常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

月山

2020年02月12日 | 日記

昨日、悠創の丘から、芸工大のキャンパスを通る道を散歩した。今日は、雨になっているので、芸工大のキャンパスから雪の月山を見ることができたのは、僥倖であった。これほど、きれいにその全容を青空のなかに見せるのは、年に数えるほどしかない。たまたま行った散歩の機会に月山の優美さを見る、その確率は更に低くなる。
日本は四季が明確に移ろう国だと言われるが、山に登っている経験から言えば、その季節の境目はほとんど感じることはできない。立春が来て、山の雪にも変化が現れてくるが、それは太陽が高くなって、山の雪を万遍なく照らすからだ。雪に水分が増えて雪面が幾分丸みを帯びてやさしい表情を見せる。水分が増えると、雪は氷の粒となって固くなる。陽ざしが強くなると、その氷がとけて、その体積を減少させていく。しかしその変化は実に微妙で、その中に常に身を置いていなければ、それを感じ取ることはできないであろう。

雪が解けるのは、一番高い尾根から始まる。深い雪を残しながら、樹々はその根の上の雪を溶かし、新しい芽を吹く。そのために残雪と新緑は同時に現れる。その取り合わせの美しさを見られるののは、やはり自然の摂理というものであろう。今日からは低気圧に向かって南風が吹き込んでくる。その中には、大陸からの黄砂が含まれる。残雪の上に降る黄砂は、純白の雪を茶色の雪に変えていく。やがて雪面はさざ波のような小さな起伏が現れる。スプーンカットと呼ばれる雪面は、氷となっていて、足を滑らせれば転倒する。

雪の月山を眺めながらつい、この山へ登ることへ想像を飛ばした。月山は、麓に住む人々には、豊な水をもたらせてくれる豊穣の山である。そこのには、農耕神としてのツキヨミノミコトが祀られている。

さ霧たつ月読の山のいただきに神ををろがむ草鞋をぬぎて 茂吉

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夕焼けから朝靄へ

2020年02月12日 | 日記
朝焼けは雨、夕焼けは晴れ、という諺がある。朝焼けになった日は雨となり、夕焼けのあくる日は晴れという天気諺である。この諺の通り、今朝は雲ひとつない晴れになった。ただし、気温が低いせいか全体に靄がかかって日が少し霞んでみえる。但し明日からは、低気圧が近づいて、それに南からの風が吹き込んでくるので、雨模様となるらしい。今日は気持ちのいいウォーキングができるチャンスだ。それにしても、スマートウォッチの効果は大きい。この時計を着けてから、目標の10000歩は、確実に視野に入っている。

昭和7年2月の山頭火日記『行乞記』より
2月12日 けふも日本晴れ、まるで春、行程5里、海ぞひのうつくしい道だった、加津佐町、大田屋。此町は予想しない場所だった、町としても風景としてもよい、海岸一帯、岩戸山、等、等。途中榕樹(アコオ)を見出した、また唐茄子の赤い実が目についた。水月山円通寺跡、大智禅師墓碑、そしてキリシタン墓碑。

山頭火が歩いたこの辺りは、島原に近い。キリシタンの信仰の跡も残っていたのだろう。それにしても、行乞をしながら5里の道のりは長い。今でいうと20㌔を越えている。前日は夕焼けであったか記述はないが、温泉でチクワで三杯とある。行乞で得たもので宿代を払い、酒を買い、足りなければ生家からの為替で間に合せた。時おり、山頭火は自分の甘い出家に反省を繰り返しながら、宿についてからの一杯を止められなかった。

山頭火の比べれば、自分の行程は更に短く、気軽なものである。この年になって、晩酌の一杯はなお止めることができない。杜甫が病で好きな酒を止めざるを得なかったことに比べれば、よしとするべきか。しかし、そこには人生の日暮を迎えた悲哀がある。その日、その日の景色に癒されながら歩く自分がある

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