Menkarm World

メンカームの趣味の部屋へようこそ!

一年間ありがとうございました。

2021年12月29日 08時52分00秒 | お知らせ
2021年も
新型コロナの感染拡大で
大変な一年でしたが、
お陰様で、
無事に過ごす事が出来ました。

ありがとうございます。






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ウォモウォってどんなところ?

2021年12月24日 09時43分00秒 | タイで子育て

もうクリスマス。
昔の映像を見ると懐かしい。
戻りたくても2度と戻れないあの頃。
今は溜息しかでない。(T_T)

さて本題。
娘が高校生になって半年が過ぎた。
登校したのは3週間程で、ず〜と自宅からオンライン受講だが、様子が判って来たので書いてみたい。

先ずは娘が学んでいるウォモウォコースについて簡単に説明。
バンコク郊外サラヤーのマヒドン大学構内へマヒドン高校があり、全寮制で理数系へ特化した教育を行うと効果があったので、そのシステムを各地の国立大付属高校へ水平展開したのがウォモウォコース。
イサーンだと、スラナリー、コンケン、ウボン、マハサラカームの各大学の付属高へあり、全寮制で学費や寮費は国から支払われ、毎月のお小遣いも支給される。
娘の学校の場合は学費が年10万バーツで、寮費は不明だが平日の朝夕食付き(夕食はコロナ対策で暫定措置)。小遣いは月2千バーツ支給されるが、足りないので月3千バーツ足している。国から支給される奨学金は年間20万バーツだそうだ。
自己都合もしくは規定の成績に届かなく退学する場合は、奨学金を返済しなければならない。

カリキュラムは定められているが、詳細は学校によって異なるので、ここからは娘が通う付属高のウォモウォコースの話。

先ずは学校の授業だが、教科書は学校オリジナルで無駄に多くなく要点がまとめられてコンパクト。
宿題を見ると難問奇問こそ無いが、思考力を求められる応用問題が多く、大学入試の点取り問題くらいまで対応している。
授業も一方通行ではなく工夫されており、流石付属校って感じ。
定期テストもどこかの学校の様に先生の塾へ通った生徒だけレジメを貰って解ける問題ではなく、きちんと授業で勉強した生徒が高得点を取れる。
理数オリンピックの予選が近付くと、学校が対策コースをやってくれるのも嬉しい。

週一で大学の理学部での講義があり、立派な実験施設も準備されているが、オンライン講義ばかりで全く実技が出来ない。高校3年間で1つテーマを決めて研究する事になっており、その経験がウォモウォで学ぶ強みだと私は期待していたのに、今のところはリアルなオンサイト授業が全く無く残念。
大学教員の中にはプライドだけ妙に高い変わった先生が居るらしく、別の大学へ通う息子も似たような話をしていたが、そんな講師に限って日本の東○大学へ留学経験のある人だったりするそうだ。w

宿題は受験時の説明会でも言われていたが、かなり多め。英語の宿題なのに絵を描く様なくだらない宿題は出ない。毎日朝方までやらないと終わらない日が続いた事があり、保護者同士で話し合って学校へ申し入れをして改善されたが、また定期テストが近付くと増えるかも?気を付けて様子を見ている。

オンラインの塾は2科目ならギリギリ出来そうな感じ。大学入試対策はどうするのと心配するが、M5(高2)で教科書の大部分を終え、M6(高3)で集中して受験勉強へ取り組めるらしい。
卒業生の過半数が医学部であり、進学実績は悪くは無い。
ウォモウォを卒業すると希望者はそのまま大学の理学部へ進学でき、奨学金も出るらしい。
大学への進学実績は、学校によって大きく違うので注意が必要。

