ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

原爆を落とされた唯一の国だから「戦争は絶対にいけない!」と、世界のみんなに言い続けていくリーダーの国

2015年08月19日 | 日本とわたし
原爆被害のパネル展開催中の国連本部ロビーで、「県原爆被災者友の会」事務局長を務める西本多美子さん(74)の体験談を聞くルイス君。



今から2ヶ月ほど前に、憲法研究者の岩田行雄さんから、ルイス君という、アメリカのマンハッタンに住む9歳の少年が、
安倍総理に宛てて、素晴らしい手紙を書いたことを教えていただきました。
この手紙は、ルイス君の手書きで、日本語で書かれたものだそうです。
全部で13枚にも及ぶと聞いています。
その内容の全文は非公開となっていて、なのでここに紹介させたいただくのは、要約されたものになります。
手紙は、石川県被団協のメンバーの方が、ニューヨークで開催されたNPT会議に参加した際に、ルイス君より託されたものです。

手紙を何度も読みました。
そして、ルイス君が、同じクラスの子どもたちにも伝えたいと、時間を作ってもらって話し始めたところ、途中で先生に止められて十分に話せなかったこと。
でも諦めずに、またもう一度、話を聞いてもらえるように頑張ってみようと思っていることなどを知り、胸の中がじーんと熱くなりました。

暮らしている地域(州など)にもよるし、もちろん人にもよりますが、原爆というものについての思いや考えは、人の数だけ存在します。
けれどもやはり、いかなる事情や理由があろうとも、核兵器というものを使ってはならないということは明白な事実です。
もう作ってしまったのだから0にはできません。
けれども、使えなくすることはできます。
世界がこの思いをひとつにして、地球上から核兵器という物体を、国際法上亡きものとして扱えたら、
不必要な兵器の開発も、成分となる核物質のさらなる生成や保存も、必要ではなくなります。
敗戦後70年、核の平和利用などという腹黒い誤魔化しの元、大勢の作業員の方々が被曝をし、環境も汚され続けてきました。
大きな地震や津波、そして活火山の噴火などが頻発する小さな小さな島国に、
大きな自然災害が起こったら最後、手の施しようのない破壊と償いようのない汚染、そして永遠に続く事故処理が必至の核発電所を、
自民党という党は、金と権力にものを言わせ、過疎の村や町をアメとムチで分断させ、ウソで塗り固めた安全神話を駆使して、
粛々と、こっそりと、その地域内から事の次第が漏れないようにしながら、原発だけでも54基もの施設を建ててしまいました。
そのことをほとんど知らないでいたわたしのような人は、日本の、いえ世界の中に、いったいどれほどいるのでしょう。
福島の原発事故が起こった後のニュースの中で、54基という数字を初めて読んだ時の驚き。
そして、すぐさま湧き上がってきた恐怖と後悔の念。
今でもはっきりと覚えています。

これはなんとかしなくてはならない。
知らなかった、知ろうとしなかった。
そのことを恥じ、怒り、何度も何度も反省しました。
ルイス君もがんばっている。
ありがとうルイス君。
わたしもがんばります。


それでは、憲法研究者・岩田行雄さんのブログ『岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞』より、転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ

憲法便り
『 9歳の米少年ローレンツ・ルイス君が、被団協に託した安倍総理への手紙』

http://kenpouq.exblog.jp/24244236/
【憲法千話】2015年6月11日

アメリカの9歳の少年ローレンツ・ルイス君が、被団協の方に託した安倍総理への手紙

ここでは、今日の政党代表の挨拶で、日本共産党衆院議員藤野保史(ふじの やすふみ)さんが読み上げた、
アメリカの9歳の少年ローレンツ・ルイス君の手紙を紹介します。

9歳、4年生の少年の文章です。

藤野議員が挨拶を終えて、お帰りになる際に、私から声をかけて握手をし、
「お読みになった手紙は、どこかに掲載されていたものですか?」と訊ねると、
「今日、被団協の方から受け取ったばかりです」との返事。

この手紙は、訪米していた被団協の方に、ローレンツ・ルイス君が託したもので、
全体は13ページありますが、それを被団協の方が要約したもの、ということです。

お読みになったコピーをいただきましたので、その画像も併せて掲載します。


安倍総理へ

僕の名前はローレンツ ルイスです。
9歳です。

ニューヨークのマンハッタンに住んでいます。
土曜日は、日本語の補習校に通っています。

安倍総理が、日本の自衛隊を、戦争に参加出来るように法律を変えようとしている、と聞きました。
僕は「そんなの絶対にウソだ!」と言ったら、お母さんは日本のニュースを見せてくれました。
ウソではありませんでした。
僕は本当に信じられませんでした。

70年前、広島や長崎の人たちは、虫を殺すように殺されました。
僕は虫も殺せないのに。
僕たちの平和な未来のために死にました。
戦争がどんなに恐ろしいのかを証明して死にました。

日本の自衛隊が戦争に参加する事になったら、何のために戦争でたくさんの人が苦しんで死んだの?
何で同じことを繰り返すの?

日本は原爆を落とされた唯一の国だから、「戦争は絶対にいけない!」と、世界のみんなに言い続けていくリーダーの国です。
もし日本が戦争に参加したら、世界のみんなは、「日本も戦争に参加しているし、僕たちの国も戦争をしてもいい」と思ってしまいます。

それは世界に、「戦争をする事は悪い事ではなくて良い事です。人を殺すのは良い事です」と言っているのと同じです。
そして日本が戦争に参加することになったら、世界中の国がどんどん戦争をはじめて、地球は戦争の世界になってしまう。

そして地球はなくなります。

世界平和のために、日本は絶対に、戦争に参加してはいけない国なのです。

戦争は、人を殺す事です。
全てのものをこわします。
戦争は、何の問題も解決しません。
それどころか戦争は、とても大きな問題を作るだけです。

世界中の子供達は、原爆や戦争の怖さを知りません。
でも、本当の怖さを知っているのは日本人だけです。
そして世界が平和になるために、戦争の本当の怖さを伝えるのも、日本人しかできません。
日本は、いつまでも、世界のお手本でいなくてはいけません。

日本人が平和の大切さを訴えることは、世界で一番影響力があります。
安部総理が世界のリーダーになって、『戦争のない世界、国と国がお友達になる平和な世界』を訴えてくれる、一番力のある人だと思います。

戦争で死んだ、罪のないたくさんの民間人や兵士の死を無駄にしたくないから、
僕は、戦争の怖さをみんなに伝えたいし、もう二度とこんなことが起きないように、戦争は絶対にいけないことを、アメリカで伝えます。

でも、僕の力はとても小さいです。

安倍総理、どうか僕の願いをかなえてください。
お願いします。

ローレンツ ルイス  9歳 小学4年生



藤野議員からいただいたコピー。
囲んである四ヶ所が、読み上げて紹介した部分。
下にある書き込みは、藤野議員によるもので、ご挨拶の締めくくりの言葉。


↑以上、転載おわり


NPT再検討会議:被爆女性、草の根外交 米の少年「戦争の怖さ伝える」/石川
【毎日新聞】2015年6月9日 
http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20150609ddlk17040363000c.html
 
米・ニューヨークの国連本部で、5月下旬まで1カ月近くにわたって、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれた。
会期中、金沢市在住の被爆女性も渡米し、各国代表団や子供たちに、「核なき世界」の実現を訴えた。
聞き手の中には、悲惨な体験に心を痛め、その後、安倍晋三首相に宛てて、平和を願う手紙をしたためた米国の少年もいる。
交渉が決裂したNPTに、被爆者は失望を深めつつも、「非核の輪」が草の根で広がることに、望みを託している。【竹田迅岐】

「県原爆被災者友の会」事務局長を務める西本多美子さん(74)=金沢市額谷。
4歳の時、広島市の爆心地から約2・3キロで被爆、1974年、夫の転勤とともに、金沢市に移り住んだ。

5年に1度のNPT会議などに合わせ、95、00、10年に渡米し、現地の計7校で体験を紹介してきた。
4回目の今回は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の一員として、4月24日から5月1日にニューヨークを訪れ、メキシコ政府代表団や学校を訪問した。

4月27日には、原爆被害のパネル展開催中の国連本部ロビーで、ニューヨークに住む母子に体験を語った。
ローレンツ華以(けい)さんと長男のルイス君(10)親子で、体験を聞かせてほしいと、被団協を通じて事前に申し出があった。

西本さんは、自らが体験した原爆投下直後の様子のほか、
やけどの傷痕に苦しんだり、肉親を亡くして悲しみに暮れたりした他の被爆者の体験を、1時間半にわたって日本語で語った。
日本語学校に通うルイス君は、熱心な様子で聴き入っていたという。

西本さんが帰国した直後の5月初旬、ルイス君から、華以さんを通じてメールが届いた。
西本さん以外にも、約10人の被爆者に体験を聞いたとし、「原爆の痛みやつらさを知ることができた」と、感想を伝えてきた

ルイス君は、多くの体験談を聞いたことがきっかけとなり、被爆者の思いを届けたいと、
6月4日、安倍首相に宛てて、日本語で記した手紙を送った。

「どうしてこんなにつらい人生を送らなければいけなかったのか、とても悲しくなりました。
戦争の怖さをみんなに伝えたいし、戦争は絶対にいけないことをアメリカでも伝えます」
とつづった。

