幸せは、人それぞれ。
それで、いいんじゃない?
わたしたち、これこれこれこれで、これこれこれだから、幸せよね~~っ、
と、確認しあうと、さらに幸せ度がアップする傾向にあるようだ。
相互確認による、幸せ・すり込み倍増現象。
これは、家族、恋人、友人、仲間、なんにでも幅広く適用できる。
皆既日食をいっしょに、隣で見た、初対面同士でも、喜びを分かち合う。
キャンペーン中のお得な商品が、ほんとにお得だったりすると、客同士、手に手を取って感激し合う。
幸せの内容は、人それぞれだが、
程度の差こそあれ、だいたい共通のベーッシックな価値観はあるだろう。
似たような価値観の中で、どんぐりの背比べをするのが趣味の人は、
それはそれで楽しいのかも知れない。
幸せ自慢、不幸自慢、いろんな自慢がある。
自慢には、ニオイがつきものだ。
ニオイは、カラーにつながる。
個人の持つオリジナリティだ。
無色透明の人もいる。
自慢は、自分へのエールだろうか。
「どう? すごいでしょ?」
これは、自分に言っているのではなく、明らかに他者に向けて発信している。
この逆もある。
「なに? あれ。自慢じゃないの?」
これは、無意識に対抗、過剰反応しているんだろう。
自分の気持ちを無理やり抑えて、うわっつらを美しく整えようとすると、ぎくしゃくする。
本心が、どことなく見えてしまう。
まったく見えない人も、なかにはいる。
それは、同じ価値観を持っていながら、別の面では違う価値観がある(部分的に価値観が共通する)場合
鼻につかない、お互いが気にならなかったりする。
びたびたっと、スミからスミまで、まったく同じ価値観だと、息苦しいし、ケンカの元になる。
純粋に、脳内だけで価値観を共有するのは素晴らしい。
実生活にもっていくと、あれこれ比べたり、煩悩や強欲の元が、ごろごろしている。
ピンポイントの僅差で意識し合うと、しんどい。
どう? すごいでしょ?
でも、これって、アタマの中だけのことなんだけど・・・
脳内の中なら、比較する絶対的なモノサシ、基準がないので、優越つけられない。
IQ知能テストや、国家試験やら資格やら、
なんやらかんやらで、脳内の一部の絶対値を示すものもあるかも知れない。
でも、一部だ。
「オレの考えは、すごい。どうだ?」
そんなこと言ってる人がいたら、シラけるだけだし、
仕事での話だったとしたら、企画書から書いて東奔西走するなり、スポンサーを見つけるなり・・・
発案から立案、具体化のほうが、大変な道のりだ。
どうだ? すごいだろ?
と、言わなくても、スゴイ!と、接した側が思えば、勝手に知らず知らず影響を受ける。
小さい犬は、キャンキャン吠える。
・・・・・
わたしは、イジけて、なんぼ、のもんです。
しょっちゅうイジけている。
ひとりで、部屋の隅っこで、三角すわりをして、へのへのもへじを描いている。
でも、なんというか・・・
それって、カッコ悪いと感じる。
だから、もっと陰に隠れて、人に気付かれないよう、一人でひっそりと、イジけようと思った。
今日の天気は、曇り。
理屈なく、こころも、曇り。
落ち着かない一日の始まりである。