補欠で入ったので授業へついて行けるか心配していたが、合格者の多くは上位の学校へも合格しており、そちらへ進学。入学したのは補欠合格者が多いので大丈夫だった。

寮は親が入れないので詳細は判らないが、娘の話では良くないらしい。
生徒の1番の不満はエアコンが無い事で、噂では卒業生から寄付すると申し出が有っても断ったとか。
他にも共用スペースへトイレやゴミ箱が無かったりと管理へ妙な拘りがあるし、部屋の温水器の水が熱くならない等の故障が有っても対応されないそうだ。
子供の話ではそういう諸悪の根源は、学校へウォモウォコースが出来た時から寮の責任者をされている先生らしく、寮の設備改善について生徒達と話し合う場で、生徒から改善要望が出されても全て拒否し、生徒から更に追求されると泣いてでも押し切ってしまうらしい。
もし事実なら全く話にならない人が子供達の面倒を見ており、不適切な人員配置だ。
どうやらタイの年配者へよく居られる清貧思想で、この先生は配分された予算を余らせて返すのが自慢らしいが、無駄を省くつもりで必要な物まで省き、政府は国の発展を目指して子供達を育てようとしているのに、子供達が学習する環境を整備せず、お金を使わなかったと喜んでいる。本末転倒とはこの事を言うのだろう。

お気に入りの先生を集めて寮の中は小さな帝国が作ってあるそうだが、こういうのに対抗するには外部の目が入る事。
年2回、前記と後期の授業が始まる前に親が寮の設備チェックをする仕組みを作ろうと妻を焚きつけるが、子供が人質に取られており、天に向かって唾を吐くのと同じだと言って動きが鈍い。
元気の良い上級生の一人が「辞めて出て行け!」と直接言ったそうで、先生がSNSへ「辞めろと言われて悲しい」と書き込まれると、3人しか居ない友達の一人から「年齢による価値観の違いで問題が起きる。もう辞めたら?」とコメントが付いていたらしい。老害の排除まであと一歩か?www
娘へ「お前も『辞めろ糞婆!』と言ってとどめを刺すか?」とからかうと、流石に言えないそうだ。w

妻は時間的な余裕があって塾の勉強が出来るのでウドンタニの学校が良かったとウォモウォへの進学を後悔している様子だが、私は娘から質問される数学や物理の問題が良いレベルなので、他の科目でも良いレベルの授業がされているだろうと信じて、学校での授業が無駄にならないウォモウォを評価している。
寮の環境整備がされれば更に良いだろう。

子供がマヒドン高に合格された人へ学校の様子を尋ねると、宿題の上にボランティアや宗教活動も求められて、塾どころではないとボヤいておられた。

今まで通りに塾をメインで勉強したいなら、奨学金付きの全寮制高校ではなく、トリアムウドム高や人口が多い主要な県のトップ校1組がやり易いのかも知れない。

メリットもデメリットもあるので、どちらが良かったかは卒業してから娘へ聴いてみたい。








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今日は移住記念日

2021年12月17日 12時01分00秒 | タイでの生活
今日は我が家の移住記念日。
2006年12月17日に山口県からウドンタニへ移住し、今日で15周年になる。

ウドンタニへ土地は購入してあったが、家どころか造成もやってなく、住む家も決めずにチャルンシーコンプレックス(現セントラルプラザ)の隣のホテルへ2週間部屋を予約しただけで、引っ越し荷物はサコンナコン義姉の家と郵便局へ局留めで送っての移住だった。
ホテルで借りたレンタカーを使って所有地のある郊外の集落で借家を見つけ、車を買えばタイ政府の送金規制に遭って苦労したが、22日には借家へ入居し、25日に車が納車。
転入届や息子の小学校への入学手続きを済ませて落ち着いたのは1月10日頃だった。
移住した当時の記事はここへある。

移住前に日本で取得したビザの期間は3ヶ月だったので、ノンカイ入管へ延長手続きへ行くと、当時は銀行口座へどれだけお金が入れてあっても毎月所得が無いとビザを出さなくなっており、移住直後にどうやって所得があるのと理不尽に感じた妻と入管職員が徹底的に口喧嘩。
ノンカイの代行業者に頼むと職員の自宅まで行ったらしいが、それでも無理で困ってしまい、もう一度相談へ行った入管で妻と口喧嘩をした入管職員がビザの取得方法を教えてくれた。

タイへ行ったら1年は遊んで暮らすつもりだったが、所得が必要と言われればそうも行かず、妻は家業の立ち上げで、私は家事と子守の生活が始まった。
タイでラーメン屋がやりたくて、日本で食べ歩きをした私だったが、集落の飲食店を調べると郊外の農村で顧客は限られており、家族経営で原価率の高い店が人気店。これでは無理だと諦めた。
妻が子供の頃は実家が田舎の何でも屋さんで、菓子や酒から惣菜に薬まで売ってたそうで、妻がそれをやりたいと言うので自宅へ店舗も作ったが、忙しいばかりで粗利は少なく、集落へコンビニが進出したので止めた。
集落の市場の横でスーパーをやる人の話でも同様だそうで、従業員の賃金を払うとほとんど残らないらしい。
それでも経営を続けるのは利益の大部分を稼ぎ出している金貸し(闇金)の客引き代わりだそうだ。
妻の実家でも店の利益は一家の食費程度で、資産を増やすのは金貸しだったらしい。
もう少し詳しい話はこちらから。