ルイス君は、毎日新聞の取材に、
「核のない平和な世界になってほしい、との思いを込めた」としている。
華以さんとともに、被爆者の声をまとめた書籍の出版も、検討しているという。


では、その当事国日本の政界はというと、下記の第3次アーミテージ・ナイリポートのまとめを見てもはっきりとわかります。



この国の政策は、アメリカの対日要求に沿って決められているのではないか?という、山本議員の質疑の言葉通り。
もうそんなことをいつまでも続けることは許さない!
多くの国民のそういう強い意思を、もっともっと外に、物理的に、確実に伝わるような方法を考え出さなければ。


自治体へ再稼働圧力? 停止原発の交付金減額を検討
【テレ朝ニュース】2015年8月11日
http://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000056535.html

宮沢経済産業大臣は、原発の停止中は一律の稼働率で交付してきた交付金について、
現在の規定を見直し、引き下げを検討していることを明らかにしました。

宮沢経済産業大臣:
(現在の見なし稼働率は)81%という、かなり高い割合になっている。
稼働実績とか実際の運転状況踏まえ、一定の見直しをしたいと考え、現在、検討。
 
現在、停止中の原発は一律、稼働率81%とみなして、立地自治体に交付金を払っていますが、
今後は、東京電力福島第一原発事故前の稼働実績に基づいて、原発ごとに、みなしの稼働率を定めたうえで交付額を見直す、という案が検討されているということです。
事故前の原発稼働率は、全国平均で約70%だったため、交付金は減額されることになります。
このため、減額を恐れた自治体から今後、再稼働を求める動きが高まる可能性があります


原発維持に1兆4千億円 発電ゼロ時の電力9社
【東京新聞】2015年8月17日
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015081701001586.html
 
東京電力など、原発を保有する電力9社が、稼働している原発がなかった2014年度に
原発の維持、管理のため、計約1兆4千億円を使っていたことが分かった。

各社は、この費用のうち多くを、電気料金に転嫁しているが、
原発の代わりに使う火力発電の燃料費も増え、財務悪化や電気料金の上昇につながっているとみられる。

各社が早期の原発再稼働を目指す背景には、こうした維持管理費負担もありそうだ
 
9社は、有価証券報告書で、「原子力発電費」として原発関連の支出を公表している
14年度は計約1兆4260億円で、内訳は人件費や修繕費、使用済み核燃料の再処理費などだった。
(共同)



これからの日本は、戦争とも原発とも、きっぱりと縁を切らなければなりません。
その志の強さを、美しい小さな島から、世界に向けて発露しなければなりません。

米国『野生の王国&ジャズフェスティバル』事情

2015年08月17日 | 米国○○事情
近頃ひんぱんにお食事にいらっしゃる鹿の親子。


いつものごとく、チラ見はするけれども、全然気になさらない様子。


おかあさん。


どこもかしこもしっかりしてる。


まだおっぱいをあげているみたい。


むしゃむしゃ。


ばくばく。


なんか用?


ちびっ子たちもどんどん大きくなってきた。


なんというくつろぎっぷり!


ちびっ子だってむしゃむしゃ。


んでもってウンチ!


まだ咲いてるムクゲ?!今年はもしかしたら、9月まで咲いてるかも…。






ムクゲの木陰でひと休み。



そ、そ、そしてこの方、七面鳥さんが…珍しくひとりぼっちでいる。喧嘩でもしたのかな。






何かを一所懸命についばんでいるのだけれども…。





昨日は、野ウサギをリスが追っかけてたし…。
一応住宅街、のはずだけども、なんか野生化が進んでいるような気がする…。


6年前まで9年間住んでた隣町のジャズフェスに、歩美ちゃん&サミュエルくん親子と一緒に行ってきた!
隣町といっても、歩いて行けるほどの距離にある公園でのコンサート。
開演はお昼の12時からだったけれども、めちゃ暑の日だったので、おじさんとおばさんは無理をせずに、夜の7時到着で出かけた。


マイチェアも持たずに、ブラブラと歩く夫。


混んでるような混んでないような。


ステージ前はやはりマイチェア組がぎっしりと。


歩美ちゃんが持ってきてくれた敷物に座らせてもらい、今日のメイングループの演奏を聴く。






今年はこんな大型スクリーンが設置されてたりして、なかなかの充実っぷり。










スクリーンより。






スティールドラムの内側も見える。


町の8才の男の子、クラリネットが大のお得意。


E♭管のクラリネットを、ほんとに楽しそうに演奏する彼を、目を細めて見守る大御所PAQUITO。


男の子のために書いた曲を一緒に演奏する。嬉しいだろうな~彼!


いよいよトリのグループ!
司会はおなじみ、ロー&オーダーの役者さんであるS. EPATHA MERKERSONと、WBGOの名物アナウンサーGARY WALKER。


おらが町の名ベーシスト、CHRISTIAN McBRIDEとビッグバンド!






多分彼も有名な人だと思うけれども、怪しすぎ!


ベーシスト交代!


若い彼は、Christianをとても尊敬しているのだと思う。




スクリーンより。




彼は、この町の子どもたちに、JAZZ HOUSE KIDSという勉強の場を作り、毎日のように教えている。


グラミー賞を3回も受賞している彼の曲は、パワフルで超~スリリング。


歌手さんの名前は…あかん、思い出せない!


昨年にも増して、すご~く楽しいコンサートだった。
でも、司会の人も言ってたけど、終わったのが9時半だったから、最長で9時間半居た人もいるんだよな~。
夏の楽しみのひとつ、野外での無料コンサート。
PAQUITOさんも言ってた。
世の中では愚かな戦争を起こす者たちのせいで、辛い思いをしている人たちが大勢いる。
もっともっと音楽を愛し楽しもう!という心を増やそう!と。


ちょっと長いおまけ

日曜の朝、寝坊して台所に行ったら、マンハッタンにブランチを食べに行くってのはどうかね?と夫が言う。
行かいでかぁ~!

けっこう見つけるのに時間がかかった路上駐車(もちろん無料)のスポット。
お腹が減ってイライラしてきたわたしが文句を言い始めたら、ヒョイっと見つかった。
さらに、そこからこのお店が目と鼻の先にル・パン・コティディアン(Le Pain Quotidien)! ああ嬉しい!




パリで結局一度として叶わなかった、ボール入りのカフェラテ。飲まいでかぁ~!


ガスパッチョとアボガドトースト、そしてルッコラとコーンのサラダ。食わいでかぁ~!


さらにさらに、偶然にも、BOOKOFFがすぐ近くにあると知り…もちろん行かいでかぁ~!と、てくてく歩く。




1ドルぽっきりの本も含め合計16冊、んでもって中古の麻雀セット($15)もゲット!ああ幸せ!


家に戻り、食いしん坊のシカ親子に食われては蘇り、また食われては蘇りしている根性サツマイモの保護対策に取り掛かる。
(今まで放っといてごめんよぉ~!)






見た目は、おいおいこんなんでええんかい?っぽい軟弱さだけども、妙にいやらしぃ~く食べるのを邪魔できるのではないかと期待している。

というわけで、今年の収穫はとぉ~っても地味…。


ちなみに、蚊に食われたくないばっかりに、この暑い中、分厚いジーンズを履いたのに、その上からしっかり刺されてるわたしって…。
しゃがんでパンパンになってたからかなあ…それにしても根性のある蚊だなあ…。


さらにおまけ。
空&海。



「日本を『戦争のできる普通の国』にするのではなく『戦争のできない珍しい国』にするべき」鳩山由紀夫氏

2015年08月15日 | 日本とわたし
Mitsugu Yamakawaさんのフェイスブックより

鳩山由紀夫氏の凄さ
【ジャーナリスト・樫田秀樹氏】


辺野古の反対集会で一般市民に交じって、一市民として参加していた姿に感動した。
元総理が普通できないよ。
尊敬に値する。





辺野古にアポなしで訪れ謝罪した鳩山さん

先日、辺野古に半日だけ行きました。
数年前に、辺野古テント村に鳩山さんがアポなしで訪れて、

「皆さまにご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」と、謝罪をしたそうです。

もちろん、沖縄の人たちは、「最低でも県外」の公約が守られなかったことにがっかりはしたけれど、テント村に集う人々は

「それでも、当時の民主党が、鳩山さんが、あの公約を立てて辺野古問題を全国区にクローズアップしてくれたから、今でも、辺野古では本工事が行われないで済んでいる。
鳩山さんに味方はいなかった。
鳩山さんに、『やはり辺野古しかない』と言わしめるに至った、外務省や防衛省などの官僚たちこそを責めるべき、というのが私たちの共通認識。
私たちは、鳩山さんには感謝しています」


と述べていました。

現地に行かなければ、わからないことはたくさんあります。

↑以上、転載おわり



その鳩山さんからの、安倍首相への提言を、ここに転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ

鳩山元首相の提言「国民の多くが『戦争が出来る国』になることを心配」
【産経】2015年8月12日
http://www.sankei.com/politics/news/150812/plt1508120035-n4.html

安倍首相、私も首相として大変に稚拙だったと反省する身ですので、あなたに大きな顔をしてお説教をする立場ではないことをよく心得ています。
ですが、せっかく機会をいただきましたので、国のあるべき姿について、私見を述べさせていただきます。

