梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

経済黒字の恩恵を享受するのは国民でなければ

2016-02-08 11:08:48 | 雑記
オリンピックの総予算は東京都が3兆円と言う、国の予算は「2兆円程度」だと言う、担当大臣は「解らない」そうだ、あと5年弱、まだ何もしていないどころか予算額が「解らない」状況でオリンピックを誘致する意味があるのだろうか、
申し訳ないが私はオリンピックそのものには全く興味がないが数兆円の支出には「興味がある」と言うより本心反対である、この金があればどれだけ多くの貧困家庭が救われるか、問題になっている学校の耐震化がどれだけ解消するか、少子化対策に廻せば待機保育がどれだけ解消するか、そもそも「消費増税」が不要か先伸ばせるか、
運動系の人達は大賛成だろうが別に日本でなくとも4年に一回はどこかでやっているし世界陸上も水泳もあるのだから日本で開催にこれだけの予算を廻す必要もあるまい、
この税金がどこに廻るか、ほとんどの予算は建築業界に廻る、観光業界も潤うと言うかもしれないがホテルも交通もたった半月に集中するだけでその受け皿はおそらく一気に価値を下げる、継続して観光立国にと言うならオリンピックがどの程度貢献するかすこぶる疑問だろう、
武器三原則を改悪し日本が武器を輸出できる体制を整える、政府は「これで日本の経済力が上がる」と言うが武器を輸出する事で潤うのは武器製造会社と大手商社だけで国民全体が潤う訳では無い、「貿易黒字は経済力の押し上げ」だと言うなら国内消費から税金をとる方向に間接税を上げるより法人税を上げる、少なくとも下げないのでなければ「経済力」は上がっても貿易黒字を貯め込んだ企業や商社はさらに潤うだけだ、国家収入は恩恵を受けない庶民が消費税で負担している、これを「国の経済が潤う」と言うのは詭弁にもならない、
東南アジアに「原子力発電所」を輸出する方針だそうだがこれは特殊技術のある一部の大企業が現地の労力使って行う、当然此処で外資を稼ぐ企業の利益は国内経済に何の恩恵ももたらさない、さらに海外に別会社を作れば法人税すら入って来ない、
原発は3・11で未曾有の災害をもたらして近隣の住民は故郷を失った、ソ連のチェルノブイリも無人の荒野になったままだ、国内の再稼働は多くの国民の反対で暗礁に乗り上げている、無論それを無視して再稼働が始まっているし政府は更に進める方針の様だがドイツもフランスも「原発は採算に合わない、生命の危険を排除できない」としている、それでもインフラの遅れている国は地域毎に小規模原発を置く事が経済的に有効だと言う事らしいがすでに工業は飽和状態にあり国内の配電インフラが整った国は生命の危険を冒してまでそのエネルギーを求める必要はない、
危険とエネルギーをパッケージにして売り出す、イデオロギーを選ばず武器を売り込む、まさしく死の商人だ、短距離ミサイルと迎撃ミサイルを同じ製造国が売り込むなんぞはまさしく「矛盾」の中国武器商人だ、
アメリカの企業利益の半分程度は武器関連だと言う、その為には世界のどこかで常に紛争が起きていなくてはならない、国内の銃メーカーの言う「銃を持つ不法者に法を守っていたら抵抗出来ない」と言う理論と同じ言い方だがまさしく「マッチポンプ」の理論だ、火事がなくなったら消防署の意味がないから放火すると言う様なものだ、日本はそう言う国家経営をしてこなかったが明治維新の後自己肥大から暴走し敗戦と言う洗礼を受け一旦は元の日本に戻りかけたのだがまたぞろ魑魅魍魎が動き出している、格差社会が広がれば逆にこれからの世代が新しい日本を育ててくれる事を期待しようか

団塊の世代が守らなければならないかもしれない

2016-02-05 13:54:38 | 雑記
大田区で男の子、埼玉で女の子が命を絶たれた、ともに若い母親の家に男が住み着いてその挙句の凶行だった、幼い子供に対する暴行殺人事件が後を絶たないどころか年を追って増加している、
大田区の男はまだ20歳になったばかり、写真を見ても全く幼い顔だ、コメントを見ても全く反省の色は見えない、母親もとめたが一緒に暴力をふるわれていたと言う、山口組系の暴力団の準構成員だそうだ、「やくざ」関西では極道と言う、江戸では侠客ともいった、どちらにしても「男」を商売にしていた筈だった、俗に「弱きを助け強きをくじく」と言うのが看板だった筈だ、無論そんな事を云っていたら飯が食えないし喧嘩が強くて気が短い奴がそのまんまで飯が食える訳もない、ましてや親分なんかやって行ける訳もない、
しかし付き合って見ると単純な人の良い極道は結構いて貧乏人には危害を加える事はあまりなかった、当然メリットがないからだが、
このチンピラは「弱気を助け」どころでは無いまったく抵抗のすべを持たないわずか3歳の子供を100kgを超える図体で執拗に暴行を加えたらしい、このケースでは母親がかばって暴行を受けていたらしいがその前にあった事件では母親が一緒になって子供に暴行を加えたと言う、何も出来ないで全てを委ねいつも、どんな時も必ず守ってくれる母親が自分を攻撃する、どうしたらいい?なぜ?恐怖と絶望、そして苦痛、
彼女、彼らはなぜそんな事が出来る?子供を育てる為に自らの生活は犠牲にする、いやそれは犠牲なんかではなく義務であり同時に喜びだったのではないのか、「虐待する親は幼児期に虐待を受けた人が多い」と言う話も聞く、しかし虐待を受けていた時彼らあるいは彼女らはどう思った、おそらく辛かっただろうし乗り越えた後は理不尽な親のふるまいを恨んだのではないのか、辛かった事を自分の子供にすると言うのは一体どういう心理なのか?心理学者と言う連中は統計から傾向を導き出しているのだろうが人の心は分析できるものなのか、分析から何を得られどう役に立つと言うのか、虐待親からはまた虐待する子供が育つと言う事がそうでは無い両親に育てられた子供より何割か多い、などと得々と述べられても「ふ~ん、でそれがどうした?」と言う程度のものだ、それより近代になって増えてきたその傾向をどうすべきかを考えてほしい、それは偉い学者さんでは出ないだろう、そう言う問題は「「そうでは無い」家庭から発生ししかも増え続けている、
考えなければならないのは知識人と言う一握りの人間ではなく普通の生活を送る、或いは貧者と言われる人々の中から自発的に行わなければならない、我々の世代はほんの少し前、なぜこんな風になってしまったのか辛うじてそう言う事がなかった我々の世代が足元を見直し、取りあえず自分の家族からは排除する事からするしかないではないだろうか