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梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

愛国心と軍国主義

2013-04-19 19:09:53 | 雑記
「ご自愛下さい」と言う言葉が有る、自分をいとしんで下さいと言うような言い方だろう、
それはけして「利己的になれ」という意味では無い野は誰でもわかる、
「自分を愛して下さい」と言う言い方である、自分を愛しても他人を憎むと言う事ではない、逆に自分を好きになれない人は他人を好きになってもどこか歪んでしまうだろう、
「愛国心」と言う言葉も此れに近い、自分の国を愛すると言う事で其れは利己的になれと言う事ではない、自分の国を愛せない人が他の国を愛すると言っても当然違和感が有る、
しかし「愛国心」と言う言葉は妙に肩身の狭い言葉になってしまっている、
「愛国心」イコール「軍国主義」と言う風潮が大きく支配していて「自分には強い愛国心がある」などといえば「時代錯誤だ、軍国主義だ、右翼だ」と言われかねない、
自国と言う事は自分を確立するアイディンティティの一部であるが此れを否定すると言う事は自分自身が立脚する国を持たないと言う事に成るだろう、
国旗と国歌を「軍国主義の象徴」と言うのはそれこそ時代錯誤だといえる、世界を巻き込んだ大戦が終結し、東西冷戦も終局し今国旗と国歌に軍靴の音を思い出すのは殆どの国では有りえないだろう、逆に紛争の絶えない中東からアフリカ後進国では殆ど旗の元で戦争などしていない、国歌など有るわけも無い、
国旗掲揚と国歌斉唱が世界的に異常な国である象徴だと言う様な事はどう考えても無いだろうと思う、
どの国でも恐らく学校では国旗掲揚は有るだろうし、殆どのスポーツでも国旗掲揚と国歌斉唱はある、つまり此方がスタンダードなんだと思う、
だから日本でも国旗と国歌は節々の記念行事には上程されているのだ、それは気に入るいらないの問題ではなく国際的にも極当たり前の事だから教育と言う場において式次として行っている、決められた事が気に入らないから自分は守らないと言う問題ではなく「其れはおかしいから変えるべきだ」と言うなら変えるように運動すればよく、「気に入らないから守らない」と言う事は「思想の自由」とは全く違った問題だ、国旗と国歌は思想で作られた訳ではない。
それは「追い越し禁止は運転の自由を制限しているから自分は何処でも追いこす」と言う理論と殆ど変わらない、追越禁止区域がおかしければ署名運動でもするのが正論で追い越せば捕まるのは当然である、
自国を愛せない、自分を愛せない此れも現代病の一種なのかも知れないが未来の担う子供達に大きな影響がある職に就いている人達はその事を自覚して欲しいものだ、学校の教師が「反面教師」では洒落にもならない


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