安倍首相、あなたは、昨年の総選挙で大勝利を収めました。
勝ったのだから、自分の思い通りの法律を創(つく)るのだと、力んでおられるようです。
私は、2009(平成21)年、民主党が大勝利し、政権交代直後に最もやりたかったのは、
国家権力を強めるのではなく、一人ひとりの命を大切にする政治でした。

安倍首相、あなたはなぜ今、時代に逆行して、国家権力を強めようとされるのでしょうか

「国会運営は『国会は野党のためにある』の気持ちで」と、竹下登元首相がいつも話されていたように、
数を頼みに力で押し切るのではなく、野党や国民の声に耳を傾けることを、心がけることが大切ではないでしょうか。

今、国民の多くが、「戦争ができる国」になることを心配しています
そして、安保法制の法案が、今国会で成立することに反対しています
首相自身も、「国民の理解が進んでいない」ことを認めておられますが、
「国民の理解が進んでいない」というより、「国民の理解が進むほど反対が増える」と理解するべきでしょう。

なぜなら、首相の説明を伺(うかが)うほどに、時代認識の誤りや矛盾に、国民は気が付き始めているからです。

首相はことあるごとに、「安保環境が大きく変わる中で」と、枕詞(まくらことば)のように話されます
世界情勢が緊張感を増してきているかのように聞こえますし、メディアもそのように報道します
首相は、40~50年前の状況と比べておられるようですが、その時代には米ソ冷戦が激化し、キューバ危機やベトナム戦争がありました
今よりはるかに物騒な時代でした。
現在の米露が戦端を開くことはあり得ませんし、米中も戦争はしません
あまり報道されませんでしたが、昨年、オバマ大統領が来日した際の記者会見で、
「小さな岩のことで中国と争うのは愚の骨頂」と、諫(いさ)めた
通りです。

安保環境が悪化しているならまだしも、その時よりはるかによくなっているにもかかわらず、
「戦争に参加するための法案」を、なぜ、いまさら議論するのでしょうか


首相は、集団的自衛権をわかりやすく説明するつもりで、アメリカ本国や離れが火事の時に、日本が火消しをすることだと例示されましたが、
火事と戦争はまるで違います
火事は消せば済みますが、戦争は協力すれば、敵が攻撃する可能性が生まれるからです。
後方支援は直接的な武力行使ではない、と言い張っても、敵は兵站を断つ戦略に出るのが鉄則ですから、真っ先に狙われます
逃げれば全滅でしょう。

また、首相は、ホルムズ海峡が封鎖されたら、日本に原油が来なくなる。
だから、ホルムズ海峡に敷設された機雷の除去の手伝いをする必要性があると、しばしば例として挙げますが、
これこそ時代認識の大きな誤りでしょう。

首相は、特定の国を想定していないと逃げていますが、イランを念頭においておられることは明らかです。
かつて私がイランを訪問した際、国内から大きな非難を浴びましたが、
そのときに、私がアフマディネジャド大統領に申し上げたのは、
原子力の平和利用に徹するとしても、理解されるには時間がかかるので、日本を見習って、辛抱強く対話路線で交渉してほしい」ということでした。
その後、イランは、辛抱強く対話を続けてくれたと思います。
そして漸(ようや)く、6カ国との協議が、最終合意にまで達しました
イランとアメリカやイスラエルとの間の不信感が、完全に拭えたとは思いませんが、
少なくとも、ホルムズ海峡に機雷が敷設されるような環境では、まったくないことだけは明白です。

首相は、適切な具体的な例が見つからないので、このような例を挙げられたのだと推察いたしますが、
具体的な例がないということは、法案に今日的な必要性がない証左でしょう。

首相、そもそも、集団的自衛権を限定的であれ行使できるようにするには、憲法改正が必要です。
どうしても行使するというのなら、憲法改正を堂々と行ってからです。
国の安全保障の、根本に関わる議論を変更するのですから、表玄関から正直に入らなければ、生涯禍根を残すでしょう。

ただ、私は、アメリカに媚を売るような形で、集団的自衛権を行使することには反対です。
それは、アメリカの決めた戦争に、唯々諾々と参加せざるを得なくなることが明らかだからです。

また、日米安保一体化の一環として、普天間飛行場の辺野古移設を、強引に推し進めておられますが、
これ以上強行されると、沖縄の人々との間に、流血の惨事が起きかねません
この件では、私が大きな責任を有していますし、辺野古に決めてしまったことを、沖縄県民にお詫びいたします

ただ、翁長(雄志)知事を筆頭に、沖縄の皆さんは覚悟を決めておられます
辺野古では無理です。
首相には民主主義を守っていただき、あらゆる可能性を、沖縄を含めアメリカ政府と検討していただきたいと願います。

少なくとも私が首相のときには、アメリカには柔軟なところがありました
柔軟でなかったのは、むしろ日本の外務省と防衛省でした
北海道のある駐屯地では、司令が、すべての自衛隊員に遺書を書くことを命じました
こんな形で、自衛隊員に苦しみを与えてよいと思われますか

私は日本を、「戦争のできる普通の国」にするのではなく
隣人と、平和で仲良く暮らすにはどうすれば良いかを真剣に模索する、「戦争のできない珍しい国」にするべきと思います。

私が首相のときに訴えました「東アジア共同体」構想を、中国の習近平国家主席が唱え始めています。
中国と韓国は、自由貿易で結ばれていきます
アセアン(東南アジア諸国連合、ASEAN)も、今年中に、経済共同体がつくられます
日本こそ、そして沖縄こそ、その結節点として、立ち上がる時を迎えているのではないでしょうか。

「戦争への国造り」から「平和への国造り」へ、首相の英断を求めます



長い間、鳩ぽっぽ、などと呼んでたりしてごめんなさい。
博愛博愛って、そりゃ言うのは簡単やけどさ~、そんなこと叶うわけないやん、こんな世の中で…なんて思ってたりしてごめんなさい。
こんな世の中だからこそ、筋金入りの博愛精神が必要なんだと、叶えるんだという強い意志が大事なんだと、いろんなことを知った今は痛感しています。

日本は、あなたのおっしゃるように『戦争のできない珍しい国』になって、それが全く珍しくもない世界になるまで、他の国を先導する役目を負うべきだし、
それができる、選ばれた国だと信じたいです。
世界中のどの国も、戦争のできない国になる。戦争のできない国にする。
そのバトンをしっかりと渡せる大人になれるかどうか、子どもたちの期待にそえるよう頑張らねば!

「選挙だけじゃなく、何を買うか、何に時間を使うか、何に足を運ぶか、常に一票を何かに投じてる」マコさん

2015年08月14日 | 日本とわたし
『日本では報道されない原発事故状況』
「これは、ベラルーシでは、子供はすぐに強制避難する数値だ。日本は豊かな国と思っていたが、そうではないのか?」


この題名と、ベラルーシから訪日したネステレンコ所長の言葉を読んですぐに思い出したのは、
チェルノブイリ事故をつぶさに取材した日本の報道ドキュメントを観た時の、腹の底からわき上がってくるような憤りでした。
そしてその時同時に、「ああ、わたしは日本人でよかった」と、訳もなく安心したことも。
どうしてそんなことを思ったのか。
日本人であることがどうしてよかったのか。
すでにいい大人になっていたはずの自分が、いかに世の中知らずでいたか、いや、知らないふりをしていたのか。
そんなことをしみじみと考えさせられた4年と3ヶ月でした。
そしてこの、知ること、考えることという作業は、姿形や方法が変わるかもしれませんが、今後もずっと、ずっとずっと、続いていくだろうと思っています。


わたしの苦手な膨大な量の文字起こしを、地道にコツコツ続けてくださっているタニガキトキコさん。
トキコさんのブログ『ぼちぼちいこか』に、今から3ヶ月ほど前に載った記事を紹介させていただきたいと思います。
原発事故や水俣病、そしてアスベストなどの、日本が抱えるたくさんの問題について取材をしておられるおしどりマコさんの講演会の内容を、文字起こししてくださったものです。

↓以下、転載はじめ

『日本では報道されない原発事故状況』
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/4394195.html

司会:
おしどりマコさんの講演会に、ようこそおいでくださいました。
みなさんご承知のとおり、2011年3月11日に、東北大震災を私たち日本人は経験しました。
その後の大震災としての津波、そして原発事故。
私たち日本人、世界の人たちが、未だ経験したことのない恐ろしい災悪となっております。
そして、この事故は、未だに何もコントロールされていないばかりか、更に危機的な状況が続いています。
 
みなさまご承知のとおり、この間行われた東京都知事選での、いろいろな世論調査の関心度調査によれば、
原発・脱原発、この問題は、東京都民の関心度第3番目になっていますね。
第1番目は、例えば少子化だとか、そういう問題。
 
ですから、どういうことかといいますと、それは、メディアが操作されている、ということによって、こういう関心度が低く抑えられていることもあります。
ただ、被災地の福島の声というのは、もう東京都民にまで届かない、そういう状況なわけです。
 
今日はしかし、おしどりマコさんの口から、実際には福島では何が起きているのか、
そのことについて、まず一番最初に、その当事者の声を伝えていただくということで、今日お招きして、みなさんに来ていただいているわけです。
これはもちろん、こういう声がまず、外国に伝わっていくということは、非常に珍しいことであるので、その意味でも非常に貴重な講演になると思っています。
 
おしどりマコさんは、Free Press Association of JAPAN(自由報道協会)という代表?


