では、わたしは、下ネタはお下品であると感じる。
お下品と感じない人、下ネタが大好きな人がいても、全然問題ではない。
わたしが、下品だと感じるだけであって、毎日、地球の回転する動きに、なんの影響もない。
それはそれで、置いといて・・・
疑問は続くよ、どこまでも。
好みでもなければ、理想でもない、共通点もない、まして、好かれてもいない人を、好きになるのはなぜだろう?
おそらく、状況設定、かかわり方のあたりに、原因を解くカギがあるように思う。
道行くすれ違う人や、テレビやスクリーンの向こうの人に熱をあげるのは、まあいいとして・・・
出会うタイミング、頻度、偶然性、神秘性、
47番目や48番目のAKB48みたいに、ぽっと出の前から応援している親近感、手の届きそうな距離感。
無視されるわけでもなく、そこそこ応えてくれるけれど、かといって、深くは相手をしてくれない・・・
そういう、付かず離れずのバランス、はらはらドキドキ感が、
じつに、効果的な刺激的な香辛料となり、絶妙な働きをする。
スパイシー効果は、絶大だ。
で、目がスパイスでやられ(目潰し効果)、
自分で勝手に想像した、実際の実体とは違うイメージ像に振り回される。
目潰し期間が過ぎ、だんだん目が見え始めてくると、あれ?これは誰? こんな人だったの?
となってくる。
目が慣れると同時に、お互いに対する気合も弱まり、緊張感が緩む。
(その代わり、馴染んでくる)
若いうちに亡くなった人は、永遠に若い。
恋も、成就しないうちが華。
永遠に、こころがキリキリ痛んでいるほうが、夢がある。美学がある。
そんな、ひねた見方ばかりしていても、
松本幸四郎ご夫妻や、三浦友和・百恵ご夫妻のように、素晴らしい(ように見える)ご夫婦もいる。
しょせん、ひね曲がった人間には、まともな人とは、カップリングできないのだろう。
まともな人は、お互い、素通りしてしまうのだろう。
で、ヘンな、わけアリみたいな者同士が、ケンカしあって、嘆きあって、芸術や趣味に逃げ、
柔和な顔どころか、ヘンな顔の老人になっていくのか。
(あ、これはリアル世界での話で、ブロガーさんを指していません)
地球の自転を妨げてはいないから、まあいいか。
でも、枯れきることができないで、そのまま、干物になると、すごくクサイ。
そういう、臭さがウリの食べ物も、あるけれど、そんなのが好きな人は、とてつもなく変わり者だ。
変わり者は、変わり者の、妖怪世界でしか生きていけないのか。
素人さんや、一般人を好きになってはいけないのだ。