20年位前に住んでいた所の近くに「居酒屋」と言う名前の居酒屋が有った、(未だ有る)脱サラで始めたと言う一見セールスマンの様な親父が1人でやっていた、兎に角安いので大体週末はそこで飲んでいた、住宅街にポツンと有る店で近くに安アパートや会社の寮が有るのでメンバーは大体同じなので直ぐ知り合いになる。引っ越すまで12年ほど通ったのだが引っ越した後もそれ程遠くなかったので夫婦で1年位通った、しかし飲み終えて歩いて帰ると20分程度が面倒になったのでタクシーを使い始めたら飲み代と帰りの交通費が同じ位になった所で河岸を変えてしまった。
ある時仕事でアメリカから来たエンジニアを何処かに連れて行く事になったので鎌倉に連れて行った、確か成人式の日だった、北鎌倉の紫陽花寺の近くでミニ会席でヒルを取ったのだがどうも彼らには何処には入ったか解らない様な量だ、「自分が普段言っている所に行ってみるか?」と言ったら「是非行きたい」と言う話になった、先に言っておくが私は英語は単語の羅列位しか話せない、しかし仕事で彼らと通訳なしで日本中を移動して居たので意思の疎通は出来た、面白い事に素面よりお互いに酔っぱらった方が会話は通じる、先に知り合ったのが黒人で初めて名古屋で会った時連れて来た通訳は「用事が有るから」と帰ってしまった。仕方ないので取り合えず解る「ディナーナウ?」とホテルのレストランに行き食事前に飲み始めたのだがそのまま二人とも酔っぱらってしまった、会話自体は覚えていないのだが”彼は34歳で自分より一回りも体が大きい妻と自分の母親、それに娘が二人いて14歳と16歳で、100年近い古い家に住んでいる、風呂は2カ所ある、”とか、”その家賃が円にに直すと今自分が借りて居る3DKより安い、”とか”白人が肌の色で我々を差別するのはそれしか誇れるものが無いからだ”とか、遅くまで盛り上がったが具体的に何語での会話だったかは覚えていないがしっかり成り立っていたんだろうな。
もう一人は背の高さが2mを超えるウッドマンと言う髭を蓄えた金髪の白人で居酒屋に連れて行った、「お前の普段食べて居る物を出してくれ」と言うので親父が面白がって色んな物を出す、一々「此れは何だ」と言うので説明するのだがモツになって辞書を調べると名前が肝臓だとか心臓だとか実に解剖学的な名前になる、それでも「旨い」と言いながら日本酒を随分飲んだ、タクシーでホテルに送らせたが、翌日成田に送って行った通訳が後で「何を喰わせたんだ」と言う、「何でも旨かった、鎌倉よりずっと面白かった、彼の出した物で2つだけ無理に飲み込んだ物が有る」と言って居たが一つは恐らく烏賊腑のホイル焼きだろうが後はとうとう解らない。
黒人の彼はワサビが気に入ったと言って居たのでチューブワサビを持たして帰した、彼曰く「メキシコ料理の辛さはホットだが此れはシャープだ」と言って居た、あれから20年も経つ、彼の家はダラス、もう会う事も無かろうが会えれば会いたいものだ。
此の居酒屋で「客が置いて行った」とカウンターに置いてあった鉢を貰って来た、鈴蘭水仙と言うらしい、花の大きさは1cm位しかない。
ある時仕事でアメリカから来たエンジニアを何処かに連れて行く事になったので鎌倉に連れて行った、確か成人式の日だった、北鎌倉の紫陽花寺の近くでミニ会席でヒルを取ったのだがどうも彼らには何処には入ったか解らない様な量だ、「自分が普段言っている所に行ってみるか?」と言ったら「是非行きたい」と言う話になった、先に言っておくが私は英語は単語の羅列位しか話せない、しかし仕事で彼らと通訳なしで日本中を移動して居たので意思の疎通は出来た、面白い事に素面よりお互いに酔っぱらった方が会話は通じる、先に知り合ったのが黒人で初めて名古屋で会った時連れて来た通訳は「用事が有るから」と帰ってしまった。仕方ないので取り合えず解る「ディナーナウ?」とホテルのレストランに行き食事前に飲み始めたのだがそのまま二人とも酔っぱらってしまった、会話自体は覚えていないのだが”彼は34歳で自分より一回りも体が大きい妻と自分の母親、それに娘が二人いて14歳と16歳で、100年近い古い家に住んでいる、風呂は2カ所ある、”とか、”その家賃が円にに直すと今自分が借りて居る3DKより安い、”とか”白人が肌の色で我々を差別するのはそれしか誇れるものが無いからだ”とか、遅くまで盛り上がったが具体的に何語での会話だったかは覚えていないがしっかり成り立っていたんだろうな。
もう一人は背の高さが2mを超えるウッドマンと言う髭を蓄えた金髪の白人で居酒屋に連れて行った、「お前の普段食べて居る物を出してくれ」と言うので親父が面白がって色んな物を出す、一々「此れは何だ」と言うので説明するのだがモツになって辞書を調べると名前が肝臓だとか心臓だとか実に解剖学的な名前になる、それでも「旨い」と言いながら日本酒を随分飲んだ、タクシーでホテルに送らせたが、翌日成田に送って行った通訳が後で「何を喰わせたんだ」と言う、「何でも旨かった、鎌倉よりずっと面白かった、彼の出した物で2つだけ無理に飲み込んだ物が有る」と言って居たが一つは恐らく烏賊腑のホイル焼きだろうが後はとうとう解らない。
黒人の彼はワサビが気に入ったと言って居たのでチューブワサビを持たして帰した、彼曰く「メキシコ料理の辛さはホットだが此れはシャープだ」と言って居た、あれから20年も経つ、彼の家はダラス、もう会う事も無かろうが会えれば会いたいものだ。
此の居酒屋で「客が置いて行った」とカウンターに置いてあった鉢を貰って来た、鈴蘭水仙と言うらしい、花の大きさは1cm位しかない。