結局は広い敷地を活かして何かしようと思い、始めたのは花卉の農園。
最初は蘭や花麒麟へ手を出したが、蘭は花が咲かないと売れないし、花麒麟はありふれているからかサッパリ売れない。
いつでも売れる観葉植物が良かろうと思い、色々買い集めて調べるとシダの1種のタニワタリの調子が良かったので、タニワタリの仲間を中心に栽培を始めた。

最初は苗をバンコク近郊の農園から仕入れていたが、しばらく試行錯誤を繰り返して苗の自家製化に成功。趣味で少し殖やすなら、ネットへもやり方があって誰でも出来るが、商業ベースで数千、数万と苗を作るのは難しかった。
苦労してようやく作った苗だが、丸い葉の美しい親株の子なのに葉の幅が狭いのしか出ず、顧客の園芸店からクレーム。
最初は育て方かと思ったが、どうやら胞子で育てると原種へ先祖返りする傾向らしく、そこから街中で美しい株を見つけると知らない家の軒先でもお願いして胞子を頂いて植えるの繰り返し。そうやって選抜を繰り返し、ようやく綺麗な子株が出る系統を見つけた。
バンコク周辺で売っている同種との違いは葉が厚く丈夫な事。葉のウェーブは綺麗だし、幅の広さも負けてない。
妻と手伝いのおばちゃんの二人でやる零細農園だが、タニワタリについてはイサーンではコンケン以北のシェアは頂いた。コラートでも扱って下さるお店はあるが、営業も配達も行かないのでバンコクからの商品へ勝てない。定期的に配達へ行けば取れるのかも知れないが、妻一人で運転して往復するのは辛いかも?

葉が縮れて先がクルッと巻いた「コブラシダ」の人気は続いており、こちらはバンコク近郊の園芸店を通して海外進出。
直接取引を恐れて詳細を教えて頂けないが、インドやアセアン圏内で流通しているらしい。
フィリピンのShopeeで売っていたのは私も確認した。同種を栽培する農園はいくつもあるが、農園によって特徴があるので、恐らく妻の農園の筈。
最近はタイのShopeeで扱って下さるお店があり、新型コロナで売上が落ちた時に助けられた。
1番多く売れたのは1日で3百株。1人でやられているので徹夜で梱包だったそうだ。妻の卸価格とバンコクの小売価格に差があるので、利幅が取れるのかも知れない。

海外への流通は間へ卸売をされる園芸店を挟んでいるのばかりだったが、今年からラオスの園芸店との直接取引が2店舗始まった。園芸市場へ出店していた頃のお客さんだそうだ。
配送は顧客の園芸店から指定されたノンカイの運送会社へ宅配便で送るだけ。そこからトラックでビエンチャン市内へ宅配され、国境を超える運賃は受取人払い。商品の代金は銀行振込だ。
この調子で売上が増えてくれると嬉しい。コロナ後に期待している。

家族は、移住時に30歳だった妻が45歳になり、中年太りでコロコロのおばちゃん体型。空気の様な存在で、居ないと困るが居ても気にならない。健康でいてくれたら何も問題無い。w 

8歳で来た息子は23歳。タイ語が話せなかったので小学校で1年ダブり、大学を入り替えて1年ダブったので、2年遅れの大学3年目。
就職活動を始めてインターンの申込みをいくつか送っていたが、最近某コンテストの一次を突破(国内16組)したのが切っ掛けで、大学から教員を目指さないかと誘われたらしく、大学教員を目指すなら国費で海外留学らしいが、英国で勉強している彼女は8月に帰国し、息子と同じ大学の医学部で研究者を目指すらしいから悩んでいる。
彼女と一緒に居たいみたいだが、「将来医学博士と学士じゃバランス取れね〜な」とからかう私w。もう大人なので自分で選んで貰うつもりだ。

