太平洋戦争を語る多くの文献はほとんど例外なく「侵略」の歴史として語られている。 そして 戦後の「反戦」「平和」「自由」「民主主義」といった美辞麗句を並べ、史実の理解も乏しいまま、一元的に語られてきた。
それで、敗戦後は近代国家に生まれ変わり見事に復興を遂げたのだから、後は臭いものには蓋と、一切の歴史をそうした枠内に追い込んできた。
多分心ある歴史家達は忸怩たるものがあったであろうが、GHQの指導下に日本国民は洗脳され、そういう論調を取らざるを得なかったのだろう。その結果、日本人全体が、「太平洋戦争」に対してある種の加害者意識に囚われていった。これでいいんだろうか。知的退廃が取り返しのつかないほど進んでしまった、と私には思われる。
当時、我が国は「ABCD包囲網」と言われる状況で軍備、貿易、特にエネルギー分野で八方塞がり状況にあった。これを打ち破るための外交は、アメリカ側から妨害され、悉くうまくいかなかった。だから、開戦は局面を変える切掛になる、と多くの人が思ったのは当然である。私は太平洋戦争は日本人が生き残るためにやむなく決断した「経済的防衛戦」だ、と思っている。少なくとも私が収集し、読んだ文献からそのように読み取った。
これは一つに、いわゆる戦後の平和教育という歴史観が長らく支配し、戦争そのものを本来の歴史として捉えてこなかったからだと思う。
先の戦争は4つの戦争、日中戦争(1937年)、日米戦争と日英戦争(1941年)、日ソ戦争(1945年)からなる。開戦直後閣議では日中、日米と日英戦争を併せて「大東亜戦争」と呼ぶことが決定したが、GHQ占領下では「大東亜戦争」との呼称は禁止され「太平洋戦争」と呼ばれることになった。
4つの戦争ごとに性格は異なる。だから別々に論じられていい。日中戦争は侵略戦争の様相をもち、日ソ戦争は我が国から見て不当な侵略戦争である。したがって一つの名称で括ることは実態をぼかしてしまう。
アジアの国々から「日本は侵略した。だから謝罪しろ」と政治的プロパガンダを伴って強く言われれば、現状では相手の言うなりに謝罪するしかない。相手の言うことを理解した上で、日本の行動の背景と成果をきちんと評価し反論する、あるいは賠償交渉を含め共通の基盤をつくる、そうした対応ができなくなっている。
日本は過ぎ去ったことを水に流す傾向がある。背景には歴史の記録の軽視がある