梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

街の花と果実

2017-10-10 14:10:35 | ぶらり
街の花と果実

階段3階からふと下を見たら路地奥の植え込みに鮮やかな紫の花が群生していた、何時もバックに入れているカメラを持って廻ってみたら野牡丹の様だった、

背の低い方についている花は昔自分でも飢えていたものだがそれより背が高く花の数も格段に多い方が鮮やかでこれが目に留まった方だった、

少し離れてオレンジ色の花が咲いている、色合いは真夏に咲き誇るノウゼンカズラの花に似ているがあそこまで毒々しい色ではない

もう一種類黄色の花も有ったがピンボケになってしまったので上げていない
水やりを始めた女性がいたので聞いてみたが野牡丹は分かったがもう二つは「ずいぶん昔に買って来たので忘れてしまいました」と言う事だった、
玄関前の狭い範囲に大きな柿の木が2本あってこのような樹なりの花がびっしりと植えてある、しかしその女性の話だと「柿木以外は鉢植え」だそうだ、
直植えだととんでもなく繁殖して大きくなってしまうので鉢植えにしていると言う事だった、
柘榴の方は少し前にバス通りに張り出すようになっているのをみて一旦降りて写してきた、私は柘榴と言う果実が好きである、が食べた事は無い、
あの形が好きなのだ、もう少し色付いて赤みが深まり相対的に黒の模様が落ち着いてくる方が好きなんだがこの写真はまだ若い、
観音様が鬼子母神に渡した果実と言われているが元の話では「果実」どされているだけで柘榴になったのは日本に入ってしばらくしてからだと聞いた、
鬼子母神と言えば雑司ヶ谷が有名で都電で行った事も有るが江戸時代有名なのは「恐れ入谷の」鬼子母神だがこっちは未だ行った事は無い
涼しくなったので行ってみるかと思っていたらまたまた27度になってしまった、最近季節のメリハリがおかしくなって来た、
いきなり夏から冬に、冬から夏にと言った塩梅で行ったと思ったら一日で逆戻りしたりやたらに「記録をし始めて初めて」の記録ばかり、兎に角着るものも大変だし体が付いていかない
まあ暑いより寒い方がやり過ごすにも容易だからありがたいが落ち着くのは未だ少しかかりそうだな

アメリカ国民はいてもアメリカ人はいない、レイシストの愚かさ

2017-10-09 07:56:52 | 雑記
アメリカ国籍を持つアジア人の女性が旅行先で酷い差別と侮辱を受けたという、
レイシストはおそらく白人だろう女性のようだが彼女は知識と理解力に大きく欠けている、
「アメリカ人は他の人種からとやかく言われる事はない」と言ったと記されていたが彼女はアメリカで生まれたアメリカ国籍だという、
「アジア人はだめだという事だ」とメールが来たそうだがアメリカ国民というジャンルはあっても「アメリカ人」と言う人種はいない、染色体やDNAではアメリカ人は存在しないのだ、
敢えて言えば一般的に「ネイティブアメリカン」つまりインデアンなんだが人種的にはモンゴロイドらしい、
今の白人たちは自ら言わせれば「開拓者」で正確に言えば侵略者である、
南米大陸には原住の人種がいるがこれも白人たちから言わせると「ヒスパニック」と言う事になる、どうもこの言葉にも侮蔑の意味合いがあるように聞こえる、
白人たちからすると「カラード」と言う括りで肌に色がついている事が劣等人種、中には下等な猿とすら言う連中もいるらしい、
生物学的に言えば肌に色がついているのが正常で色が無いあるいは薄い個体は「色素欠損症」(アルビノ)である、まあ人類がそう言う区別をするかはわからないが、
アメリカとしても他のアメリカ国民としてもこの事件は認められないとして罰金刑になったと言うが現大統領もどうも同じ臭がする、
人が人を牛馬以下に扱い商品として売買したというアメリカの歴史は南北戦争で改められた筈だが未だに水泳選手は出てこない、
第二次大戦の終末期東京大空襲、各都市の艦砲射撃や絨毯爆撃に始まり原爆投下を見てもあの当時のアメリカ人(国民)の軍部を筆頭に中枢を担う連中にはやはり「幾ら殺しても構わない」相手であり「人間として認めかねる黄色い猿を殺す」事は「人道にもとる」ことではなかったのだろうと考えてしまう、
そしてそれは又最近のアメリカ国内の閉塞感から不満の捌け口として拡大しているようだ、日本国内にも同じようなレイシストが台頭しているがよく見直してみるが良いだろう、白人社会においては日本人も中国人も韓国人も同じような「劣等人種」でしか無い、
愛想が良いのは草刈り場としてのメンテナンスの一環でしか無い事を理解し同族と纏められている者同士で憎み合うことは彼らにすこぶる都合の良い行動でしか無い、
そう考えれば慰安婦像をアメリカ、カナダの都市に設置させるのは「内輪揉め」を煽り相互扶助を妨害して漁夫の利を狙っているとも考えられなくもない、
現核保有国以外が核兵器開発に強硬に異議を唱えるアメリカは自らの兵器削減には言及しない、核廃絶国際条約に反対する立場を取り続けるアメリカが他国が核兵器を持つことに異議を唱えるのは身勝手な論理矛盾がある、
まず「核兵器廃絶」の条約を批准し、自らも廃絶のスケジュールを示す責任がある、
無論北朝鮮が核兵器を保有することを容認することではない、それこそ「キチガイに刃物」(不適切言語だがこれがだめというなら日本語の文化はどうにもならなくなる)だ、
力の均衡で対等な関係をというのなら素手で話し合うのが正しい、力の均衡は更に力の増強競争になるだけだろう、


