大善寺はぶどう寺として有名だ、甲州街道の笹子峠を過ぎると盆地に降りきらない所に有る、此処に行ったのも大晦日ではないが多分29か30日頃だったと思う、周りは殆ど葡萄畑で冬の時期は上から見下ろすと四方に延びた枝が面白い模様を描いている、川を挟んで向かい側の山肌に中央高速の高架橋が見えてひっきりなしに車が通っている、この寺の少し先に慶徳院入口と言う道案内が有り此処を左に上がってゆくと武田勝頼最後の場所に向かう。此処を通り越して更に上がってゆくと一軒宿の嵯峨塩温泉と言う宿が有る、彼此れ35年位前に飲み仲間と忘年会をやった事が有る、今でもある様だが当時は地元の人しか知らない鄙びた宿でむさい男達が7人ほど泊まった時は他の客は居なかった、面白かったのは此処の料理で箱膳が一人当たり4台(単位は此れで良いのか?)出て来た、そこに小さな器がびっしりと並んでいて数えると20種類を超えた、無論各々1口で食べ切りそうな物で殆ど煮物や漬物だったが此れがうけた、酒を飲むのに丁度良いのだ。この時代は喫茶店で知り合った仲間と毎年数回泊り込みで飲みに行った、北は北海道から南は熊本まで、仕事も電気屋、ペンキ屋、タクシーの運転手、食品会社の営業、金型工とバラバラで更に喫茶店のアルバイト女子が3人居たので短大生、美容師と言った仲間だった、何時も週末は喫茶店に集まって遊ぶ事を相談していたのでマスターが「悪童連中」と呼んでいたので此れを頂いて「悪童連」と言うグループ名を決めて未だに時々「K悪童連」として旅館を予約して飲み会をやったりしているが流石に今集まるのは4人位になった、女子はもう言いお母さんだ、北海道は帰ってしまい集まる連中も山梨と埼玉と都内が住まいだ、その頃は悪童連の各自の田舎を順番に廻る、と言っても北海道と熊本、宮城県は難しい、茨城が居たが余り行くところが無いと言う事で自分の田舎静岡の西側、そして今でも付き合っている奴が塩山なので山梨が多くなる、お陰で山梨の旅館で一軒宿に多く行った、又再訪したいのだが女房とその友人が魚好きでツイツイ近くに出かけると伊豆と房総が多くなる、鄙びた温泉も良いが中々行く機会が無いな