梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

自分の思っていた言葉は違っていたのだろうか

2012-03-14 15:23:00 | 雑記
最近良くクイズ形式の番組を見る、色んな形のクイズが増えて来たがかなりオーソドックスな形式なので見ている番組に「Qさま」と言う番組が有る、
内容は多岐に渡り目から鱗と言う物から常識的な問題まで出て結構面白く見ている
しかし、今週の問題にすこし「違うんじゃないかな?」と思われる問題(正解)が有った、無論浅識な自分より局や担当者が良く調べて出す問題だと思うから自分が間違っているのではないかとも思うがどうしても納得出来ないと言う物もある、
1つは「先の言葉の同義語若しくは類似語を答える」と言う物だがその中で「前門の虎、後門の狼」と言う問題があり、答えの1字が「難」と言う問題だった、回答者(伊集院光)は答えれら無かったがその答えが「一難去って又一難」と言う答えだった、しかしこの2つの言葉は意味がかなり違うので無いだろうか、私の解釈では「前門の虎、後門の狼」とは前後に敵を受けて進退窮まったと言う意味に捉えていた、しかし「一難去って又一難」は1つの難関或いは敵を乗り越えたら又難関若しくは敵が」と言う様に解釈していた、「前門の虎、後門の狼」では全く問題は解決していないが一難さっての方はとり合えず難関を乗り越えている、と思って故事ことわざ辞典を見てみたら確かに類義語に出ているのだが、何となく納得出来ない感じが否めない
もう1つ「情けは人の為ならず」の意味に「他人に情を掛けて居ればやがて自分に返って来る」と言う諺の解説が○か×かと言う問題だったが此れは○で正解だった、
しかし本来の意味は徳を積むことは自分の為である、と言ったニュアンスで決して「情けを掛けておけば後で返って来る」と言ったような利己的な物ではなかったと解釈していたのだがやはり故事ことわざ辞典だと此れが正解のようだ、間違いの用法として「人に情けを掛けるとその人のためにならない」と言う用法が書かれていたが「情けをかける」と「甘えさせる」とは元来意味が全く違う、
仏教用語での「慈悲」と言う言葉も哀れむと言うニュアンスが大きくなっているが此れも文字通り
慈しむ心で共に悲しむ、と言う意味だろう、同じ様に「喜捨」という言葉も「与える、施す」と言ったニュアンスが大きい、文字通りに取れば「喜んで捨てる」と言う事で決して上位から施す物ではない、施すと言うことも今では「貧しい物に与える行為」的な意味合いが有るが「施餓鬼」と言う言葉に有る様にそれは優越感を伴う物ではなく偶々持てる者になった人が偶々持たない人達に分けると言うだけの事、施餓鬼の餓鬼とは六道輪廻でまだ人間界に来れない餓鬼道に居る者に施す善行の事で後世のために得をつむ行為でありその事は自ら有り難く思うと言う行為である
衣食足りて礼節を知ると言う言葉の中には子の様な善行、徳行も含まれるのが人の行為だろう