福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

季節の話題2022(31) 師走2022(2)師走雑感 心身が求めるままに、ズルして過ごしたい

2022年12月02日 16時59分28秒 | コラム、エッセイ
 「出来るだけズルしたい」と気持ちを綴ったが、終活のために切断した柿の木の幹や枝葉の細断、廃棄作業に昨日までかかった。雪が降るまでに何とか済ませたかったからで多少焦って作業した。2週間かかった。「出来るだけズルしたい」と言いう気持ちに早速反してしまった。

 もう一つ残っているのはダリアの球根堀である。雪が降るまでに何とか済ませたかったが果たせなかった。雪の状況を見ながら出来るだけ早くやらねばならない。この作業までは「出来るだけズルしたい」と言う気持ちは諦めなくてはならない。

 その後は読書に集中したい。私は「出来るだけズルする」ことが多分最高の贅沢になるだろう、と楽しみにしている。
 ただ、読書は運動不足になる。高齢者の運動不足は重大な結果を生みうる。内臓疾患でコケるのはやむを得ないが、四肢機能低下で自活できなくなれば人様に迷惑をかける。「出来るだけズル」しないで運動機能を維持したい。

 最近、心理学関連、哲学、宗教の書籍文献を読む機会が増えてきた。自分の「ネガティブ」な感情について考えるためである。私は自己肯定感が乏しく、ウソを重ねて他人に迎合してきた。厳しい弱肉強食の世界に投げ込まれたら生きてはいれなかった。たまたま恵まれた世界で生きれたからなんとかしがみつけた。この弱さもコンプレックスの一つになっている。

 私も大なり小なり五欲に追い立てられてきた。チャチなレベルであるが人間の五欲から逃れられずミニ悪行??を重ねてきた。
 私の行為を具体的に明かすことはないだろうが、自らの過去を反省し、現役引退を機会に「終わった人」と、小さくなって生きている。 

 家内には一生かけて付き合ってもらった。感謝である。信頼している。「なんで、50年も同じ屋根の下で、暮らせたのだろう?」そんな小文がどっかにあった。

 私と一緒になって失ったものは小さくなかろうが、もう今更どうしてあげることもできない。良き人生を纏うしてもらいたい、と思っている。
 そのために、私は「寛容」・「忍耐」・「奉仕」に徹して今後も支えていく。ボランティアとして彼女の仕事を手伝っているが、私への評価は低い。「外来には出したくない、患者が減るから」、「病棟は任せられない、患者が死ぬから・・・」と手厳しい。
 私は彼女が言うほどひどい、役立たずの人間ではない。私にもプライドが残っている。それが私を支えているが、口に出すことは怖い。
 長年連れ添った同志であるが、まだ駆け引きは続く。

 年の暮れになると、人生の晩年を迎えると、いつも同じ思いをくり返している。私は進歩が乏しい。

コメント
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