おしどりマコさん:
理事です。


司会:
理事でいらっしゃいます。
この組織は、そもそも日本で、大震災の後に結成されたもので、今ちょっとお話しましたとおり、メディアの操作が行われている
そのメディアの操作が起きないように、メディアの操作を受けないで正しい生の情報を伝える、そういう目的の元に結成されたジャーナリストの組織です。


おしどりマコさん:
地震の少し前にできたんです。


司会:
ごめんなさい、そういうことでした、偶然ながら。
 
おしどりマコさんは、福島の事故が起きてから、それまでは吉本の漫才「おしどりマコ・ケン」として活躍していらしたんですが、
これを機に、脱原発について、いろいろ発言されるようになりました。
それと、本業でもお呼びがかからなくなってしまった
その代わりに、でも逆に、ジャーナリストとしての名前が知られるようになり、そしておしどりマコさんの質問があまりにするどいので、東電の人たちもたじたじとする、それで有名になったという、そういう経歴を持ってらっしゃいます。
 
それで、マコさんは、もちろんジャーナリストだけではなく、合わせて福島を訪れて、現地の人たちの声を伝えることもしてらっしゃいますし、
それから東電の???の人たちにインタビューもして、その人たちのいろいろな情報を引き出したりもしています。
 
ではこれから、おしどりマコさんのお話を聞いていただきます。
みなさんと一緒に、いろんなことを考えてみたいと思います。


おしどりマコさん:
Hello, everyone. My name is Mako Oshidori. I'm sorry, I speak in Japanese.
 
今日は皆さんとお会いできて、こうしてお話する機会を与えていただいて、本当に感謝しています。
そして嬉しいです。
今回呼んでいただいた協会の方々や、そしてIPPNWという核戦争防止医師会議の方々に、とても感謝しています。
 
先ほどご紹介していただいたんですが、少しだけ訂正をさせてください。
私は実は、ここに呼んでいただいてなんなんですが、脱原発活動をしているわけではなく、取材をしているんですね。
原発事故の取材や水俣病やアスベストなど、日本にはたくさんの問題があって、その取材をしています
 
しかし、昨日まであったIPPNWの、出席していた科学者や医者たちも言っていたんですけれども、
自分は脱原発のactivist(活動家)ではないんですけれども、原子力に対して都合の悪い事実を研究して発表すると、脱原発の活動家と呼ばれてしまう
と話していました。
 
原子力のロビーに都合の悪い事実を研究したり、記事を書いたりすると、かなり圧力がかかるのですが、
それに対してくじけずにずーっと仕事を続けると、いつの間にか脱原発の活動家として見られてしまうようです。
 
もちろん私は、原発は地球には必要ない、と思っています

私は、ヨーロッパに来て驚いたことが一つあります。
それは、日本がものすごく民主主義で、自由な国だと思われているということです。
 
実は私は、東京電力の記者会見に、最も回数多く通っている記者なんですが、
私がいろいろな事実を記事に書くと、都合の悪いことが多いようで、様々な圧力がかかります
 
私が書いていた雑誌に、
「おしどりの記事を一回載せるごとに、原子力推進の記事を3回載せろ」
と、電力会社の団体から編集長に、圧力がかかったことがありました。
それで、私の記事が載らなかったのですが…。
そのほかにも、テレビ局でテレビの番組で、私が東京電力の事故について話すという企画があったのですが、スポンサーから、
「東京電力と原子力、原発という言葉を一切使うな」
という指示が出て、出演が無くなったこともありました。
どうしてかというと、圧力がかかって…。
 
それまでというか、2011年と2012年は、電力業界側からの圧力だったのですが、
2013年に、日本の政府が原子力を再稼働していくと決めていった時から、政府側の監視が付くようになりました

2013年、去年の7月に、参議院議員選という選挙が終わり、日本の国内では、二つの院とも、自民党という政権が一番最大の与党になったのですが、
その時にこの政権が、原子力関係の技術者と研究者を秘密に集めて、秘密のミーティングをしたんです。

「福島第一原発をどうやって廃炉にもっていくかというアイデアは無いか」と研究者を集めたのですが、一枚のリストが配られました

そのリストにはいろいろな人間の名前が書いていて、今の日本の政権は、
「そのリストに名前が載っている人物に近づくな」と、研究者たちにリストを配っていました

それは今の政権と敵対する政党の、強い力を持った人たち、例えば、『菅直人』とか『小沢一郎』にならんで、『おしどりマコ』と書いてある

まぁ、近づくなと言われて配ったリストなんですが、私は既に、そこの研究者と何人か仲が良かったので、
「リストに名前が載っていたよ」と教えて頂きました

 
それからしばらく、尾行をする男性がつきだしたのですが、それは詳しい人に聞くと、公安調査庁という、内閣府のいろいろなことを調査する組織の一員のようです。
私は隠し撮りが趣味なので、隠し撮りに成功した一枚をお見せします。

このように私が誰かとしゃべっている場合、誰とどんな会話をしているのか聞こうとする人が、ぴったりついていた時期がありました
私は芸人なので、しゃべっている人(相手)は「マネージャーさんですか?」と聞くのですが、
「いえ、私は彼のことを全然知らないので、私の追っかけだと思います」
 
福島県で、いろいろなお母さんたちを取材する時もあるのですが、そうすると、私が取材をして、一緒にご飯を食べたりしているお母さん達と帰るとき、別れるときに、
ひとりひとり顔写真を撮って、そして車のナンバーを撮って帰っていった公安調査庁の人もいました
 
なので、福島県のお母さんたちは、そういう顔写真を撮られたり車のナンバーを撮られたりすることに怖がって、もう取材を受けるのは嫌がる人もいますし、記事に書くのもやめてほしいという方も出てきます
 
こういう公安調査庁に仕事に詳しい元公安の人に聞きますと、そういう見えるタイプの尾行は、『威嚇・脅し』だそうで、
一人いたらあと10人くらいいると思った方がいいよ」と言われました。
まるでゴキブリのようだと思います。
 
このように、原発事故に関して少しシビアな取材をすると、いろいろな圧力がかかったり、取材ができにくくなったりします
 
でも、私の他にもたくさん、原発事故のことを取材をしている記者は、大手の新聞社や大手のテレビ局にもいるのですが、なかなかその情報は外には出てきません
なぜなら、出す段階で、「情報を発信しないように」という圧力もかかるからです。
 
なので、皆さんにこれから話すことは、驚かれることもあるかもしれませんが、でも同じように、私が日本の人たちに話す時も、日本の人たちも驚かれます。
聞いたことの無い話であったり、新聞やテレビで見たことのない事実だからです。


それでは、原発作業員の方についての話をしたいと思います。
 
この方は、東京電力の社員で、2012年に、福島第一原発で、医療室で看護師の仕事をしていた方です。
2013年に東京電力を辞めた時に、彼にインタビューをしました。
 
原発の作業員が亡くなったとき、その発表は、仕事中に亡くなった人だけ、東京電力は発表します
例えば、週末に亡くなったり、寝ている間に亡くなったり、そして3か月働いて数週間の休みの時に亡くなったりする作業員は、発表はされません
 
一応、東京電力の医療班のところにまで報告はあがるのですが、「もともとの病気だろう、持病だろう」ということで、片づけられてしまいます
「それが被曝による死かどうかは誰も判断はつかない」と言っていますが、しかし、ものすごく過酷な状況で働いていることには間違いはない、と彼は話していました。
 
彼のインタビューを、私は、さまざまな雑誌の媒体でも書きたいと思ったのですが、残念ながらこれは、インターネットでスポンサーが付いていない報道のサイトでしか私は書いておりません。
 
2012年の1月に、原発作業員が一人亡くなったのですが、彼について私たちが警察と病院の事情聴取のコピーを手に入れることができたので、かなり詳細な細かい取材をしました。
亡くなった作業員の身元引受人の住所、というのを手に入れることができたので、そこの住所まで訪ねていってみました。
その住所は、アパートは存在しているのですが、日本では『4』という数字は縁起が悪いということで、古いマンションには『4』のつく個室は無い場合があります。
身元引受人の住所は、アパートの204号室だったのですが、足を運ぶと、203の次は205しか存在しませんでした
そのアパートの隣近所の方にも訪ねたのですが、その身元引受人の方は住んではいませんでした
なので、数字の書き間違いでもないようです。
地図上ではその建物は存在するので、実際に行かないと、その号室はないということは判りません。
これは架空の住所の身元引受人だったのかもしれません
 
原発事故の後に限らず、建築業界や原発業界の闇の部分ですが、身寄りのない方や高齢の方、身寄りのない高齢の方が、このような過酷な作業にあてられることが多いそうです。
 
2011年に100ミリシーベルト浴びた作業員は、毎年のがん検診や手厚い健康ケアがあります。
しかし、ほとんどの原発作業員は、90ミリシーベルトや95ミリシーベルトや83ミリシーベルトや、100ミリシーベルトを超えないように作業をさせられていました
なので、手厚いケアはありません
 
