引き続き、「そば猪口」の話を続けます。
① そば猪口の歴史は古く、桃山時代まで遡ります。
② 磁器によるそば猪口は、伊万里(有田)で焼かれたのが、始まりとされています。
③ そば猪口も冠婚葬祭、季節の祭事など、ハレの日に使用される器でした。
当時の、そば猪口の使い道は、料理を盛り付ける、小鉢の役目でした。
前々回に、骨董の見るべきポイントを、3点(時代を見る、窯を見る、真贋を見る)を上げましたが、
磁器の素地である、陶石の採石所は、限られた地域にしか、有りません。即ち、有田の泉山石や、天草石
等ですので、産地(窯場)も、自ずから決まって来ます。それ故、時代による、違いが重要に成ります。
時代を見るポイントは、形の違い、紋様の違い、手書きその他の、絵付けの方法の違い等で、見分ける
事に成ります。
1) 時代を見分ける
① 形の違い
) 江戸初期~前期の形
口の径と、高台径の差が大きい、逆円錐形で、肉厚で、やや重い感じです。
高台も高く(上げ底の様)、底全体に釉(透明釉)が、塗られています。
) 江戸中期
この頃(18世紀中頃)から、有田以外で、そば猪口が、作られる様に成ります。
高台径がやや大きくなり、上下の径の差が、小さくなります。
高台は浅くなり、全体に肉厚が、薄く成ります。底全体に、釉が塗られているのは、同じです。
) 江戸後期
高台径が更に大きくなり、円筒形に近付いて来ます。
高台は、「蛇の目高台」になり、高台内側の中央部分が、一段深く成っています。
釉は、この一段落ちた部分にのみ、掛けられています。
) 明治時代
高台は「蛇の目高台」ですが、底全体に施釉していない場合が、多いです。
2) 紋様の描き方の違い
そば猪口には、「唐草文」も、多く描かれています。その描き方も、時代によって、変化します。
・ 「唐草文」とは、連続した、蔓草(つるくさ)状の植物紋様で、代表的な物は、花唐草と蛸(たこ)
唐草です。途切れる事のない、受福の連続を願う文様で、吉祥文の代表格といえる文様です。
) 江戸前期: 唐草を丁寧に描いています。
文様の輪郭を、呉須で線描きしておき、その後、太い筆(だみ筆)で、線描きの中を、埋めて
います。又、書き出しの部分には、複雑な枝葉が、描かれています。
) 江戸中期: 描き方が、段々省略されて行きます。
輪郭線を無くし、蔓草を直に、一筆で描いています。書き出し部分も枝葉を、省略しています。
) 江戸後期: 更に省略が進みます。
線と点のみで、単調に表現され、花等も適当に、配置され、簡単に描かれているだけです。
) 明治時代
合成呉須が、西洋よりもたらされ、鮮やかな、藍色に発色した、物が多く成ります。
更に、印版手と呼ばれる、印刷による絵付けが、行われる様に成ります。
高台は「蛇の目高台」ですが、底全体に施釉していない場合が、多いです。
・ 印判は、明治から昭和にかけて焼かれた、大量生産品の焼き物で、数も多く残っているので、
安いのですが、最近の骨董市では、極安い物は、見掛けなくなりました。
・ 印判とは、銅版版画などで原図を作り、その印刷された図柄で、大量生産された物です。
この技術での大量生産は、画期的な物でした。現在では、転写紙が使われています。
・ 印版手は、既に元禄時代に存在し、コンニャク(曲線に合う様にする為)や、型紙による
図柄を、押し当てる方法で、絵が描かれ、量産化が可能に成りました。
以下、次回に続きます。
① そば猪口の歴史は古く、桃山時代まで遡ります。
② 磁器によるそば猪口は、伊万里(有田)で焼かれたのが、始まりとされています。
③ そば猪口も冠婚葬祭、季節の祭事など、ハレの日に使用される器でした。
当時の、そば猪口の使い道は、料理を盛り付ける、小鉢の役目でした。
前々回に、骨董の見るべきポイントを、3点(時代を見る、窯を見る、真贋を見る)を上げましたが、
磁器の素地である、陶石の採石所は、限られた地域にしか、有りません。即ち、有田の泉山石や、天草石
等ですので、産地(窯場)も、自ずから決まって来ます。それ故、時代による、違いが重要に成ります。
時代を見るポイントは、形の違い、紋様の違い、手書きその他の、絵付けの方法の違い等で、見分ける
事に成ります。
1) 時代を見分ける
① 形の違い
) 江戸初期~前期の形
口の径と、高台径の差が大きい、逆円錐形で、肉厚で、やや重い感じです。
高台も高く(上げ底の様)、底全体に釉(透明釉)が、塗られています。
) 江戸中期
この頃(18世紀中頃)から、有田以外で、そば猪口が、作られる様に成ります。
高台径がやや大きくなり、上下の径の差が、小さくなります。
高台は浅くなり、全体に肉厚が、薄く成ります。底全体に、釉が塗られているのは、同じです。
) 江戸後期
高台径が更に大きくなり、円筒形に近付いて来ます。
高台は、「蛇の目高台」になり、高台内側の中央部分が、一段深く成っています。
釉は、この一段落ちた部分にのみ、掛けられています。
) 明治時代
高台は「蛇の目高台」ですが、底全体に施釉していない場合が、多いです。
2) 紋様の描き方の違い
そば猪口には、「唐草文」も、多く描かれています。その描き方も、時代によって、変化します。
・ 「唐草文」とは、連続した、蔓草(つるくさ)状の植物紋様で、代表的な物は、花唐草と蛸(たこ)
唐草です。途切れる事のない、受福の連続を願う文様で、吉祥文の代表格といえる文様です。
) 江戸前期: 唐草を丁寧に描いています。
文様の輪郭を、呉須で線描きしておき、その後、太い筆(だみ筆)で、線描きの中を、埋めて
います。又、書き出しの部分には、複雑な枝葉が、描かれています。
) 江戸中期: 描き方が、段々省略されて行きます。
輪郭線を無くし、蔓草を直に、一筆で描いています。書き出し部分も枝葉を、省略しています。
) 江戸後期: 更に省略が進みます。
線と点のみで、単調に表現され、花等も適当に、配置され、簡単に描かれているだけです。
) 明治時代
合成呉須が、西洋よりもたらされ、鮮やかな、藍色に発色した、物が多く成ります。
更に、印版手と呼ばれる、印刷による絵付けが、行われる様に成ります。
高台は「蛇の目高台」ですが、底全体に施釉していない場合が、多いです。
・ 印判は、明治から昭和にかけて焼かれた、大量生産品の焼き物で、数も多く残っているので、
安いのですが、最近の骨董市では、極安い物は、見掛けなくなりました。
・ 印判とは、銅版版画などで原図を作り、その印刷された図柄で、大量生産された物です。
この技術での大量生産は、画期的な物でした。現在では、転写紙が使われています。
・ 印版手は、既に元禄時代に存在し、コンニャク(曲線に合う様にする為)や、型紙による
図柄を、押し当てる方法で、絵が描かれ、量産化が可能に成りました。
以下、次回に続きます。