さあ。自分と向かう時間です。
朝4時45分から起きて家事や用事をすると、あたりが明るくなるころには、終わってしまう。
引き続きやっても、せいぜい、8時半には終わる。
仮に朝の10時から起きても、お昼12時ごろには終了して、似たようなものだけど。
ただ、12時に終了した場合は、明るい時間は、あと半日、延長の場合は13時45分に終了すると、あと、少ししかない。
それから、ごそごそ外出支度して、出かけようたって、ぐずぐずしていると、あっという間に、出られなくなる。
仕事をするにも、昼下がりからの仕事って、・・・?
スポーツクラブやダンスパーティに来ている、そこそこの年齢の女性たち。
「家にいると、なんにもしないで1日が過ぎて、よけいに疲れるから」
と、頻繁に顔を出す。
なにもすることのない人って、幸せだなあ・・・とつくづく思う。
田舎の家、広い家に住んでいると、それだけで用事だらけ。
部屋の温度差は激しいし、モノを取りに行くにも、段差だらけで、延々、遠い。
それに比べると、町の小さな住まいは、とても快適で、便利。
スーパーも近所にあるし、宅配サービスも整っているし、
掃除といっても、ほんのちょっとしかない。
せいぜい、部屋を圧迫させないよう、せっせせっせとモノを捨てていくことぐらいか。
立ち読みした本で、どこかの元、偉いさんが言っていた。
年を取ったら、小さな家、小さな部屋でこじんまりと、が、一番いい、と。
ましてや、別荘だの、庭園だの、とんでもない。
関心を自分のことだけに集中して、食生活と運動を心がけ、健康管理。
好きなところに、好きな時に、出かけて、帰ってきたら、小さな部屋で、完結。
これは、究極のライフスタイルの断捨離。
どこかの待合室で読んだ、年配向けの雑誌にも、断捨離が、繰り返し紹介されていた。
(・・・最後の最後の小さな部屋は、棺おけだったりする)
が・・・、
わたしは、そうは、いかないところに、問題がある。
次に来るステージを想定して、想像している段階なので、まだ現実が、完結に遠い。
好きなようにしようと思っているのに、孫・子守の予約も入ってしまった。
しかも、「おかあさんのライフスタイルから考えると、子守をお願いするは無理みたいね」
と、上娘(=教官)に言われ、
「そんなこと、ないよ。孫守しないなんて、言ってないから」
と思わず、口がすべってしまった。
家守も、ババ守も、旦那守も、あるのに、さらに、孫守・・・!
と・・・ここまで書いていて、教官が、横で断捨離を強行している。
夫が、海外旅行のお土産で買ってきた、バッグ(いっぱい)やら、
家族旅行で、いっしょに買った、思い出のあれこれグッズの数々・・・
どんどん、がんがん、ゴミ出しベルトコンベヤーに乗せようとしている。
(今日は、ゴミの日)
ひとつ、ひとつ、成長過程の思い出のシーンが、詰まっている・・・。
旅先での出来事の、ワンシーン、ワンシーンが蘇ってくる・・・。
親である、わたしたちが子供に目を細めて買ったものだけに、
ゴミとなって捨てられるのを目の当たりにすると、こころが痛い・・・。
ひとつの時代が過ぎたという現実か。
夫が見たら、さぞや悲しむことだろう。。。。
知らせないでおこう。
(とりあえず、わたしは、ひとつ、バッグをゴミ行き袋から救済した)
ああ、やっぱりわたしは、断捨離できない世代だ。
(世代だけでは問題は解決できない? 性格の問題か)
そうやって、なにも無くなった教官の部屋には、新しい孫グッズが置かれるかというと、
その予定はないそうで、
何も無いまま、すっきりとした空間を維持させるそうだ。
わたしは、その空いた空間に、「これは、自分の増え続けるモノを置くのにいい」と、
またまた新たな物置場の創出に、悲しみながらも、喜び、進出させたい思いがむくむく湧き出てきたが、
教官に、
「おかあさんのグッズたちは、置かせないからね」
と、ぴしゃり釘を刺された。
ああ恐ろしや。
だらしない、わたしのペースが乱されそうで、いや、現実に、毎日、乱され、
どんどん領地を占領、侵されていくような気がしている。
このまま行くと、自治権まで剥奪されそうだ。
孫でも生まれたものなら、
わたしの、いい加減な子育て方法は、ことごとく糾弾、指導の対象となりそうで、
戦々恐々としている。
でもね、ビジネスや勉学みたいに、理路整然と、理屈通り、計画通りに行かないこともある、ってこと、
完璧主義でいくと、子育てなんて、できないってこと、
教官は、わかっているのかな?
いろいろあるから、人生は、おもしろい。