以前から、事故の前から、原発でずーっと働いていた作業員の人たちは、
1年にそれくらいの量を浴びるとどうなるのか、2時間で35ミリ浴びるという作業はどういう意味なのかよく判っていて
もう自分は長生きをしないだろう。そして、子供は絶対作らないし、5年後の命もどうなっているかわからない
とよく話しています。
 
今日本では、子供たちですら守られていない状況ですが、でもそれでも、子供たちの健康を守らなくてはという人たちもいます。
しかし、原発の今一番シビアな環境で作業している人たちを守ろうという団体や声は、ほとんどありません
それは私たちの、本当に責任でもあると思います。
 
その私が、2012年の1月に取材をした、亡くなった作業員の記事ですが、週刊文春という雑誌に載ったんですが、
ちょうどその時に、日本の有名な歌手の、はっきり言いますと浜崎あゆみさんが電撃で離婚をしたので、
申し訳ないけど、記事を4分の1にしてくれ、かなり削ってくれ
と言われてしまいました。
 
なので、このような情報が出てこないというのは、このような情報を知りたいと思わない私たちの責任もかなり大きいと思います。



次に、福島の母親たちの話をしたいと思います。
 
彼女たちは、福島県のいわき市というところに住んでいる、お父さんやお母さんたちです。
彼女たちは、学校給食についての運動をしています
 
今、福島県では、福島県の生産物が汚染されているんじゃないかということで売れないので、
それを売るために、学校給食で子供たちに食べさせて、安全性をアピールして、福島県のものを売っていこうという政策がとられています

いわき市では、もともと大きい自治体なので、福島県のものではなく、東北から生産物を買っていたのですが、
事故の後、子供たちに安全性をアピールさせるために、福島県のものを学校給食で食べさせようということになってしまいました
彼女たちはそれに反対して、署名活動をしています。
 
検査を厳しくしたらいいのではないかという声もあるのですが、彼女たちは、現在の日本ではセシウムしか測っていないので、
ストロンチウムが入っていたらどうするのか、10年後に『実は昔はプルトニウムが入っていました』と言われたらどうすればいいのかと、反対をしています

 
彼女たちの主張は、安全かどうかではなく、子供たちに安全性のアピールをさせるというのは、科学的な問題ではなく倫理的な問題ではないかと思っています。
しかし、現在、福島県の7割の自治体では、学校給食で福島県のものを、安全性のアピールのために、子供たちが食べています
彼女たちは、とてもマイノリティです。
なので、とても圧力がかけられ、嫌がらせもあります
「汚染を気にするなら福島から出ていけ」
 
そして、いろいろな…具体的な嫌がらせを私は取材して聞いているのですが、それを書いたり発信したりしないでほしいと言われます
なぜなら、どんな嫌がらせに自分たちが参っているのかということを知られると、余計それがひどくなるのではないか、と恐れているのです。
 
これは、ベラルーシのベルラド研究所というところのネステレンコ所長と、2012年の10月に、福島県を一緒に視察した時の写真です。
彼が一番驚いていたことは、これは伊達市の小国小学校というところですが、この横の校舎があって、プールがあって、ここの辺りを測定した時のことです。
見えますかね?
27・6マイクロシーベルト/時という数字を指しています
彼はこの時私に、
「この小学校の生徒はみんな避難してるのか?」
と言ってきました。
私は、
「授業を受けています」
と答えました。
「これは、ベラルーシでは、子供はすぐに強制避難する数値だ。日本は豊かな国と思っていたが、そうではないのか?」
と言われてしまいました。
 
たまたまその時に、この伊達市の市役所の職員たちが来ましたので、
「ここでとても高いポイントがありますよ
と言いますと、
知っています
と答えられました。


…まぁ、本当にこれは特に高いポイントなのですが、小学校の中はきれいに掃除をしていて、低いから大丈夫だということになっていますが、
しかし、ネステレンコ所長は言うのですが、
「中は掃除はしていると言っても、シェルターになってるわけではないし、同じ空気だし、風はふぶいているのに、それはどういう意味だ?
と、何度も聞いていました。
 
ここの小学校のお母さんに、後程見せてもらったのですが、
この2012年の9月、ネステレンコと一緒に見に行った1か月前は、179マイクロシーベルト/時あったそうです。
それを『掃除をして、3.9に下がったから大丈夫ですよ』と、この学校の校長が保護者に配ったプリントです。
このプリントを見せてくれた彼女は、
「179マイクロシーベルト/時という数字なら、すぐに子供たちを避難させてほしい」と言っていました
しかし、もう今は、この小学校は通常の状態になっているので、彼女はもう自分でお金を出して、引越しをしました
 
私が取材をした2012年当時は、この小学校に、200ファミリーほど子供を通わせているファミリーがあったのですが、
そのうち被曝を気にするファミリーは、たった2つでした。
今は、その2つとものファミリーは引っ越しをして、避難をしているのですが、いつも、
「自分たちが頭がおかしいのか?本当は安全なのに、自分たちが怖がり過ぎているだけなのか?どう考えていいかわからない」と話していました。
 
ちなみに、このように高く放射性物質で汚染されているところは、今は土を剥ぎ取ってゴミ袋に詰めて、どこか近くの空き地に積んでおくという措置がとられています。
 
そして福島県に限らず、近隣の東日本の茨城県や群馬県や宮城県、岩手県も、汚染されている地域はたくさんあって
そこも同じように人々が住んでいるので、掃除をして、近所に放射性物質の廃棄物を積んでいます
 
ちなみに、この土が入った袋は、小さく見えますが、一つ1トンです。
かなり大きいです。
これは茨城県の写真なんですが、おもしろいことに、端っこに『ごみは持ち帰ろう』と書いてあるんです。
 
まぁ、現在これは、どの様に処分していくかということは、決まっておりません

福島の事故とチェルノブイリの事故で、私がかなり違うなと思うことは、インターネットがとても発達しているということです。
 
これは、松本子ども留学というプロジェクトの見学会なのですが、長野県松本市というところで、
市長が、福島県の子供を10人…第一回目は10人預かって、学校を卒業するまでずっと松本市で寮を作って、そこで学校に通わせるというプロジェクトを始めました。
松本市の菅谷昭市長はお医者様で、チェルノブイリの事故の後、ベラルーシやロシアに通って、子供たちの甲状腺の手術を何年もされた方です。
なので、福島で原発事故が起こり、すぐに子供たちを避難させないといけないと主張しました
しかしそれは通らなかったので、松本に避難をしてきた市民たちと一緒に、このプロジェクトを立ち上げました
 
福島では、原発事故の汚染を怖がったり、被曝を気にしたりすることはタブーとされていて
「国が大丈夫、政治が大丈夫、研究者が大丈夫と言っているのに、何を怖がっているのだ」
ということになります。
なので、このプロジェクトは、『避難』や『疎開』という言葉は使わずに、『留学』という言葉を使っています
その方が福島の中で宣伝をしやすいし、参加しやすいからです。
 
日本では、4月から新しい年度に変わるので、これは今年の4月から、福島の子供たちが長野に来て生活をしはじめるのですが、
これは去年の12月に、このプロジェクトに参加をしたいと思う子供たちや家族が見学に来る、というテストのケースでした。
 
このプロジェクトに参加を希望している子供たちに、お父さんやお母さんがいないところで、ひっそり話を聞いたのですが、とてもショックでした。
このプロジェクトに参加する子供たちの多くは、中学生の女の子です。
中学生になると、自分でインターネットを触って、情報を集めることができます。

「学校の先生やお父さんは、「原発事故は大丈夫」というけれども、自分でインターネットで調べると、とてもそうは思えない。
原発事故の後、どうも自分は体調がおかしくなった。
しかし、汚染されていない地域に遊びに行くと、元気になるような気がする。
なので、自分は親は反対しているけれども、汚染されてないところで勉強したいんだ」

 そう話す子供もいました。

「自分は、大きくなって子供を産みたいので、できるだけ早く福島から出たほうがいいのでは」
と話す、中学生の女の子もいました。

「大学や高校で福島から出ようと思っているけれども、中学のうちに出られるなら、このプロジェクトに参加したい」
と話す女の子もいました。
 
汚染に対してはいろいろな考え方がありますが、こうして子供たちが自分でインターネットで情報をとって、それで考えようとして、子供たちだけが怖がっている
『親には言えずに、学校の先生には相談できずに怖がっている』という現実があることを知って、驚きました。
 
ある小学校では、PTAの集まりの中で、
インターネットを見て怖がる人がいるので、学校の情報だけに一本化しましょう
という話し合いが行われました。
それが恐ろしくて、引っ越しを決めたファミリーもあります。




今彼に、時間の配分を聞いたので、次に、福島第一原発の現状のことについてお話したいと思います。
 
これは、1号機と2号機の後ろにある、スタッグと呼ばれる煙突です。
福島第一原発には、今さまざまな問題があちこちにありますが、これは、私が最も危険だと思っている場所の一つです。
これは120メートルあるのですが、2013年の12月に、この根元の部分に、最も高い数字、毎時25シーベルトの地点があることが判りました
マイクロもミリもつかない、25シーベルトということは、人間が近づける場所ではありません
 
