梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

大雄山最乗寺大晦日

2010-12-26 08:27:07 | ぶらり
小田原を少し北に行った所に大雄山最乗寺と言う寺が有る、禅宗の古刹で小田急線に「大雄山線」と言う支線が有る位だから結構大きな寺だ、しかし「門前市をなす」と言う言葉も有るのにこの寺付近は全く閑散としている、駅からかなりの距離が有るのでバスが出ているらしい、初詣には臨時バスでも出て居るのだろうか?。参道は駅から少し上がった所から続く、杉の古木が多い曲りくねった道でかなり狭い、坂もかなり急で軽四輪だとセカンドとサードが頻々と入れ替わる。参道の右側を登り詰めると左側にさらに狭い取り付け道路が有ってこの上が駐車場だ、その手前に4・5軒の茶店風の店があるが食べる物はソバか味噌おでん位、お土産も袋に入った山ゴボウの漬け物と時期に拠るが「むかご」が有る。寺域は広いが建物は余り無い、そのかわり1棟づつは実に大きい、仁王門が有るが此れは本堂から少し下がった所にあるので車で行ってしまうと見落とす事になる。歩きで来るとかなり時間が掛かりそうだが鬱蒼とした針葉樹の中を来るのでその方が良い。麓から本堂までは車道も賛同もこの鬱蒼とした森の中を来る、山全体が古い森の中に有って空が見えるのは本堂前の庭だけなので本堂に着くと突然明るくなる、
本堂に向かって左手に三重塔がありその裏側に階段が続く、此の上に奥の院が有るらしい、途中まで登ったが女房の靴の具合が悪く途中であきらめた、見上げる様な階段が有ってやっと登り切ると少し広場が有って又階段が続く、3回ほど頑張ったのだが4回目の広場の先に今までより更に長い階段が見えた時点で諦めた。この寺も大晦日に行ってみた、今夜から初詣で人出が始まるのだろうがやはり今はだれも居ない、大抵そうだったが此処は顕著で居た時間が30分程度とは言えまったく誰にも会わなかった、寺の人とも参詣者とも全く合わずこんな大きな寺の無人状況は貴重な体験だった、

大宮氷川神社大晦日

2010-12-25 08:51:41 | ぶらり
去年の大晦日は大宮の氷川神社に行った、JR京浜東北線を利用していると「大宮行」が多いのだが今回が初めてだ、自分は上京して40年近くたち女房は生まれてこの方東京なのに2人とも初めて行く、「大宮と言う位だから大きな神社が有るのだろう」と言った程度で今回地図を見て大きな神社が有って此処を中心に発展したと言う事を知ったくらいだ。
終点で降りて駅前から案内を見ながら神社に向かう、街中を10分程度歩くと参道入口につく、参道はかなり長く幅も広い、両側に欅の老木がずっと続く、行ったのが大晦日の午後なので一般の人より夜店の関係者の方が多い、テントを出して前暖簾におでんとか甘酒とか焼き鳥と書かれた赤い文字が並ぶ、幾つか透明のビニールシートで覆われたテーブル席が設えれれていて女性達が煮込みを始めている、このざわざわとした雰囲気が好きに成った、恐らく除夜の鐘頃からこの参道は足元が見えない位に成るのだろう、しかし今は参道の石畳を歩く人間は殆ど居なく両脇でテントの設営から電灯のセット、荷物の搬入や料理の煮込みをしている人達が殆どだ、
突き当たりの神社近くなると板と荒縄で足元の段差を無くしている、御神籤や破魔矢も置いているが流石に今日買う人は居ない様だ、当然我々も買わないで帰るが来た以上は御参りだけは済ませて来た、中々いい雰囲気の神社なので又来ようかと言いながら結局行っていない、今年の大晦日は何処に居るのやら。

