私と義母は結婚前からの犬猿の仲。始まりは結婚の許しを貰いに行った時からで、結納に2百万バーツ請求されて「カチーン!」と来て以来敵だと思っていた。
私から金を引き出そうと色々な事をやってくれたが、毎回義母の思い通りにはさせず、私の事は大嫌いだったらしい。
一度、姪が「なぜそんなにあの日本人を嫌うの?」と尋ねると、悔しそうな顔をして「ホアモー」と言ったそうだ。私を嫌う婆さんが、お馬鹿な私を一番高評価していると聞いて妻と一緒に大笑い。
義父が亡くなった時に義母の面倒を妻と義弟へ看らせたかったらしく、義父は田畑の相続者を妻と義弟としていたが、義弟が義母の面倒を看るので全部欲しいと言う。これ幸いと許せば、田畑だけでなく義父母が住んでいた私が建てた家まで勝手に売却し、義母を連れてナコンラチャシマ県へ転居してしまった。
家を無断で売られたのに妻が腹を立て、ここから義母と義弟は我家と絶縁状態。
お金を全部使い果たした頃に、義弟とは一緒に暮らせないので迎えに来て欲しいと義母から電話があったそうだが、妻は「仲良く暮らしなさい」と言って切ったそうだ。
義弟も滅多に帰宅せず義母は放置されていたそうで、6年前に一度危篤と聞いて会いに行ったが持ち直し、それからは長姉と同居。
医療費等の援助を何度か頼まれたらしいが、ナコンラチャシマに住む兄弟は親の面倒を看ずに逃げていた3人。「親から家や田圃を貰っているのだから、そのくらい貴方達でやりなさい」と言って妻は断っていた。
何度か危篤と連絡が来ても「狼が出た」と同様なので近くに住む兄弟以外は誰も行かないまま。
もう既に死んでて連絡が無いだけだろうなんて話していたが、先月の25日にもう駄目だと連絡が入った。
糖尿病で足先から壊死したのが腰近くまで広がって変色。生きたまま腐臭漂う状態になり、医者がもう無理と帰らせたそうだ。人工透析を受けていたのも止めたので、生きれるのは一週間くらいだろうか。
会いに行くかと妻へ尋ねるが、行かないそうで、亡くなったら火葬の時に行くと言う。
30日の午前1時に、亡くなったとドイツへ住む姪から連絡。
朝になって「葬儀は兄弟で費用を出し合ってやりたい」と、またドイツの姪を通して連絡。
「どうする?」なんて妻が言うので、私が激怒。「葬儀の連絡も兄弟から直接無いのに、葬式代を出せとはどういう意味だ!?だいたい責任を持って葬式をやらなきゃならない奴は居るだろう!」
私が怒った話は妻から姪を通じてナコンラチャシマの兄弟達の耳へ入ったらしく、昼過ぎには義弟から妻へ電話が入り「お姉さんには悪いことをしました。ごめんなさい。葬儀は私の責任でやりますから、是非参列してください。」と言ったそうだ。妻の目が涙ぐんでいた。葬儀は6月1日にカオヤイでやるそうだ。
義母はプータイ族であり、ナコンパノムのプータイ族が集まってカオヤイへ集団入植した場所へ兄弟達が住んでおり、妻もそこで産まれたらしい。
最初は1日の火葬だけ行くと行ってた妻だが、前日の朝になって急に今から行きたいと言い始め、行けないならバスで行くと言うから大慌て。
私はいまだに成長期なので市場へ行って葬儀で着る黒い服を買い直し、留守番する犬や猫の餌を購入。
いつもなら留守番を頼む従業員はバンコクへ行っているので、留守番は自作のホームアローンシステムを初稼働。 ちょうど11時に出発し、目的地まで400キロ弱なので所要時間は4時間半と思ったが、グーグルマップのナビは6時間の予想。
そんな馬鹿なと思ったが、信号渋滞やトラック2台が車線を塞いでノロノロしているのが多く、到着はグーグルの予想通りの夕方の5時。
義弟が笑顔と抱擁で迎えてくれたが、こいつに会ってこんなに歓迎されるのは初めて。w
もう44歳で頭は禿げてるし、隣に居るのは5人目の嫁さんで、初めて会う。今までの4人の嫁さんはどうしようもない人ばかりで、特に4人目は極悪。子供が出来たと略奪婚し、産まれた子は義弟に全く似てなく、次に産まれたのもそう。義弟が問い詰めると別の父親を認めたらしいが、金を使い果たすと子供達を置いて逃げた。w
5人目は普通に挨拶も出来て世話好きなしっかりした女性。義弟はすかんぴんなので、葬儀代は新しい奥さんが出したらしい。
封筒へ葬儀代の割当分と最初に聞いていた金額を入れて渡した。
場所はパッチョンからカオヤイへ向かってホテルのある地域のもっと奥。道路は穴ボコでトウモロコシ畑と乳牛を飼う農家が多い田舎だが、
お寺は静かで良い雰囲気。
集落の人達も集まって20時前から読経。
義母の棺は二重構造で、外側は冷蔵庫となっており、内側へ遺体を収めた棺桶が入っている。電飾でランプが点滅し、クリスマス風。
翌日の火葬式に向けて長兄と孫二人が1日出家の為に丸刈り。
行く前は近くのホテルへ泊まるなんて妻は言ったが、予想通りに兄弟達とお寺で雑魚寝と言い出した。
私は洗濯もせずに使いまわしなお寺の寝具で寝るのは抵抗があるので、車の後部座席へ。涼しい夜なので窓を少し開けて虫除けスプレーを吹いておいた。
出された食事は濃い味で食べれなかったので、準備してきたパンと水で軽く食べ、軽い睡眠導入剤を飲んで朝まで熟睡。
朝食は妻が作ってくれた魚のフライと蒸した餅米。私がタイで多用する風味調味料を嫌うので、朝早く起きて作ったそうだ。
宝くじは盛況。義母に因んだ数字を買う人が多く、私も年齢から77と命日の530を買ってみたが、やはりハズレ。w
11時頃から読経があり、棺を火葬場へ。反時計回りに3周して上の台へ乗せる。
14時過ぎに自治体関係者が来られて火葬式。
焼き始めたの15時頃。
ガス炉なら当日骨を拾えるが、ここは炭なので翌朝まで掛かる。
兄弟達が翌日拾ってナコンパノムの義父と同じ墓へ入れるそうで、私と妻は先に帰らせて貰った。
帰りのグーグルの予想は5時間で、4時間半でウドンタニへ到着。
途中スピード違反の取り締まりがあり、少し早めだったので呼ばれるかと思ったがセーフ。
次々と問題を起こす母親で、妻は子供の頃から振り回されたらしいが、これでようやく終わった。