問題はここからです。
 
この煙突の東西南北の4方向、120メートルの60メートルの地点に、切れ目と変形があることが判ります
この写真の部分です。
完全に切れている部分もあります
本来、すぐに修理をしないといけないものなのですが、根本が毎時25シーベルト、あと毎時15シーベルトの地点もあります
そのため、何も手が付けられません
なので、現在東京電力は、これに対してとっている対策といえば、
「監視員をおいて常に見ています」

 
これは、1号機と2号機に非常に近いため、今も福島、東日本では、地震が時々あるのですが、これが建屋に倒れてこないか、現場の作業員はとても心配しています
 
これが1号機、もしくは2号機に倒れてきた場合は、作業員は逃げるしかないでしょうし、逃げるのが間に合うかどうかもわかりませんし。
そして、もう一度、近くの住民が避難しなくちゃいけないような、シビアなアクシデントに繋がるかもしれません
 
あと、もう一つ、あまり知られていないことの一つに、今も福島第一原発の原子炉から、大気中や地下水に放射性物質が出続けている、という現実があります。
 
これはちょっと私が急ぎで書いたものですが、原子炉の圧力容器と格納容器です。
現在、圧力容器から、恐らく燃料棒が溶け落ちて、底にたまっているものと考えられています。
なので、水で冷やしているのですが、そうすると、水と放射性物質、放射線に反応して、水素が大量に発生しています
そうすると、また水素爆発を起こす危険性があるので、窒素を入れて水素を追いだそうとしています
そして、窒素を入れてフィルタを通して、放射性物質をできるだけ獲って、そして中の気体を外に出しています
 
問題はここからです。
 
これは1号機の場合ですが、1時間に35リューベ窒素を入れて、1時間に21リューベフィルタでキャッチして、外に出しています
つまり、1時間に14リューベ、どこかわからないところから漏れ続けているんです。
これは1号機も2号機も3号機も同じ状況で、今も放射性物質が大気中に漏れ続けています
それはトータルで、1時間に1000万ベクレルと言われています。
 
地下水も、もちろん汚染されています
これは、安倍総理が、オリンピックを東京に呼びたい時に言った、『汚染水は完全にブロックされています』と言ったエリアです。
この辺りに、非常に高い地下水の汚染が見つかって、そして、この部分は汚染水が大量に漏れているということは、もう東京電力も認めています
安倍総理は、この港湾と呼ばれているところで『完全にブロックされている』と言ったのですが、
記者会見に通っている記者たちは、それが何もブロックはされてないことをもちろん知っています
なので、安倍さんの発言のあと、記者会見で記者たちが何人も、
「本当に汚染水は港湾でブロックされているんですか?」
と質問が相次ぎました。
 
すると、東京電力は、
「安倍さんのご発言を聞いて、東京電力としても国に主旨を確認しました」
と言いました。
つまり、東京電力もかなりおどろいたようです。
 
東京電力は「ブロックはしてない」とはとても言いませんでしたが、「影響は少ないとは考える」という答え方を終始しています
 
先ほど説明した、ここの、とても高い汚染のある地下水ですが、実は今年の2月6日に、ここの地下水の一つの井戸から、ストロンチウム90が、1リットルに500万ベクレルあるということが発表されました
しかし、その地下水を穴を掘って、そして水を獲って測定したのは、去年の7月です。
なぜその数字が出てこなかったのか
セシウムや他の放射性物質の数字は出ていましたが、ストロンチウム90の値だけでてきませんでした。
なぜ高い数字を発表しなかったか。
東京電力の説明では、
「あまりにも高すぎる数値のため、測定に間違いがあったのではないかと調べていた」
という回答でした。
 
この地下水の観測は、掘って初めて第一回の測定だったため、その地下水が何時からどれくらい汚染されていたのかということは、現在全くわかりません
 
現在、汚染をしらべるために、たくさん、地下水をしらべるための井戸を掘って測定をしているのですが、
今判っていることは、どこから何が漏れているのか、恐らく一か所ではなく、たくさんの場所からいろんなものが漏れているということだけが判っています
地下水が、いつから、何が、どれだけ漏れていたということは、判っていません
そして、『今まで測定していた数字も小さく見積もっていた』という発表が、今年の2月にありました
 
このように、空気にも水にも、現在も放射性物質は漏れ続けている上、人間が近づけないけれども、すぐに対処しないといけない壊れそうな場所も何カ所かあります
 
しかし、このような情報を知っている日本の方々は、とても少ないと思います。
みんなが見るようなテレビや新聞には、こういう記事は載らないからです。
そして、『国や研究者が言うから大丈夫だ』ということで、どんどん、汚染地域に避難している人たちを戻そうという計画がとられています

これが、『自由で民主主義のすばらしい国だ』と思われていた、豊かな日本の現状です。

でも、このような状態になっているとは、本当に私たち自身の責任だと思います。
どうやったら何が変わるのか?ということを、いつも考えています
 
日本では、選挙の時に1票を入れるだけで政治に参加している、と思う人が多いです。
以前の私も、そう思っていたかもしれません。
しかし、私たちは、何を買うか、何に時間を使うか、何に足を運ぶかに、常に一票を何かに投じているということに気づきました。
ですから、こうして皆さんが、皆さんの時間を使って、足を運んでここに来てくださったことに、とても私は感謝をしています。
 
なので、日本の現状はこんなのですが、でも、それでも、私たちが知りたいと思って、メディアに変わってもらいたいと思って、政治に変わってもらいたいと思って
自分で何を買ったり、何かで時間を使ったりすることで、自分の人生を変えていくことで、すぐに変わると思います。
 
私は芸人の師匠、ドイツではなんて言うんでしょうね、マイスターっていうんですかね?に、ときどき、まぁ直接の師匠ではないんですけれども、
長いものに巻かれておけ
と怒られるときもあります。
一方で、第二次世界大戦を経験した私の別のマイスターは、
国のためにしゃべるな。目の前のお客さんの幸せのためにしゃべれ
という人もいます。
 
別の師匠には、
(私)一人で頑張っても、世の中が変わるには100年かかるよ
と言われてしまいました。
 
しかし、
私みたいなのが100人いたら、1年で済みます
と言っています。

今日、みなさん、100人以上はいらっしゃると思うので、もう1年で世の中は変わると思います。
 
原発事故だけでなく、様々な問題が世の中にあると思うんですけれども、
自分の人生や自分の生活を、何に使うかということに、私は本当にいろんなことを考えて、丁寧に生きていきたいと思います。
 
今日は本当にありがとうございました。

SILVER LAKE & LOON & MONTREAL

2015年08月13日 | 家族とわたし
インターネットもテレビも新聞も無いところでの数日間。
夏のこの空間は、もうかけがえの無いものになりました。

夫は幼い頃からティーンまで、姉と弟とともに両親が運転する車に乗ってこの湖を訪れていて、だからここは夫にとってはとても大事な場所なのだと何度となく聞いてはきたけれど、
こうして繰り返し訪れるようになるまでは、やはりどことなくよそ事のような感じで、だからわたしは自分がよそ者であるという、そこはかとない寂しさを感じていました。
でももう大丈夫。
シルバーレイクという素敵な名前の湖に出会ってから早20年。
湖の守り神、ルーンの夫婦とも、なんとなく気持ちが通じ合っている気がする今日この頃です。

向こうに行くと、コッテージの持ち主テリーの息子夫婦、夫の幼馴染でもあるルエルとイライザに会えます。
彼らからは、カナダの政治問題についていろんな話を聞かせてもらえるし、日本の情勢についてもすごく興味を持ってくれているので、話が尽きません。
今回はそこに、夫の弟ジムが西海岸からやって来るというので、とても楽しみにしていました。

分厚い雲がポカポカと浮かび、太陽の強い光を程よく緩和してくれるので、なかなかのドライブ日和になりました。


アメリカとカナダの国境。今回もとても空いています。


わたしが運転し始めるとなぜか渋滞に…というジンクスは今回もバッチリ当たり疲れ果てましたが、そんな疲れなど、湖を見た途端に吹っ飛びました。

我々より少し前に到着していたジムと。


向こう岸では、なぜかカモメさんが…。


翌朝は晴れ。朝もやの中のシルバーレイク。








ああやっぱりわたしはこの湖を愛してる!


毎朝起きたらすぐに、コーヒーカップを手に、ずっと長い時間湖を眺めていたジム。


朝の光の中で。






朝のお務め、ヨガ~!


持ち主であるのに、たまたま大勢が同じ時に滞在することになったので、近所の別のところで寝泊りしてくれたテリーとリンダ。ごめんなさぁ~い!


コッテージから湖に直接下りる地面はフカフカで、歩くとボワンボワンという音がします。


飲み水の確保に出発!


今年の湧き水は勢いが良い!


テリーとリンダからのお土産!昼っぱらからカスタードパイを食らふ!




晩ご飯の食材を調達に。


おぉ~!みんな美味そうだわい!


もちろん音楽も。


なんとも元気で美しいカボチャとズッキーニの数々。


リンダとわたしは、円盤みたいな形をしたズッキーニに一目惚れ。


毎回恒例、鍼のグループセッション。




周りにすっかり溶け込んでいるルエル。


ボール投げゲームに勤しむテリーとジム。テリーはこんなふうに、いつだって外遊びの隊長で、夫とジムはだから、子どもの頃からの大ファン。






いつでも誰かがここで、本を読んだり語り合ったり、ぼんやり湖を眺めたり…時間の流れがうんとゆっくりな場所。








三日目はカヤック初体験。監視役のイライザと。




カエルさんがいっぱいいそうな気配。


曇っているように見えて、実はすご~く暑い。


木々の墓場。


おーい、待っちくれぇ~い!!