親父が燃やした本と課外教科書

2017-10-07 17:24:10 | 昭和の頃
私が未だ小学校に行っていなかったので恐らく昭和27年か28年頃、東京で働いていた次兄が戻って来た事が有る、
ほんの数か月だったと思うが親父の炭焼きを手伝っていたが有る事で親父と大喧嘩の末出て行ってしまった、
後で長姉に聞いた話だと兄が持って来た本を親父が燃やしてしまったためだと言う、
その本が「斜陽」だったと思っていたのは思い違いで「挽歌」だったらしい、
どんな本か解らないので調べたらその頃大変売れて映画にもなった本らしいが内容があまりわからない、
幼い頃娘の足に生涯残るけがを負わせその負い目から彼女に対して何も言えない父親と足に生涯のある女性の話らしい、
その何が気に食わなかったのか「こんなもんをよみゃがって」と激高した親父が風呂の焚きつけに放り込んだと言う、
6腹違いの兄は16歳上だから計算では20か22、大喧嘩の末そのまま町まで歩いて東京に出たそうだ、
私の父親は上の兄弟から頗る評判は良くない、理屈っぽくて激高傾向が有る、プライドが高いのに子供達に金の無心を平気ですると言う話は私が30代になってから聞いた、
しかし中学校の頃から親父と二人の生活をしていた自分としてはそんなにひどい親だと言う記憶は無い、
お袋が死んでからは寂しかったのだろう、家にいる時は殆ど酔っぱらっていたので会話も殆ど無かった、その頃は未だ娯楽と言えばラジオだけの時代、裸電球の下で黙々と酒を飲んで寝てしまう暮らしが3年続き自分は東京に働きに出てしまったので親を大人として評価する様な期間は無かった、それが幸いして他の兄弟の様に「酷い親だった」と言う様な思いを与えなかったのだろう、
次兄がその時持って来たもう一冊の本は「リーダースダイジェスト」だった、今の文庫本よりひとまわり大きな紙質も良くない本だったがその装丁が娘道成寺の鐘入の絵だった、
蛇になった清姫が鐘の上に載っている彩色画でその意味を兄から聞いて「安珍と清姫」と言う話と歌舞伎と言う物を知った、
親父が何で「挽歌」にそれほど怒ったのか全く分からないが「リーダーズダイジェスト」の方はそのまま何年か我が家にあった。
それから何年かして今度は長姉が体を壊して暫く家に居た事がある、私が小学校の後半、多分5年生くらいだったと思う、私と姉は8歳違いなので多分22歳か23歳のころだろう、
中学の頃膵臓炎を発症したが症状が安定していたので鷲津の倉敷紡績に集団就職をしたのだがやはり体力が持たず結局浜松でホステスをしていたのだが更に悪化して自宅療養と言う事になって赤貧状態のあばら家に戻って来た、
この姉が持って帰った本が「平凡」数冊と「笑いの泉」と言う写真雑誌、わかる人にはわかる本である、
小学校高学年の私には実に有益な本で何人かの同級生や上級生と冬の乾いた田圃や川の竹藪に作った「隠れ家」で回し読みをした、その他にもその手の雑誌が有ったが名前は覚えていない、
どうも我が家の兄姉は男女で入れ替わったような塩梅の愛読書だった様だ、
何方かと言えばこっちを燃すなら解るがこの本の方は普通に家に転がっていたので親父の考えている事が理解できないが時間の関係だったのか
まあそれも殆どは鬼籍に入ったのでもう時効だろう、もっとも姉の方未だ生きてはいるがかなり記憶も会話も怪しくなっているので良いだろうと言う事にした、
読んだ本を思い返していて読書の原点を考えていたら漫画以外だとこんな所になってしまった、まあ、実にませた餓鬼だった訳だな