生後6か月で来た娘は15歳。本来なら中3だが、1年早く幼稚園へ入りそのまま進級したので1年飛び級で高1。
政府から奨学金を頂いて某大学付属校のウォモウォ(科学者育成コース)で学んでいる。
新型コロナの流行で通学できたのは2週間だけであり、それからずっと自宅でオンライン学習。既にファイザーワクチンを2回接種済で、今行かなければ何時行くの?と思うが、教員に感染者や濃厚接触者が出たりで、なかなか開けられないらしい。
ストレスが溜まっているので、昼にコンビニへ買い物へ連れて出たり、夕方から露店の並ぶUDタウンへ連れて行ったりで気分転換をさせている。

最後に私。来た時は39歳だったが、とうとう54歳。4月に誕生日が来ると、四捨五入で60になる。(T_T)
タイへ来た当初は仕事をしないのにイライラしていたが、ヒモ暮らしも15年になると慣れてしまって…www。
高校入試が終わって私が中心になっての娘との勉強は止めたが、時々解けない問題の相手をしている。
娘から質問された時の為に、毎日高校レベルの数学と物理の勉強中。
数学は1番簡単なレベルの白チャート。数Ⅰが終わって数Ⅱへ入った。
物理は旺文社の「とってもやさしい物理」を一通りやって、「河合塾 物理のエッセンス 力学・波動」をやっている。
耄碌爺なので、この辺から思い出しながらやるしかないが、娘の大学入試までに受験レベルへ行けると嬉しい。
私が現役の高校生の時に真面目に勉強すれば良いのに、今頃になって…と自分でも思うが、一発で解けた時の快感が癖になって止められない。w

16年目も元気にやっていきたい。
m(_ _)m
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本当はどちらが効いてるの?

2021年12月10日 22時05分00秒 | タイで健康生活

上の画像はタイ保健省による新型コロナワクチンの発症予防効果の説明。
アストラゼネカワクチン2回接種で70〜80%、シノバック+アストラゼネカの接種で80〜90%が予防されるとある。

そしてこちら…

が7日にウドンタニ病院がウドンタニラジャバット大学で実施したブースター(3回目)接種のプレスリリース。
接種対象となるのは
シノバック2回接種で、2回目の接種から8週間経過後。
シノファーム2回接種で、2回目の接種から8週間経過後。
アストラゼネカ2回接種で、2回目の接種から5ヶ月経過後。
シノバック+アストラゼネカ接種で、2回目の接種から4ヶ月経過後。
…となっており、保健省がアストラゼネカ2回接種より予防効果が高いとしていたシノバック+アストラゼネカを接種した方が、アストラゼネカ2回接種より1か月早くブースター接種が可能となる。

シノバック+アストラゼネカは発症予防効果は高いが、効果が持続する期間が短いのか?

大学生の息子から聞いた話だと、チュラ大やコンケン大はシノバックやシノファームの不活化ワクチンを2回接種した学生へブースター(3回目)接種を済ませると、続いてシノバック+アストラゼネカを接種した学生へブースター(3回目)接種をしているそうだ。
アストラゼネカを2回接種した息子へはブースター接種の話は全く来ないそうで、やはりシノバック+アストラゼネカの効果が実は低いのではないかと疑ってしまう。

実際にどうなのかはワクチン接種者の抗体価を測った人だけが知っているのだろう。

シノバック+アストラゼネカな私と妻は、2回目の接種からちょうど3ヶ月後(民間病院では6週間後から接種可)にモデルナワクチンの接種を済ませたが、アストラゼネカ2回の息子やファイザー2回の娘は政府のブースター接種を待つつもりだ。

もし心配なら、抗体価を測ってくれる病院もあるそうだ。

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高校入試で理科の直前対策はこれかな?