最近家にいついた黒猫は愛嬌が有る。


年末の記憶

2010-12-24 09:40:56 | 雑記
15から上京し、2年を待たずに帰る家が無くなった、結婚した姉の家はやはり居心地は良くない、親しい友人の家に居た事も有る、しかし幾ら歓迎してくれても正月早々他人の居るのもやはり居心地は良くない。ある時友人の家に行ったら友人が高校の弓道部に所属していて初練習だった事が有る、彼の両親も歓迎してくれたがまさか友人本人が居ないのに居るわけにも行かない、後で又連絡しますと一旦彼の家を出て自分の家が有った村に行ってみた、彼の家からはバスで乗り換えて20分位の所だが2時間に1本位しかない、バスを降りてみると村は正月で外には誰も居ない、昔の農村の元旦は大抵そんな物で子供達も親から「元旦から金を使うと一年中金を使うように成るからお年玉は2日から使え」と言われていたので子供も外には居ない、どんよりと曇った空と自分の居場所の無い故郷は妙に寂しかった、この時「寂しきは人一人居ぬ我が村のその空重き年初めかな」と読みそれから毎年暫く年末に読んだ。
19歳から映画会社の食品部に職を替えたのでそれから7年程は正月が無い仕事になった、しかし年末と正月が困ったのは今とは違いコンビにも食堂もほとんど休んでいる事だった、蕎麦屋は年越しを終えると休業に成る、寿司屋しか開いて居ないのだ。仕方ないのでインスタントラーメンを買込んでおせち料理を買って置いて其れで過ごす、やはり友人や先輩が声を掛けてくれたが結局一人で過ごした、その頃が此れ「三界に帰る家もなし年の暮れ、浮世世間に鬼は無くとも」そして29の歳「今年こそ今年こそ今年こそはと思いつつあすはみとせの声を聴く春」その後はどんな物だったか覚えていないがそろそろそんな生活に慣れたのかもしれないし諦めたのかもしれないが当時に比べれば今は充分幸せなのかもしれない

壁に秋に名残

2010-12-23 16:18:38 | ぶらり
本日は休日、天皇誕生日と言うのは5月の連休だったが今は12月、年末迫った時期なので余り座りが良くないが兎に角相手も休んで居るので営業的には休みだ、、実に良い天気になったので今回も一駅歩いて買い物に出かける。街は年末の雰囲気でざわついた感じがする、小いが古い水神社と言う神社が正月対応か一杯に提灯と幟が立っていた。線路沿いの道を次の駅に向かって歩く、小道は線路と平行しているがついたり離れたりしている、準工業と言う地域なのだが昔からの工場と古い家に混ざってマンションも建っている。古そうな工場の壁に蔦が這って居て既に葉が落ちて葉脈の様に張り付いた様が面白い、



少しすると小さな川が暗渠になってその上が遊歩道になった所に出る、狭く曲りくねって居るので地元の人達しか歩かないのだろう、綺麗に手入れがされて居た。小さな花が植えられているがマーガレットと金魚草位しか解らない。刈り込まれたボケの枝に小さな花が開きかかっている、白と赤の2色の様だが半分の花弁が白と赤になった花が多い、開き切った花は赤が多く蕾は白が多い、開きかかった花が2色なので酔芙蓉の様に徐々に色が変わるのかもう一度来て見ようかと思う。買い物はテーブルタップだったのだが電気の安売り店なのに一階に行ったら食品や雑貨も売っている、女房が「此処は安いよ」と言うのでティッシュと洗剤を買って来た、此の店はしょっちゅう来るのだが駅と繋がって居るのが二階なので下に降りた事が無かった、もっとも歩きだから安いので有って例え一駅でも電車に乗ったら同じかすこし高くなるのでわざわざ来る事も無いだろう、昨日が冬至だったので今日からは日が伸びて来る訳だが4時半頃には日が沈んで行った、やれ年末だ、越すに越されず越されずに越すと行った所か、


冬の江ノ島

2010-12-22 08:32:40 | ぶらり
やはり大晦日だったと思う、鎌倉鶴岡と江ノ島を納め詣でに行く、鶴岡八幡は綺麗に清められて最後の準備で忙しそうだったが結構参拝者も居る、お参りを済ませると小町通りでお茶を飲む、八幡の方から入って少し行くと左側に鎌倉ソーセージと地ビールを飲ませる小さな店が有って時々此処に寄る、女房はタバコを吸うが最近は煙草の吸える所が少なくなった、この店には表に灰皿と椅子があるので此処で休むのだが自分は吸わないのでソーセージのセットと地ビールを取る、車だと此れが出来ないが手放したので此れが出来る様になったのは有難い。少し休んでから江ノ電で江ノ島に向かう、心なしか人は少ない感じがするがそれでもそこそこの人出である、此処でも江ノ島神社に参り有名な裸弁天を見て更に裏の岩屋まで行ってから戻る、江ノ島丼と言う店があったが今日は少々食べすぎなので止めておく。かなり前江ノ島神社に初詣に来た事が有るがお参りの順番待ちで1時間以上が掛かり寒さから小用が近くて参った記憶が有るが今日は閑散としている、準備に忙しそうな人が行き来しているのが目立つ時間で此れが好きで大晦日に彼方此方廻る、海産物を食べさせる店を過ぎて橋に掛かった頃夕陽が落ち始めて遠く富士山が見える。帰りは江ノ電ではなくモノレールで大船に出る、懸垂方では恐らく一番古い営業路線だと思う、大晦日は此れからだが我々は駅前の酒場で少し飲んで寝てしまう、除夜の鐘は此処数十年聞いたことが無いな