愛する誰かのために・・・・、幸せになるために・・・・、
人はいまを生きている
公開初日に鑑賞しました。一日一回だけの上映ということで、小さなシアターは立ち見が出るほどの盛況でした。
今回はどうしても早く観たいという気持ちに駆られ、初日に滑り込みました。19:00の上映ということで、しばらく待つことになりましたが・・・・。
ラストはこうだったんですね。感動的なものを想像してしまいますが、そうではありませんでした。これでいいのだと思います。それは現実にありえることだからです。凄いアクションもなければ、意表をつくような場面もありませんし、ただただここに登場する人たちの色々な思いや抱えているものを映し出しているという感じがしました。
ベルサイユ宮殿といえば、世界遺産に登録された17世紀のフランスの繁栄の証である宮殿。年間多くの観光客がやって来るところでもある。そんなベルサイユ宮殿のはずれに、多くのHOMELESSが棲んでいることを、あなたは知っていただろうか?もちろん私も知らなかった。
STORY
重い荷物を背負い、幼い男の子の手を引き、パリの夜の街角をさまよう若い女性の姿があった。工事現場の奥に入って雨風をしのげる場所を確保、そこが一夜の宿として眠りに就く。「手を握って」暗闇で母二―ナ(ジュディット・シュムラ)に手を伸ばす子供の名はエンゾ(マックス・ベセット・ドゥ・マルグレー
ヴ)。
翌朝、公園でエンゾを遊ばせながら、落ちていた新聞に目を留める。その見出しには「失業は宿命ではない。求める仕事がここに」と。そして介護施設の施設長らしい女性の写真が載っていた。新聞をポケットにしのばせる二―ナ。
再び夜を迎えた。安ホテルも満室だと断られ、路上でエンゾを抱いたままうずくまる二―ナ。HOMELESS支援団体のパトロールに声をかけられ、福祉士の元へ。
名前を聞かれたり、子供の出生登録は?等と次々と質問される二―ナ。質問にうんざりする二―ナの態度は反抗的で捨て鉢に見える。
結局車でベルサイユ宮殿のそばにある施設に搬送された。ふたりは簡易ベッドを確保できた。長い夜だった・・・・。
童話を聞かせてエンゾを寝かしつけた二―ナは久しぶりにシャワーを浴びる。鏡に映る姿を見て、これから一体どうすればいいのかと・・・・。
翌朝施設を出たふたりは宮殿を臨む公園の陽だまりの中でゴミを漁って見つけた食事を分けあった。パリに戻ろうと駅に向かう途中の森でふたりは道に迷ってしまう。エンゾの姿を見失う。慌てて探した二―ナの目に入ったのは、掘立小屋の前で焚き火をする男と、傍らで貰ったトウモロコシを頬張る息子の姿。
数日人と話していないという男は、荷物を置いてそこに座れと促す。ぶっきらぼうだが、悪い男ではなさそう。
夜、焚き火の前で少しづつだが会話を交わす二―ナとダミアン。
資格があるか?立ち直れといわれることにうんざりだと。失業者200万人じゃきかないと話すダミアン。働いたことがないのか?聞くニ―ナの質問に、「刑務所に1年、失業して1年だ」と答える。息子の名前がエンゾだと教えると、教えることに不信感を感じるダミアン。
諌められるのも、憐れまれるのも嫌うはみ出し者の二人はいつしか肌を重ねていた・・・。
翌朝、幼いエンゾを置いたまま、彼女はダミアンの前から姿を消していた。走り書きだけを残して。幼い子を押しつけられたことで憤りのあまり激しく詰め寄るダミアン。怯えるエンゾ。
ニ―ナは新聞の記事をたよりに介護施設を訪ねていた。面接で両親や社会に役立たず呼ばわりされてきた悲惨な過去を打ち明けるニ―ナ。施設長にアドバイスを受け、そして面接に合格!「頑張ります」と答えるのが精一杯だ。一刻も早く自立せなば・・・・・。
夜ダミアンはエンゾを連れてバス停まで。バス停で眠りこみ、最終のバスを逃す。自力で暗闇の中、森の小屋へ戻って来た。ダミアン何も聞かず迎え入れる。「手を握って」というねだるエンゾに「黙って寝ろ」と・・・・。母を恋しがる気持ちを向けるのはお門違いだとダミアン。
森に棲んでいるのはダミアンだけでなかった。移民、インテリ、老婆、妊婦・・・・
森の中での生活の中でエンゾは次第に笑顔を取り戻して行く。
エンゾに扮したマックス・べセット・ド・マルグレーヴはこの作品で映画デビューとなった。愛らしさの中に強い意志を感じさせる。現在パリの小学校に通っている。
寒さと飢えをしのぎながら生活を共にするうちに、ふたりの間にはいつしか本当の親子以上の情愛が生まれるのだが・・・・。
森の住人の一人・トニが野たれ死んだ。葬る仲間たち。
「北を目指して南へ行った。海を空だと思った。彼は間違えた・・・・」、そんな詩の一節を弔辞に代えて。
