
近所を流れる坂巻川の堤に桜がある。開花はまだか、と待ってた。昨日、見に行くつもりが足が疲れて一日延ばしになった。そのかいあってか、川に向かう南側の枝が10輪ほど咲いていた。この木が標準木であれば、桜開花がニュースになって流れるところだ。昨日、室内に置いていたハーブの鉢をベランダに出した。スミレの鉢は去年の枯れた葉のなかから小さな葉を出した。寒い冬を越して芽生える植物の強靭さが見てとれる。
初花を見せては雲の閉ざすなり 水原秋櫻子
今日、桜のほか春の花々を見ながら、散歩の歩数は7000歩を越えた。4000歩まで早歩き。そこから疲れる。足を上げて地面を踏む反動を利用すると楽に歩ける。少しずつ脚力を取り戻したい。映画「めがね」を見る。この映画を観ながら、昔「携帯の繋がらないとこへ行く」という風潮があった。そんな過去を思い出させる映画だ。「とそがれる」というよく意味の分からない言葉がキ -になっている。与論島という何もない島だが、一軒だけ民宿のような宿泊所がある。
きれいな海とおいしい食べ物。海岸に簡易な店をだしてアイスをごちそうする伯母さんがいる。名はさくらさん。小豆をじっくり煮込んで餡子をつくりその上にかき氷をけずる。手製のシロップをかければ出来上がり。これを食べて島に来るようになったと語るのは宿の主人ユージ。島の一日は宿泊者たちが行うメルシー体操で始まる。携帯の届かない島の時間はゆっくり流れる。その時間のなかで一日生きることを「たそがれる」と表現する。そこには才能がいる、と言うのは宿の主人ユージだ。定年を過ぎて働くことのなくなった高齢者の暮らしはその「たそがれる」ことに似ているかも知れない。
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