ノーベル文学書と無料電子ブックの話

2017-10-06 17:01:34 | 雑記
今年のノーベル文学賞をイギリスに帰化した「カズオ・イシグロ」氏が受賞したと言うニュースが流れ、早速本屋の店先に彼の本を平積みする画像が流れていた、
この画像を眺めながら(昔からこんな画面を良く見るな)と考えていた、
直木賞でも芥川賞でも受賞と言うと挙って多くの人が買い求める、まるでそれが「ファッション」の様に手に取ってゆく、まあそれでも本を読む人間が増えるなら結果的に良い事なんだろうが妙に釈然としない部分が残るのは自分がひねくれているのかも知れない、
多分私はこの本は暫く読まないだろうと思う、付け足しの様に「また今年も村上春樹さんはノーベル賞を逃しました」と言っていたのでこっちを読んでみるかと思っている。
この作家はファンが多いらしい、「世界的にも人気が有る」作家らしいが何となく読まないで来たがこの際に読んでおこうかと思い立ってkindleで検索してみた、
因みに私はここ2年位紙の本は読んでいない、タブレットの前は電子ブックで読んでいたがタブレットを買い替えた時に女房に渡した、女房もどっぷりと浸かっている。
一つはネットのブックセンターが複数増えて来て競争が激しくなり無料の本が増えた事、
家でも移動中でも喫茶店でもすぐに手に入る事やポイントがたまり、更に時々割引セールもあると言う事で本屋さんに行っても試し読みをした後ネットで買ったりしている、此れでは本屋さんも大変だなと思いながら結局買わない事になっている、申し訳ない。
きっかけになったのはかなり昔だが「氷点」と言う小説が大流行したことがあり其の時には氷点のハードカバーを小脇に抱えて街を歩くのが若い女性に流行ったことがある、
小学校の頃から本好きの自分としては「買った本を枕に熟読ではない積読」と言うジョークは笑えたがファッションに抱えると言うのはあまりに軽薄で同一視されるのが嫌でつい買いそびれてしまった、
その後芥川賞の本も何点か読んだが「限りなく透明に近いブルー」位で芥川賞の選考基準が自分に合わないと言う事に気が付いてほとんど読まなくなった、
電子ブックに「青空文庫」と言うのが有って未だ無料本がないころは此処で拾って読んでいた、無料なのであまり新しい物は無く大体版権の終了したものをボランティアが電子化しているのでそれほど長くない文学作品が並んでいる、
10代に読んだ太宰治を再度読み直してみる、「人間失格」と「桜桃忌」は読んだので「斜陽」を読んでみたが今度は結構素直に読めた、続いて「富岳八景」を読むが此れもそれほど暗い本ではない、「火花」の又吉氏が何度も読んだと言う「津軽」は彼の自己嫌悪がちりばめられた本でやや暗くなる、
兎に角無料だから結構乱読が出来る、充分有名だがストーリーは知らなかった代表格の「金色夜叉」とか「大菩薩峠」なんかも読んでみる、大菩薩峠は未だ何巻か残っているが一旦置いて古典の「土佐日記」に行き「墨東奇談」を読むと言った具合だが流石に村上春樹の本は無料では無かった、サンプル読みで20~30頁読める所で読んでみるがなんかエッセイみたいで(「ノルウェーの森」を読んでみないとダメかな)と考えているが
と言う訳で受賞作品と「カズオ・イシグロ」氏の作品は未だまだ先になりそうだ

資産課税の試算、拝啓森永卓郎様

2017-10-03 08:22:04 | 雑記
「国民総資産とは、家計・企業・金融・公共の各部門の合計で2003年末で国民総資産は8144兆円とされています。」2017年にはこの倍くらいになっていると思いますが直近が見当たらなかったので取りあえずこのままで計算します、(去年の個人資産は1800兆円)
今年の国家予算は歳出総額が97兆4547億円となっています、これを資産合計との割合を出してみると0.0194となり約2%と言う事になりますが税収予算は57兆7120億円なので税率で言えば0.707%と言う事になります、
つまり資産課税にすれば0.7%で国家予算の税収は賄えると言う事になる、つまり消費税も源泉所得税も法人所得税も無しになる訳です、
仮に個人資産の内債権を引いた資産が2千万円以下を非課税にしても恐らくこの金額はそれほど変わらないでしょう、
仮に3千万の純資産が有ったとしても税額は年間21,260円ですので全く収入が無い方以外は現在より明らかに税額は下がります、
個人資産の殆どは高額資産家と大企業が占めている筈で企業は中小以下と個人商店や個人事業者は借り入れが資産を上回っている事は間違いありません、
現在の国家予算には国債の償還が30%近く含まれているので償還が済めば更に歳出は下がって来るはずです、
現在個人所得税は最大で45%、法人所得税は最大で25%ですが此れが資産の0.7%となればトップ100社程度が全税収の半分位を負担する事になるだろうが決算会計で納めていた45%が無くなる訳だから純利益が資産合計の50倍までは今より税引き利益は増える事になるはずです、
一方中小以下の企業は原則ゼロになるでしょう、その分をどこが払うかと言えば当然債権を持っている金融機関が負担する事になりますが個人の預貯金は金融機関にとって負債扱いだから今までの様な低金利だと税金が増える事になります、
此れこそ健全な資金の循環になるのではないかと思うのですがこれは全くの素人考えですので専門家から「これは絵空事だ」と言う意見も有るでしょうが是非専門家の意見を伺いたい元思います
出来れば森永卓郎氏が有難いんだが、あの人ならぼろくそに言われなさそうだ