梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

生か死か其れが問題だ、

2011-06-09 11:25:12 | 雑記
「日本の仏教」と言う雑誌を買って見た、かなり若い頃から宗教と言う奴に興味があったので仏教関連の本は結構読んだ、「仏教の歴史」と言う15巻の本を買ったのは22か23歳の頃だった、
13巻まで読んで書庫に入っていたが友人に其のまま上げてしまったのだがとって置けばよかったかなと思っている、だから目に付いた本を買う事が多い、歴史読本の別冊を買ったり今度のような雑誌が出たりするとつい買ってしまう、
「宗教」に興味が有ると言うだけで別に入信しているわけでもないし「宗教」として読んでいる訳でもない、だから犬養美智子氏の「旧約聖書物語」を読んだり司馬遼太郎氏の「街道を行く」の中に出ている物から「ゾロアスター」の本を読んだり、歴史的に日本が持っていた神話にも興味を持って読んだりもする。
人から貰って新約聖書もぱらぱらと読んだり学会員が置いていった経典なんかも読んだがこの辺はすこし偏っているので途中で投げ出した。
今度買った本の中で仏画のジャンルに「阿弥陀如来来迎図」と言う物が出ている、仏教の広がりと共に地獄思想が庶民に広がった為か信心によって阿弥陀如来が迎えに来て往生できると言う思想から描かれた物だと言う、
此れを見ていて「自分は死と言うものをどう言う風に捕らえているのか」と言う事を考えた、未だ現実味が無いせいかも知れないが自分は昔から「死」と言う物に余り恐怖は無かった気がする、実際に素潜りの時(死ぬんじゃないか)と思った事も何度か有って本当に焦ってばたばたしたのだが落ち着いてみると自分が怖いのは「死」その物より其れが来る時の苦しみが嫌なんではないだろうか、
「死」と言うものは独立した現象なのか、「生」の終了でしか無いのではないか、今「死」は現象として表現されるがそれは「生きる」と言う事の終了だとしたら何もそれほど恐れる必要は無い気がする(少なくとも自分には)
其れより残された者の悲しみの方がずっと辛い、
ハムレットのせりふではないが「死」は「生」の終了、其れは眠るのと何が変わるのだろう、唯もう起きる事の無い眠りだと言うだけだ、もし自分に未だ生きる事に未練が有るとしたら何なのだろう?
考えてもあまり未練は無い気がする、気になる事があるとすれば(女房が泣くだろうな)と言うくらいでそれ以外の連中はさして悲しむ事も無さそうだ、
生活も楽ではなく起きる事も無い睡眠に入れば衣食住の心配をする必要もなくなるし子供も皆独立したので困る者は居ない、まあしかし自ら生きる事を止めるほどの情熱も無い、ならどうせ生きなければ成らないのなら楽しく生きてゆこうと言う程度の所でやっている、
後何年生きるか解らないがその間は精一杯やるが舞台を降りるのはさして辛くは無いな、いずれは降りなければ成らないのだったら出来るだけ淡々と袖に引っ込んでしまいたい、

最近この辺で流行しているのはアマリリスの様だ、



田舎ではそろそろ山百合が咲き始めているんだろうが此れは山百合ではないな



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