「明るい」と、「暗い」。
とある、お気に入りブロガーさんは、明るい。確かに。
わたしも、明るい。
ちなみに、
「明るい」→社交的、外向的
「暗い」→人付き合いが苦痛(非社交的)、内向的
と、捉えられがちだが、そう言い切れないと思う。
非社交的な人が、同じ目的に向かって、仲間同士が集まって、わいわいやる。
全員、一人一人は、非社交家。
非社交家たちの、社交の場。
これ、すごくよくわかる。
何十年も前の、ある話。
内向的な姪(当時、小学生高学年?ぐらい?)の友だち達が、姪の家に集まった。
各人、それぞれ、姪の家にある愛読書(漫画)を黙々と読む。
一言も話さない。
しーーん。
親は、そっと様子を見て、はらはら。
あの子たち、なにをしているのかしら?
まったく話し声も聞こえないし、お互いが目にも入っていないようで。
ある程度のかたまりの時間が過ぎ、何も話さないまま、皆が帰ったあと、姪が言った。
「ああ~っ・・・楽しかったっ」
ふうーーん、そんなものなのか。
こんな付き合い方、友人、仲間もいるんだと、母親は、納得したらしい。
一人で漫画を読んでも、仲間数人で、漫画を読んでも、
読むのは、漫画であって、漫画の内容に没頭するんだから、肝心なのは漫画なんだから、
どこで、だれと読もうが、引きこもって自室で読もうが、同じかと思いきや。
小学生の女の子たちの間にも、こんなお付き合いの距離感が存在するのだと、
わたしは、とても不思議なような、理解できないような、理解できるような、
非社交家の集まり「漫画・読書会」の開催に、初めて知るコミュニケーション方法に驚きを覚えた。
ちなみに、わたしは、非社交家の典型であり、
かつ、コミュニケーション能力が、ほとんどない。
それは、社会、外の世界はもちろんのこと、家庭内においても例外ではない。
家族も、コミュニケーション能力が、(外ではあるだろうが)家庭内においては、ほとんどない。
能力はあるかも知れないが、コミュニケーションを努力して取ろうとしない。
意見がぶつかったら、相手を説得することなどまるでなく、自分流を主張して、一歩も下がらず、押し付ける。
「ケンカ売ってんか?」「無視!」
の冷戦である。
唯一あるのは、帰省中の上娘。
なので、彼女を介して、家族が、今は、共通語を話し、意志の疎通ができるようになった。
新しい風を吹き込んだと言える。
我々は、「漫画読書会・家族」なのかも知れない。
良い時は良いが、ねじれている時も、ねじれたまんま。
同じ空間を、我の張り合いで、縄張りを主張し合っている。
これは、おもに夫婦間の問題であり、
下娘は、争いには、かかわりたくないようで、中立の立ち位置をキープする。
争いには、一切、介入しない。
見て見ぬフリである。(逃げの一手)
彼女は、そういう雰囲気の悪い、両親が揃った場所に、自分が同席するのは、居心地が悪そうだ。
自分の思いを人に伝えることが、ヘタ。
プラスの思いなら良いが、
思い通りにならない時、相手を自分の意に沿って行動してほしい時、
折衝、説得、納得させる、忍耐強く交渉することが、面倒くさい。
威圧、高圧、怒り、癇癪(かんしゃく)みたいなかんじで、自分の思いを爆発させて、あとは放置する。
あるいは、あきらめ、逆切れ、逆恨みで、放置後、ずるずる悪化パターン。
お互いが、お互いを理解し、歩み寄ろうとせず、ずっと火花バチバチの平行線。
言っただけで、言うことを聞くような人間ではない人に、
かつて、他の人が何度も忠告しても聞かない人に、
自分の意に沿う行動をしてほしい場合、
自分で直接、やりとりしないで、説得させるよう、人に指図する。
わたしは、指図される度に、沸騰する。
夫とわたしの丁寧なやり取りは、されずに、お互い、ブチブチ切れて決裂。
ただ言うだけで、他人が自分の思い通りになるなんて、そんなことがあるだろうか?
業者に発注してでも、なかなか上手くいかないこともあるのに、
ましてや、商売、利害関係なしで、すんなり従順に、自分の思い通りに人が動くか?
言葉で言うにしても、相手が納得できるまで根気強くとか、熱心に、とか、何度も、毎日、とか、
手を変え品を変え、時には金品や、惜しみない労力を提供したり、飴とムチも交えたり、
熱意と誠意を伝えられるよう試行錯誤で努力し、
カチカチの固いものを溶かすかのごとく、努力が必要なのではないだろうか。
と、ぐちぐち、から始まって、ちょっとしたことで、不満の火山が、噴火しそうになってきている、わたし。
やめとこ、やめとこ、朝っぱらから。
帰省中の、コミュニケーションの神様・教官に、
我々、没コミュニケーション家族を救ってもらったんじゃなかったのか?
明るい、楽天家なんですがねえ。わたし。
そして、明るい人が好き。
暗い人やコトは、好きでない。
というか、暗い人には、今までの人生で、数えるほどしか出会ったことがない。
「明るい」=活発、はしゃぐ、賑やか
という、行動のステレオタイプ決め付けではなく、
静かで、無口で、おとなしくても、精神が明るい、考え方が明るい。
思考のプロセスにネガティブな面があっても、結論は、明るい。
暗い人には、暗い人が寄り集まる。
暗い考え方をしていると、暗い方向にばかり向かう。
(ただし、最悪の事態を想定した危機管理は必要。わたしは、これが、ちょっと薄いのが難点)
話が、なんだか、抽象的になってきた。
真っ暗なうちから、明るくなるまでの間に書いているし、
NHK教育ラジオ・フランス語講座ではなく、FMラジオで軽快な音楽が流れているというのに。
その割には、弾んで跳ねてない内容だ。
昨日、ゴルフがなく、某、カサの高い人物が一日中、在宅し、部屋の空気が濃すぎたのか、
苦しくなって、ちょっと、清浄、セルフ自浄作業が自動的に行われているのだろうか。
亭主達者で留守がよい。
あ、これ、わたしが言っているのではありません。
世の中の、だれか知らない人が、言っているだけです。
せっかく、ブログに、いいこと書いてたのに、あああ。
また、毒吐きに戻ってしまった・・・。
40点どころか、10点だ。