ある日、ダミアンとエンゾはスーパーの裏手で破棄された食料を漁っていた。突然エンゾが痛みに悲鳴を上げる!HOMELESS避けのために薬品が撒かれていたのだ。怒りに店のウィンドウを割るダミアン。このままの生活は続けられないと・・・・。
一方ニ―ナは不慣れながらも懸命に介護の仕事をしていた。ベッドに横たわる老女の体の清拭をしていた彼女は、老女に耳元で囁かれる。「貴方は素晴らしいわ」と。エンゾを迎えに行こう。ニ―ナは森に戻る。しかし小屋は焼け落ち、二人の姿はそこには無かった。今さらながら後悔の念にかられ、悲嘆にくれる。
同じ頃、別の場所の新しい小屋で、ダミアンは病に冒されていた。激しくせき込み、意識が混濁する。このままでは死んでしまう。「人を呼べ」。ダミアンの言葉に、ベルサイユ宮殿に走るエンゾ。観光客の合間を抜け、宮殿にたどり着いた彼は、宮中衣装をまとった警備員の手を引いた。
何日経ったのだろう?回復し、病院を退院するダミアンの姿があった。外に出て煙草に火をつける彼の前に、エンゾは立っていた。
ダミアンはエンゾのために、社会へ戻る決心をした。森を出て、疎遠になっている父を訪ねる。「部屋が欲しい。一週間でいいんだ」と。父は「働け。またお前と揉めるのはご免だ」と一度は拒んだものの、幼い子を連れた息子を家に上げた。父の傍らには、美しい女性・ナディーヌ。父の新しい伴侶のようだ。
日雇いの解体作業にも就き、新しい生活が始まった。エンゾを学校に入学させるため、その場の作り話で役所の人間を誤魔化し書類を作成させ、エンゾを認知することもできた。憎しみ合っていたダミアンと父の関係も、エンゾの存在で修復しつつあった。
父役にはパトリック・デカン
エンゾもナディーヌになつき始め、変化を受け入れているかに思えた。しかしある晩、ダミアンに言う。「小屋へはいつ帰るの?」ダミアンは答える。「もう帰らない」。
学校に通い始めたエンゾ。初めての“社会”に怖気づく彼にダミアンは言う。「勇気を持て」。
ダミアン役にはギョーム・ドパルデュー
惜しくも、2008年10月、急性肺炎のため、37歳という若さでこの世を去った。
エンゾを入学させたことで、目的を達したかのように。今度はダミアンに置き去りにされるエンゾ。
ダミアンから電話一本ないままに、七年の歳月が流れた。ある日、父とナディーヌの元に、何とエンゾの母・ニ―ナから手紙が届く・・・・。
ダミアンは再び放浪の旅に出てしまいます。やはり彼自身の社会復帰は難しかったのでしょうか?それともエンゾのため、一時的に社会に戻っただけなのでしょうか?少し考えてしまいました。どちらにしても、エンゾはまたひとりぼっちになってしまいます。
かたちは違うけれどニ―ナも一時的にエンゾをダミアンに託して置き去りにしていくわけで・・・・。エンゾは心のよりどころを何よりも望んだのに、その二人から去られてしまうという結果になる。
そしてダミアンもニ―ナも別れ際に「靴ひも」を結ぶようにと述べるのは何を意味するのか?と・・・・。
つまり子供には未来があるわけで、成長していくという大きな希望がある。ダミアンがニ―ナに言った「いつまでも路上で暮らし続けることはできない、この子は成長しなきゃならない」
ダミアンの言葉を考えると、靴ひもと同じ、この子の未来を社会につなぐためにエンゾを置いて去ったのかなんて、色々考えるのでした。
しかしやはりエンゾの気持ちを考えると置き去りされたことは凄いダメージに繋がるような気がしましたが。
ダミアンは社会で強さを発揮できませんでした。そしてまた社会に適応できない、家のない人々の中にまた舞い戻っていく。結局は弱い人だったのかしら?
まとまりのない記事になりました。現代社会が抱える不況のなかで、こういう状況は、今も何処かで起こっているのでしょう。そういう意味で、現実に迫る本作でした。
ベルサイユの森でホームレス生活をする男が、母親に置き去りにされた見ず知らずの幼い男の子を世話するハメになり、困惑しながらも次第に絆を深め、一度は捨てた社会に戻り困難に立ち向かっていく姿を描いた感動ドラマ。主演は2008年10月に37歳の若さで急逝したギョーム・ドパルデューとその名演技が一躍評判となった新人子役のマックス・ベセット・ドゥ・マルグレーヴ。監督はこれが長編第1作のピエール・ショレール。(allcinemaより抜粋)
メディア | 映画 |
上映時間 | 113分 |
製作国 | フランス |
公開情報 | 劇場公開(ザジフィルムズ) |
初公開年月 | 2009/05/02 |
ジャンル | ドラマ |
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手を握っていてくれたら
ぼくは泣かない。
オフィシャル・サイト
http://www.zaziefilms.com/versailles/