梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

民主党と検察

2010-01-16 10:30:50 | 日記
秘書が逮捕された、鈴木宗男議員が言っていたが任意にも素直に従い逃亡する恐れは無いだろうし、家宅捜索までして本会議直前の逮捕は違和感がある、一方検察の論調は「証拠隠滅の恐れ」と自殺の危険も視野にと匂わせたコメントだったが、如何にしても自民党時代に比べて迅速すぎる感は否めない、確かに小沢一郎氏の印象は自民党以来、新党結党も民主党になっても一癖も二癖も有る感は強い、しかし自民党時代から「官僚主導の政治は国民の為にならない」と言う意見を標榜している、まあ特に検察にで意味が若干偏っているかもしれないが、民主党が「官から民へ」と言う旗を揚げている事に関して官側から「出来るものならやってみろ」と言った風評も聞えて来ている、しかし政権を取ってかなりの英断を行う民主に対して官の恨みは骨髄だろう、無論有る一定の高級官僚だし末端は非常に大変だと言う事も聞いているが、検察はその官の「軍隊若しくはゲシュタポ」とも言える権力を持っている、優秀な知識、(知恵ではない)を持って論理武装し、警察の管理組織としての武器を持っている、此れを使った官の反撃だと言うのは穿ち過ぎか、夏の選挙で自民が勝って捩れからから解散→自民政権となれば又官僚の思うが侭になりそうだ、本当の意味で三権分立を如何に実現出来るか、国民の自覚が必要な時だ、我々も含めて何時も不満を言っているのに実際には何もしない、あるラテン系の外国人が「日本では何で暴動が起きないのか解らない」と言っていた、暴動なんぞは言い訳は無いが、何もしないで不満だけ言っているのならそれこそ官僚にとっては草刈場だろう、税金で特法を作り2~3年で移動して国民の平均年収の4~5倍の退職金と倍以上の年収を得ている、此れを何とか出来ないのは国民の怠慢だと言われても仕方が無い、税金と公的年金の様な強制収受の物を裁判所に供託できないだろうか、民間では納得行かない支払いは「支払う意思は有っても納得出来ない場合」は供託すれば未払いにならないのだから税金年金も供託したら不法行為では無いと言う処置ぐらいしてくれ

小沢一郎氏

2010-01-15 08:36:15 | 日記
小沢氏が資金問題で連日取り上げられている、自民党の時からどうしても黒いイメージが付き纏う人だ、ずっと実力者と言われながら要職には着かないで過ごして来た、「黒幕」、「政界のドン」と言われる所以だろう、責任を取る必要の無い場所に居て傀儡の様に他の政治家を使うと言うイメージは拭えない、今回の政治資金もダム問題の絡んだ西松建設も彼の持っている財布の大きさが伺えるだろう、政治は金が掛かるという、その金を出すのは資金の大きな大企業だ、しかし出すからには見返りを期待するのは当たり前だ、最初からその為に出しているのだから、資金が無いと選挙に勝てない、選挙に勝てなければどんな理想が有っても何も出来ない、しかしその資金を出してもらうには先ず出した企業に見返りを出さなければならない、それが日本のと言うより「自由経済圏」の宿命だろう、選挙は有権者の表で決まる、日本の7割は中小企業だ、この政治にノーを言っても良いと思うが何度やっても同じような顔ぶれだ、今回の選挙で民主党に移動した、しかし民主党の金庫は小沢氏がにぎっているらしい、政治資金は彼に委ねられている訳だ、あるコメンテーターが「こう言う時に自民党は党として査問委員会を作り結果はどうあれ党として追求した、しかし民主党は”小沢さんがやましい所は無いと言っているから無い筈だ”と言うコメントしか出さない、此れでは未だ自民党の方がましだ」と言っていた、しかし有る新聞では「検察のファッショとの戦いをしている小沢氏を応援したい」と言ったコメントが載っていた、我々はどう取ったらいいのか解らないが、親から子供2人に4億近くの金を貰える様な政治家で今の平均年収が350万と言う社会を理解してくれと言うのは無理が有るだろうと思うのは仕方ないのではないか

私が間違っているのだろうか?

2010-01-14 14:31:42 | 日記
昨日NHKを見ていたら文字幕である店の記事で「大変込んでいる」と表記されていた、道が混む、大勢の人で混雑すると言う表記は「込む」では無く「混む」と表記すると思っていたのだが、今朝の東京新聞でも「込む」と書かれていた、「混雑」と言う言葉と道が混むは同義語だと思っていたが、「込む」は「入れ込む」とか「悩み込む」と言う状況で使用して、大渋滞は「道路が混雑する」から「道が混む」と言う流れで文を読んでいた、従って「町は大変込んでいる」と言う表記には違和感を感じるのは私だけだろうか、「御用達」と言う表記も「ごようたし」では無く「ごようたつ」と呼んでいるようだし(変換はどちらも出たけど最初は”御用達”が出る)「礼拝」も
「らいはい」だと思うがアナウンサーも「れいはい」と発音する、これも変換は礼拝が出る、テレビのアナウンサーの発音も結構気になる人も最近は増えて来た、流石に今は聞かないが「何気に」と言う言い回しも実に不愉快な言い廻しだ、「何気なく」と言う言葉は「楽しげに」とか「悲しげに」と言うように状態の形容をしている言葉で「何気なく」は何かをしようとするわけでなく、何となく見たらと言った意味合いのはずである、何気にでは全く意味が通らない、
イントネーションも若者言葉では非常に平板に話す、今は有る程度の年齢の方まで平板なイントネーションで話す、ある若者が「英語では言葉が上がったり下がったりは余りしない」からかっこ悪いといっていたが、イントネーションが少ない外国語圏の言葉はその代わりに非常にはっきりしたアクセントがある、破裂音と言うような発音をするので日本人だと実際の言葉全体が認識出来ない位である、お笑いタレントの流行語になった「グー!」とか戦後の「メリケン粉」などが顕著な例だろう、イントネーションをなくしてアクセントも無くすと言葉として非常に機械的になってしまう、若者が新しい言葉を使うのは何時の時代も有る、自分達ゼネレーションの言わば隠語的な使い方でありそれはそれで一過性の物だ、しかしあくまで一過性で無ければ成らないだろう、無論我々も1200年前と同じ言葉を使い続けているわけではないが時間を掛けて揉み上げて残った物でないと分化は継承されない、若者言葉を否定はしないがその言葉はその世界だけで使用し、一般社会語とは歴然と区別しないとならない