常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

毒蝮三太夫

2020年02月01日 | 日記
XAA471 とんがり帽子 川田正子&森の木児童合唱団 (1947)1986・151224 vL HD
2月1日。空は晴れて、空気が澄んでいるせいか、周りの山々がくっきりと近くに見える。すがすがしい朝だ。テレビのチャンネルを回したら、佐和子の朝に、毒蝮三太夫が出ていた。この人の若さに驚いた。80歳を過ぎているというのに、昔見た「笑点」の司会をしたころと変わりがない。声の力も、話しぶりも、年老いたという感じがまったくない。番組でゲストお気に入りの音楽を聴く場面があるが、毒蝮がリクエストしたのは「とんがり帽子」と「ひょっこりひょうたん島」だった。YouTubeの曲を再生しながら、この文を読んでもらうとありがたい。

この曲がかかると、すぐに昔の少年時代にタイムスリップすることができる。よく聞こえないラジオのかじりついてこの曲の流れる「鐘の鳴る丘」を兄弟みんなで聞き入っていた。毒蝮によると、このラジオドラマは、親をなくしした浮浪児が街にあふれ、食べ物を求めて辺りを徘徊していた。この少年たちに、夢を与え、やさしい心を持たせようとghqの肝入りで始まったのだという。その出演者を募集に応募してデビュウした子役が、毒蝮がラジオやテレビの世界に入った始まりであったという。

その後、「笛吹童子」や「君の名は」など、ラジオの名作が次々と放送された。野球など何も教わったこともないのに、ラジオから流れてくる実況に聞き入った。見たこともない川上や青田のファンになっていた。母親はラジオで実況する相撲のファンであった。当時は、北海道から角界に入る力士が数多くいた。今日のモンゴルのような状態である。母の生まれは下川であったが、そこの出身に名寄岩という力士がいた。三役どまりでさして強くなかったが、郷土愛からその力士を応援していたのだと思う。

毒蝮がラジオで生放送する「ミュージックプレゼント」が人気で、長い間放送され、先日50周年記念の放送が行われたという。YouTubeを見ると、たくさんこの動画が再生できる。下町で毒舌で触れ合いのトークが面白く、人気があるのが納得できる。「じじい、ばばあ」を連発する毒舌の軽妙さも人気らしい。番組で話をした高齢者は大変な数にのぼるらしい。毒蝮はこの経験をもとに、福祉大学に出かけて、介護者に老人との付き合い方を教える教壇に立っている。この人が、あのウルトラマンの出演者であったなどとは想像もつかない。番組の最後に、「人に嫌われない老人をめざしている」と語っていたが、もうすでにその目標はクリアしているように思える。今日は朝から、ほのぼのとした時間を持つことができた。

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