日が暮れると一気に冷えるので、ヒーターかストーブをつけなければなりません。


四日目、やっと暖かさが十分感じられる日になりました。






苔のぉ~むうすうぅ~まぁ~あぁでぇ~。


今回の珍しいもの大賞はこのボート。静かにゆっくり進みながら、湖面に点線のあとをつけていきます。


ついつい、同じ場所とは知りつつ撮ってしまう湖。


昨日とは逆のところにある蓮の葉広場に行ってきたイライザとルエル。




こんなきれいな蓮の花を持って帰ってきてくれました。


でも、葉っぱが早くも縮まり始めています。


これは大変だ!とばかりに、慌てて湖に浮かべてみたのですが…ごめんね、蓮さん。




シルバーレイクという名のごとく、銀色の鏡のような静けさです。




どうしてだか、向こう岸から上がった煙が、いつまで経っても同じ場所に止まっています。


おやすみなさい。



そして最終日の朝、もう今回は会えないままで帰らなければならないかもと思っていたルーン夫婦が突如、湖の真ん中、ちょうどわたしたちが居る辺りに姿を現してくれました。


ああ嬉しい!ああありがたい!あんまり嬉しくて、全部で50枚以上も写真を撮ってしまいました。
でもご安心ください。その全部をここに載せるというようなことはいたしませんです、はい。(でも多分、多すぎ!)


















ウウォーンと、もの悲しげな声で鳴くルーン。いったいどんなふうにして鳴いているのか、ずっと想像しておりましたら…、
なんと、首を少し持ち上げ、喉の辺りを膨らませるだけで、くちばしは全く動かさないまま、あの素晴らしい声を出していたのでした。


ユーチューブの中に、まさにこれだ!という鳴き声を見つけました。


二羽はゆっくりのんびり、わたしたちから見える範囲の水面を、付かず離れず泳いでおりました。








初めて見せてくれた足!



予定を1日繰り上げて、月曜日を滞在最後の日にし、ジムと我々はモントリオールにあるルエルとイライザの家に一泊させてもらうことにしました。

さあ、ギリギリまでう~んと楽しもう!


一人でハイホー!とばかりカヤックを漕いで行ったわたしが、いつまでも戻って来ないのを心配したのか、おっさん二人がボートに乗ってやってきました。


わたしはというと、あの島と島の間をくぐり抜けられるかどうか、ワクワクドキドキしながら接近中。


カエルの園に近づこうとしていたわたしの前に、突如現れた生きもの!?


川ラッコではないか…とのことでした。

栄養たっぷりな湖。


ざ・兄弟!


最後の日は、部屋の中だけでなく、冷蔵庫の掃除もしないと。


いったい何歳かも不明のアンティークコンロ。


バイバイ湖、バイバイルーン。




杉の木は一本ずつ真っ直ぐに生えると思っていましたが、実はこんなふうに、何本もの幹が一緒に育つのがこの地方の自然な風景だそうな。



モントリオールに向かいます。






街中の信号待ちの間に見つけた巣箱。


自転車用の信号が必至のモントリオール。自転車専用道路がかなり充実しています。


いつも一緒に食事をしに行くフレンチレストランに向かいがてら。












こちらは個人住宅。


こちらは複合住宅。階段が二階に直結しています。冬の間はほぼ凍ってしまうので、上り下りが大変なんだそうです。


レストランの真ん前に奇妙な物が…シーソーだっていうことですが、いったいどうやって遊べば良いのか…、
ルエルいわく、まだ一度も誰かが遊んでいるのを見たことが無い、とのこと…う~ん…。


8時半の予約を取って行ったのですが、結局9時ぐらいまで待たされてしまいました。さすがフレンチ…。




免税店で、留守番&猫たちの世話をしてくれた次男くんとまなっちゃん、それからアードリィにお土産を買い、いざいざ我が家へ。


山のてっぺんが雲の中に隠れていて、上り坂をぐんぐん走ると、やがて我々も雲の中に。




今回もまた、無事に行き、無事に戻ってくることができました。

突然ですが、カナダ人のルエルとイライザからの伝言があります。

「カナダでは今、解散選挙が行われようとしています。
我らが憎きハーバー(首相)は、社会が必要としている本当に大切なものをたくさん破壊してきました。
環境保護、図書館など、表向きは分かりにくいようにこっそりと。
弱者保護を厭い、金、金、金で、一部の著名な者たちを喜ばせるだけ。
でもその一部の者たちには影響力があるので、それを真に受けてフンフンと納得している人が少なくありません。
ハーバーのたくらみをどうすれば阻止できるのか、彼をどうしたら首相の座から引きずり降ろせるのか、
そんなことを考えてはため息をついてきたこの8年間。
ハーバーは、その醜い性質を、柔軟な物腰と洗練された外観で誤魔化し、実は酷い政策をとり続けてきました。

本当は、市民が一致団結して行動しなければならないのですが、カナダの土地は広大で、人も点在しているため、なかなかひとつにまとまらず、
だからマスコミも取り上げないので、インターネットの中だけで大騒ぎをしているという状態が続いています。
日本も大変なことになっているけれども、そしてその大変さの中には、大勢の命に直結するような重大な問題が多々見受けられるけれども、
今やっと、老若男女がそれぞれの形でそれぞれの場所で、街角に立ち、歩き、声を上げ始めたことを、心から嬉しく、羨ましく思っています。
TPP加盟を、なんとしても止めたいと、カナダ市民の多くが思っています。
もう世界は、それぞれの国で、それぞれが気づかなければならない時が来ているのです。
日本のみなさん、しぶとくしつこく踏ん張ってください!
そして大切なのは、アベ打倒のみではないということを忘れないでください。
アベのような首相を生んだシステムと歴史に、思いを馳せてください。
自民党という党を一旦解体し、野党連立、または新党設立も含めた、柔軟な設計図を描いてみてください。
国会議員に多大な影響力をもたらしている組織、例えば『日本会議』という団体などの解体や、影響力を弱らせるよう、世論の力を蓄えることが大切です。
もう二度と、アベ政権のような酷い政権が日本に出現しないよう、しっかりと見極めてください』

湖を眺めながらどんなことを話し合ったか、この伝言でわかっていただけますよね。

『8月』と『死』

2015年08月06日 | ひとりごと
1週間、家を空けます。
空と海は、もう何やらイヤ~な予感がしているのか、ずいぶんと落ち着きがありません。
毎年のように行っては、かたつむり時間を過ごす、カナダの湖畔です。

同じ場所の同じ風景なので、代わり映えのしないものになること必至ですが、また懲りずに写真をカシャカシャ撮ってこようと思っています。
なにしろ、インターネットはもちろん、電話もテレビも一切使えない、フランス語のラジオ放送ぐらい、というところなので…。


蚊帳の中から世界を見ると、




今年の夏も大活躍!



台所の、10年以上も前にガレージセールで買ったテーブルが、夏の湿気でネトネトするのがとても気になっていました。
先日の夏の大掃除中に、いつ買ったのかも覚えていない、多分これもガレージセールで手に入れたテーブルクロスがひょっこり現れたので、ちょっと試しに使ってみることにしました。



白い生地が、みんなの気持ちを引き締めるのか、食べ汚しがいつもよりう~んと減りました。
めでたしめでたし。


湖畔には、今回は夫の弟も西海岸からやって来ることになっていて、カナダ人の友人夫婦と一緒ににぎやかに過ごせそうです。
友人夫婦は、つい先日、12年一緒に暮らした愛犬バートを喪うという、とても辛いことがあったので、
その悲しみが少しでも癒せるよう、彼らの話をたくさん聞こうと思っています。
バートはとてもでっかくて、優しくて、たくさん走って、泳ぎも上手で、ひょうきんで、甘えん坊で、それはそれは愛しい犬でした。
去年の夏はわたしたちが、15年と半年、日本から一緒に来て生きてくれたショーティを亡くしました。
彼女のお墓の紫陽花が、ひっそりと咲いています。


夏は、『死』を特によく思います。
死は常に、わたしのすぐ隣にいるけれども、それでもやはり夏は、その存在を強く感じます。

今日は広島に、そして明々後日の9日は長崎に、空から世にも恐ろしい爆弾が投下されました。
わたしたちは、その行為に対する謝罪を求め、罪を問わなければなりません。
決しておざなりにしてはなりません。
何年かかろうと、何十年かかろうと、戦争という行為が地球から無くなるまで、
戦争を起こそうとする者たちを許すこと、放置すること、無視することをせず、
暮らしの中で、自分のできることを模索し、どういうことなら、どういうふうなら続けていけるかを考え、実行に移さなければなりません。
不買でもいい、解約でもいい、投書でも電話でもファックスでもいい。
プラカードのデザインでも、作曲でも、朗読でも、詩や物語を作るのでもいい。
いや、そんなたいそうなことではなくても、日常のそこここにあるものでもいい。
わたしなどには思いつかない、もっともっといろんなことがあることを確信しています。
そのアイディアの豊富さは、日本人なればこそのものだと思います。

