常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

再びの雪

2020年02月18日 | 日記
先日の雪で、今年の雪は最後かと思ったが、再び雪になった。西日本では、40㌢とか大雪だが、こちらはそれほど積もる雪ではない。春の淡雪といったところか。戸外のウォーキングを止め、階段登りの運動に切り替える。最近、運動を継続しているせいか、心拍数に余裕が出ている。夜の寝つきもよい。三寒四温という言葉があるが、漢語で、同じ意味を春風踏脚、しゅんぷうとうきゃく、つまり春風が足踏みしているという表現だ。

館柳湾の漢詩に
晴れを吹き雨を送り互いに相報ず
信に是れ春風脚を踏みて来る

まことにこの漢詩の通りで、晴れたり降ったりしながら、春は足踏みをくり返しながらやってくる。
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春一番

2020年02月17日 | 日記
春一番 / CANDIES
西日本に大雪の予報が出て、関東では春一番が吹くという。立春を過ぎて、初めて吹く強い南風のことで、かなりの強風でもある。日本海に低気圧が発達すると、それに向かって南から強い風が吹く。同時に低気圧は、大陸の寒気を呼び込む作用もあるので、寒気と暖気がぶつかって雷や大雪など、荒れ模様の天気となる。昭和51年のヒット曲はキャンディーズの「春一番」であった。歌は春を謳歌するもので、いざ春一番に吹かれると、イメージは異なってくる。しかしこの気象用語が一般化したのは、この曲のヒットに起因しているらしい。ユーチューブから曲を共有させてもらっている。
室内に置いたアマリリスが花芽を膨らませてきた。室内で目を楽しませてくれた花たちも、ひとつ減り、ふたつ減りしてとうとうこのアマリリスとクンシランだけとなってしまった。花を開かない観葉植物は、女房の管理がいいせいか葉がきれいで、枝を落してもすぐに枝を出してくる。それでも、落とした枝を捨てずに鉢に生かすのので、部屋中にたくさんのクジャクサボテンがはびこることになる。この花も、枝が盛んに大きくなると、花を咲かせる栄養がないのか、毎年咲くというわけにはいかない。やはり年数が経てば、新しい鉢を求める必要があるようだ。

温室ぬくし女王のごときアマリリス 杉田 久女

杉田久女は鹿児島県に生まれた。父の転勤のため、沖縄、台北で小学校で学んだ。長じて東京の御茶ノ水高女を卒業、明治40年19歳で九州の素封家杉田宇内と結婚。長く小倉に住んだ。その間俳句を作り、女学校の教壇にも立った。英彦山は大分県にある1100mほどの山であるが、久女はこの山が好きで、泊りがけで来てしばしば登っている。その山中で聞いたホトトギスの鳴き声に感銘を受け句に詠んでいる。

谺して山ほととぎすほしいまま 久女


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春を迎える

2020年02月15日 | 日記
今日も戸外へ出かけるのに、絶好の好天となった。道端にオオイヌノフグリが咲いている。この花を見ると、春が来たと思う。辺りにフキノトウは出ていないか、つい探している。あと何度、このうららかな春を迎えられるのだろうか。ギッシングは『ヘンリ・ライクロフトの記』のなかで、あと十度か十二度といえばいい気になりすぎていると言っている。彼は春の野のなかで見つけるのは、キンポウゲである。キンポウゲが咲き出してから、バラが咲くまでの経過を愛情深く見守ることを、晩年の生きがいとしていた。

今日は脚を伸ばして、千歳山を散策した。山道は、少し雨の濡れてまだ乾いていないような状態であった。10時ころから登り始めたのだが、陽気に誘われた人たちがたくさん登っている。心拍数は、最初の階段でぐんと上がる。ここをできるだけゆっくり登ることが大切だ。その後は、ほぼ頂上まで心拍は許容の範囲に収まっている。
千歳山の松は、マツクイムシの被害でどんどん姿を消している。小さな雑木のなかで松を見出すと、何か懐かしい気さえおきてくる。今週は、春めいてきたこともあって、1日の歩数が、ずっと一万歩越えを記録している。1日に12500歩以上歩く人は心筋梗塞なかからない、という医学論文があるらしい。歩行速度は70歳代では、1分前に60mが標準らしい。もう少し元気で山歩きができるように、山道で足を鍛えたいと思う。

山中で二人の山の仲間に行き会った。一人は、週に2、3度来ているという話であった。夏の大きな山の計画のある時は、多くの山の仲間に会うが、この季節でも頑張っている仲間の姿を見ると心強い。
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ウォーキング

2020年02月14日 | 日記
急に春めいてきて、戸外で歩く機会が増えてきた。カメラを持参すれば、いつも歩きなれた道にも、びっくりするよう季節をかんじさせる景色に出会う。歩くことは、血液の循環を活発化させ、脳も刺激させる。部屋のなかで眺めて景色よりも、足を使って歩きながら眺める景色が美しく見えるのは、そのせいかも知れない。最大酸素摂取量という数値がある。日本人男子の平均値は1分間に2.5~3.0ℓとなっている。この数値は長時間の有酸素運動を行うことであげることができる。この量によって運動の強度に耐えることのできるようになる。今着けているスマートウォッチによると私の最大酸素摂取量は3.1ℓである。朝の心拍数が50ぐらいであるから、60歳代の男性の平均値ということになる。毎日にウォーキングで、このポイントを、コンマ1ポイントの上昇をめざす。

高原や朝寒の天張りつめて 有働 亨
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月山

2020年02月12日 | 日記

昨日、悠創の丘から、芸工大のキャンパスを通る道を散歩した。今日は、雨になっているので、芸工大のキャンパスから雪の月山を見ることができたのは、僥倖であった。これほど、きれいにその全容を青空のなかに見せるのは、年に数えるほどしかない。たまたま行った散歩の機会に月山の優美さを見る、その確率は更に低くなる。
日本は四季が明確に移ろう国だと言われるが、山に登っている経験から言えば、その季節の境目はほとんど感じることはできない。立春が来て、山の雪にも変化が現れてくるが、それは太陽が高くなって、山の雪を万遍なく照らすからだ。雪に水分が増えて雪面が幾分丸みを帯びてやさしい表情を見せる。水分が増えると、雪は氷の粒となって固くなる。陽ざしが強くなると、その氷がとけて、その体積を減少させていく。しかしその変化は実に微妙で、その中に常に身を置いていなければ、それを感じ取ることはできないであろう。

雪が解けるのは、一番高い尾根から始まる。深い雪を残しながら、樹々はその根の上の雪を溶かし、新しい芽を吹く。そのために残雪と新緑は同時に現れる。その取り合わせの美しさを見られるののは、やはり自然の摂理というものであろう。今日からは低気圧に向かって南風が吹き込んでくる。その中には、大陸からの黄砂が含まれる。残雪の上に降る黄砂は、純白の雪を茶色の雪に変えていく。やがて雪面はさざ波のような小さな起伏が現れる。スプーンカットと呼ばれる雪面は、氷となっていて、足を滑らせれば転倒する。

雪の月山を眺めながらつい、この山へ登ることへ想像を飛ばした。月山は、麓に住む人々には、豊な水をもたらせてくれる豊穣の山である。そこのには、農耕神としてのツキヨミノミコトが祀られている。

さ霧たつ月読の山のいただきに神ををろがむ草鞋をぬぎて 茂吉

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