昨日、悠創の丘から、芸工大のキャンパスを通る道を散歩した。今日は、雨になっているので、芸工大のキャンパスから雪の月山を見ることができたのは、僥倖であった。これほど、きれいにその全容を青空のなかに見せるのは、年に数えるほどしかない。たまたま行った散歩の機会に月山の優美さを見る、その確率は更に低くなる。
日本は四季が明確に移ろう国だと言われるが、山に登っている経験から言えば、その季節の境目はほとんど感じることはできない。立春が来て、山の雪にも変化が現れてくるが、それは太陽が高くなって、山の雪を万遍なく照らすからだ。雪に水分が増えて雪面が幾分丸みを帯びてやさしい表情を見せる。水分が増えると、雪は氷の粒となって固くなる。陽ざしが強くなると、その氷がとけて、その体積を減少させていく。しかしその変化は実に微妙で、その中に常に身を置いていなければ、それを感じ取ることはできないであろう。
雪が解けるのは、一番高い尾根から始まる。深い雪を残しながら、樹々はその根の上の雪を溶かし、新しい芽を吹く。そのために残雪と新緑は同時に現れる。その取り合わせの美しさを見られるののは、やはり自然の摂理というものであろう。今日からは低気圧に向かって南風が吹き込んでくる。その中には、大陸からの黄砂が含まれる。残雪の上に降る黄砂は、純白の雪を茶色の雪に変えていく。やがて雪面はさざ波のような小さな起伏が現れる。スプーンカットと呼ばれる雪面は、氷となっていて、足を滑らせれば転倒する。
雪の月山を眺めながらつい、この山へ登ることへ想像を飛ばした。月山は、麓に住む人々には、豊な水をもたらせてくれる豊穣の山である。そこのには、農耕神としてのツキヨミノミコトが祀られている。
さ霧たつ月読の山のいただきに神ををろがむ草鞋をぬぎて 茂吉