2021年12月05日 20時33分00秒 | タイで子育て
久しぶりに高校入試の話。
今年のマヒドン高やウォモウォ(マヒドン高のシステムを国立大附属高へ取り入れた科学者育成コース)の共通一次試験は新年早々にやるらしい。あと1か月だ。

娘が昨年受験して、想定外だったのが理科。
出題範囲は高2くらいまでと言われ、マヒドン対策の塾や参考書でも中学校で学ぶ範囲を超え、物理はボイル・シャルル法則や気体の状態方程式まで、化学は酸化還元反応や電子軌道(1s,2s,2p,3s…って日本だと大学からでは?)もやって、ややこしい計算問題もたっぷり練習して挑んだが、昨年度に実際に出題されたのは中学の範囲内で正解や間違いを選ぶ択一問題ばかり。教科書の範囲を外れていたのは新型コロナについての一般的な知識を問う問題だけで、ややこしい計算問題は1つも出なかったそうだ。

今年度の出題傾向が昨年度と同じとは限らないが、軍政後に教育格差が話題になって進学塾が槍玉に挙げられており、入試の出題傾向へも影響している様子。

高校入試を終えた娘へ、どの方法の勉強が理科の入試へ一番役立ったか尋ねると、

(表紙の絵が替わったかも?)
上の本だそうだ。基本の解説であり、もっとしっかり読めば良かったと後悔していた。
息子も上の本を丸暗記するほど勉強し、中3のO−NET(全国統一学力試験)の理科の偏差値は90を超えた。中学理科の参考書でお薦めの1冊だ。

同じシリーズへ数学もあり、中学3年分をまとめて手早く学ぶには向いていても、難関校の入試の数学は相変わらず難問が出ているので対応出来ない。

子供達へのコロナワクチンの接種が終わり、中学や高校は登校しての授業が始まった。
ウドンタニの学校では感染した生徒が見つかったらしいが、学級閉鎖で対応したらしい。
全員がワクチンを接種済なので、正しい対応だと思う。

新しい変異株で騒ぎになっているが、風邪程度の症状で済むなら風邪扱いで良いのだろう。重症化が怖ければワクチンを接種するしかない。

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30年で変わったもの

2021年12月04日 08時16分00秒 | タイでの生活
最近動画サイトで観ているのが「東京ラブストーリー」。1991年(30年前!)の1月から放送されたテレビドラマで、主人公達の設定年齢が24歳。
私もその頃23歳だったなあと観ていると懐かしく感じるが、リアルにテレビで番組を見た記憶がない。w
原作が掲載されたビッグコミックスピリッツ」も欠かさず買っていたが、「東京ラブストーリー」は読まなかった。w
23歳の私は全く興味が無かったのに、54歳になって初めて観て面白いと思うのは、私の何が変わったのだろう?www

制作から30年も経つと、観ていて時代を感じたのがいくつもあったので、今日はそれについて書いてみたい。
一番違和感を感じたのが、タバコを吸うシーンの多さ。当時は私もピースを毎日2箱吸っていた(肺真っ黒)が、最近は吸う人も減ったし、ドラマでタバコのシーンは少ないのでは?私も息子が6か月の時に頑張って止めた。(まだ吸いたい)
仕事を終えて職場の人達と飲みに行くシーンも多く、私も週に数回同僚と飲みに行ってた(時々皆勤賞)が、これも私が退職した15年前頃には減っていた。不景気もあるし、若い人があまり飲まないのも理由かも?

オフィスのシーンではワープロが懐かしかったし、ドットインパクトプリンターのビーという音やファックスのロール紙を切る音へも私の耳が反応した。

自宅のシーンでは、固定電話・留守電・コードレスホン。
街では公衆電話にテレホンカード。
もう使わないだろう。

この30年で一番発展したのは、やはり通信と情報機器かな。
携帯電話、インターネット、スマートフォンの登場で世の中が様変わりした。
携帯電話は当時もう小型になっていた(ムーバとか覚えてます?)が、料金が馬鹿高くて普通の人は使わなかった。
ネットはまだパソコン通信で、アナログモデムでピーピロピロとやっていた。
今のスマートフォンなんて当時から考えるとドラえもんの道具レベルであり、汎用コンピュータを使って今のスマホの一番安いのに能力を近付けようとすれば、ビルのフロアへ強力な空調を入れ、二重床の上へ装置をズラズラズラ〜と並べなければならない。
当時汎用コンピュータの設置工事へ参加したが、たった1ギガのハードディスクが小さな炊飯器くらいだった。それを数十並べて凄いなと思ったが、今はもっと凄いのがポケットへ入る。w
しかも無線でインターネットへ常時接続され、世界中と通信できる。

リカとカンチが会う約束をして、街角でずっと待ち続けるなんて有り得ない世の中になった。

あと30年経つと私は84歳。(生きてるか?)エネルギーや動力が変わる気がするが、どんな世の中になるか楽しみにしている。


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