わたしが、ひそかに師匠と仰いでいるブロガーさんから、コメントいただき、とても喜んでいる。
とある、スイングするブロガー氏も、このブロガーさんの大ファンである。
わたしのブログは、毒や地雷があちこちに埋まっているが、小市民的な見かけに騙され、
不意に毒を浴びることがある(はず)。
最近は、自分でその毒に当てられ、自滅することもある。
年とともに、弱ってきているのか。
師匠のブログを読ませていただくと、うーーん・・・と唸ることが、多い。
スイング・ブロガー氏も、直近の記事で、絶賛して書いておられたが、
わたしも、あの周波数が、たまらない。
思考回路の道順やら、方法やら、角度やら、温度やら、振動数、振幅やらが、わたしと共通するものがあり、
その、脳内、行ったり来たりを完璧に表現されていて、思わず、経典にしようと思ってしまう。
他にも、ブログ村に、文章の先生と仰いでいるブロガーさんがいるが、
ご本人に、「先生と呼ぶのはヤメテ」と言われたので、こころの中だけで、仰いでいる。
訪問数は、あまり気にせず、自分の感性だけを頼りにしたいと思っている。
が、ブログ村をふらついている限り、ついつい、人さまの、いろんな数値、ポイントも、覗(のぞ)いてしまう。
わたしは、そもそもマニアックなものが好きなようだ。
わたしが、とてもいい、と熱狂、陶酔しているのに、多くの他の方も同じように感じているとは限らない。
ブログ村の住民、および道行く方々とは、お気に入りブログの、そのあたりの感性は、ずれているように思う。
ものすごく、ポイントがあがっても、なんら不思議ではないと思われる、大のお気に入りのブログでも、
わたしが思っているほど、ポイントが伸びないことも大いにある。
マイノリティ、少数派志向は、わたしのリアル・私生活にも通じるものがある。
唯一無二のものが、好きだったりする。
独創性、オリジナリティ。
真似するもの、お手本とするものがないと、仕方なく、試行錯誤して、自分専用をカスタマイズする。
多くの人と、わいわいやるのは苦手で、いっしょにいるのは、ゼロもしくは、一人。
ゼロでも、まったく苦にならない。
というか、多くの人々は、苦になる。
しかし、仲良しさんだけが、「みんなは、なんで、俺らの良さが、わからんのだろう?」と、
世間に背を向けて、こじんまり小さく盛り上がる、っていうのも、
わたしの場合は、なんか、ちょっと違ったりもする。
傷を舐めあったり、慰めあったりしない。
賛同者は、一人いれば、それでいい。
一人もいなくても、全然、構わないぐらいだが、やはり、一人欲しい。
でも、多くは必要としない。
お世辞や社交辞令を言い合う、わいわいガヤガヤは、居心地が悪い。
人の目には、「スローの、すっぱいブドウ」、と、映るかも知れないが。
そう言いつつ、リアル世界では、
口から出まかせに、お世辞たらたら、誰かれなくニコヤカに愛想を振りまいて、
正反対の振る舞いをすることも多々あったりする。
人間は、矛盾する生き物だ。