戦争はなにも、軍隊だけがやっているのではありません。
戦争にどんなものがまとわりついているのか、それを考えると、実に様々な、複雑なつながりが見えてきます。
すました顔で、とても良い物を生産し売っている企業や、ボランティアやチャリティなどで、困った人たちを助けている銀行なども、強いつながりを持っています。
原発も然り。
根っこは同じです。

戦争を無くす。
そう決めたら、この世から姿を消さなければならないものが続々と出てきます。
戦争が消えた世界を見ることはできないかもしれないけれど、そんな世界がきっとやってくることを信じて、バトンを渡せる大人でこの世を去りたい。
そんなことを、8月は考えます。

米軍は多くの市民を殺している。戦争は大規模に市民を殺害する。私にはテロリストと軍隊の違いが解らない。

2015年08月05日 | 日本とわたし
Live In Peace⭐️9+25(旧アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局)さんが紹介してくださった、冬の兵士ー良心の告発。

この中の告発の一例が、先日の山本太郎さんの質疑応答の中で紹介されていました。
「戦争犯罪を繰り返す米国の片棒を担ぎ、いいポジションに居座る総理自身が総括する必要がある」山本太郎
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/7389ec30dd335c1bdb4d230e3088e2e8

先の戦争から帰還した米軍兵士たちの告発です。
とても長くなりましたが、どうか時間を作って読んでください。
今の国会で答弁をしている政府上層部の人間たちが、どれほど現実からかけ離れているか、そのことを知ることも悟ることもしようとしない、学びも反省も無い、知恵にも倫理にも貧しい人間だということがよくわかります。


冬の兵士――良心の告発
Winter Soldier




この作品は2008年3月13日から
16日まで開催されたイラク帰還兵による
証言集会・ウインターソルジャーでの証言と
独自に行った取材をもとに
イラク戦争の本質を検証したものです

冬の兵士・Winter Soldier・良心の告発

(まうみ注・帰還兵の証言、告発のみを掲載させていただきます)

アダム・コケシュ:
権力を乱用した、明らかな、専制政治が行われた時、その政府を倒すことは、人民の権利であり義務である。

デモ市民:
民主主義って何?

アダム・コケシュ:
歴史に学ばないものは間違いを繰り返す。歴史が教えるのは、我々が歴史から学んでいないということだ。
アメリカよ、目を覚ませ。
我々は、米軍の、イラクからの無条件撤退を要求する、今すぐに。


反戦イラク帰還兵の会・アダム・コケシュ:
我々帰還兵は、責任を果たすため、証言することが重要なのです。
我々は、マスコミから情報を得ていますが、多くの記者は、国防総省の発表を切り張りするだけです。
調査報道をしません
アメリカ合衆国の名のもとに行われている多くの悪があるので、語る必要があります


ワシントンDC郊外
全米労働大学
イラク帰還兵たちの証言集会



第一章・戦闘モラルの崩壊

ジョン・マイケル・ターナー:


2006年4月18日、初めて人を殺しました
何の罪も無い男で、名前もわからないため、私は「太った男」と呼びました
自宅帰る途中の男を、彼の友人と父親の前で撃った
首のここらを撃ったので、一発では死にませんでした。
男は叫びながら、私の目をまっすぐに睨んだ
私は、一緒に任務についていた友人を見て、「このままにしてはおけない」と言い、もう一発撃って殺しました
男の死体は、7人の家族たちが運んでいきました
私は謝罪したい。
罪の無い人々に怒りをぶつけ、破壊した
これでいいと思っていたが、そうではない。
人々に、この戦争で何が起きているか知らせない限り、人は死んでいく
私は後悔している。
もう私は、以前のような怪物ではありません。


ケリー・ドーアティー


2003年・イラクで従軍
2004年・反戦イラク帰還兵の会を設立


体験を語るだけでなく、責任と良心を持って、真実を語るという課題に直面しています
私達は、占領を終わらせるため、マスコミの情報操作と戦い続け、帰還兵への福祉の実現とイラクへの賠償を求めます
反戦イラク帰還兵のメンバーは立ち上がってください。


反戦イラク帰還兵の会は、占領軍のイラクからの即時撤退、イラクへの賠償、帰還兵への福祉の実現を目的に結成されました。
そして、2008年3月13日から16日まで、厳しい冬の時代に戦う兵士と言う意味の、ウインターソルジャーと名づけた集会を開催し、戦争の体験を証言しました。
証言は、多くのテーマで行われましたが、一番最初は、敵を攻撃するルールである交戦規定についての証言でした。


◾️交戦規定(敵を攻撃するルール)

アダム・コケシュ
1999年、高校卒業後、17歳で海兵隊に入隊。
海軍褒賞メダル、戦闘リボン、国家防衛メダル、イラク従軍記章を授与されている。


アダム・コケシュと申します。
2004年2月から9月まで、ファルージャで従軍しました。
開戦前、戦争に反対でした
国連でパウエルが言った嘘や、情報操作を信じましたが、開戦すべきとは思わなかった。
しかし、米国は混乱を収め、本気でイラク国民の役に立とうとしていると考え、命を賭けて戦争に参加しました

これは、イラクに派遣された時に渡された交戦規定のカードです。
次のような条件で、敵の軍を攻撃することができる
交戦前に、明確な敵の確認が必要である。
明確な確認とは、合理的で間違いが無いこと、とカードには書いてある。
攻撃対象は、法的に正当な軍事目標
これを胸のポケットに入れておくことになっていた。

ファルージャを包囲したとき、交戦規定は、下着を変えるよりも頻繁に変わった
最初は、交戦規定を守ることを求められたが、怪しいものは射殺することになる。
双眼鏡や携帯電話を持つもの、ついには誰でも攻撃対象となった。
現地に着いてから数日経って、ある事件が起きた。

検問所で銃撃行動があった。
最初の写真をお願いします。
これは検問所に近づいた車です。
「怪しい車が高速で来た」といわれ、大口径の機関銃で撃ちまくった
減速しないものはすべて、敵の戦闘員だとみなした
銃弾は、バンパーからエンジンを破壊、このイラク人の胸を撃ちぬき、座席まで破壊した。
車のそばで撮影した私の記念写真です。
居合わせた海兵隊員全員が、かわるがわる写真を撮ったのです。

少なくとも、米兵側の認識では、武装勢力とだけ戦っているつもりだった
米軍にとって、ファルージャ市民は、意図した攻撃目標ではなかった
すべては上層部の作戦のせいでおきた
市民を殺そうと考えた兵士はいなかったが、市民を殺害した
ファルージャ市民を、ひどく軽視した上層部の作戦が、ファルージャにいるものはみんな、武装勢力かその同調者だとみなした

武装勢力とは、米軍の占領にうんざりしている人たちです。
私は17歳で海兵隊に入った。
もし自分が17歳でイラク人だったら、占領軍を自分の国から追い払うため、武器を手に取らないかもしれないが、自分のとるべき立場はわかる。
12歳から17歳で、男としてまともに育っていれば、自分の国が外国に占領されて、いい気持ちではいられない

政策を支持させるため、アメリカ市民を情報操作している
アルカーイダは、アメリカ人を怖がらせる亡霊のひとつだ。

ジェイソン・ウオッシュバーン


ジェイソン・ウオッシュバーンです。
海兵隊の伍長で、4年間に3回イラクに派遣されました。
派兵のたび、交戦規定が変わりました
振り向くたびに交戦規定が変わっている。
ある女性が通りかかり、大きな袋を持っていた。
こちらに向かってくるように見えたので、私たちは、MK19銃をぶっ放した。
粉塵が収まると、その袋には、食料品がいっぱい詰まっていただけだと分った。
我々に食料を持ってきた女性を。粉々にしたのです。

暗黙の了解のもとで奨励されていたことがあった。
証拠として残すための、武器やシャベルを持っていくことです。
爆弾を埋めるために使われるシャベルを持っていき、市民を間違って射殺した時、それを死体の上に置けば、武装勢力だったと言える

友人が言ったように、イラク人が、シャベルや重そうな袋を持っていたら、撃っていいと決められていた
だから、シャベルや武器を車に積み、市民を殺害した時に死体の上に置き、交戦規則に従い、掘っていたから撃った、と言うのです。


J・ウエイン・レミュー


J・ウエイン・レミュー、反戦イラク帰還兵の会のメンバーです。
海兵隊歩兵部隊で4年10ヶ月勤め、軍曹として名誉除隊しました。
イラクに3回派遣され、侵略開始時にも参加しました。
正しい交戦規定には、軍の正当化という目的があります
軍が抑圧ではなくて、保護していると思わせるのです。
交戦規定を守ることで、反占領運動を防ぎ、占領を諸外国から非難されないようにします

ところが、イラクでアメリカは、それをしませんでした
この事実を否定するものは、嘘つきかばか者です

2004年4月、アンバール州の戦闘に、私達の部隊は参加しましたが、銃撃戦が始まると、司令官が、このように命じました。

「イスラム教徒の衣装のものは、敵対しているとみなし撃ってよし」

その1,2時間後、路上にいるものはすべて、敵の戦闘員とみなした。
その命令が出た日の午後、街角で、武器を持たないイラク人が戸口から出てきた
海兵隊員がライフルで狙いをつけたが、心理的拒否反応のためか、そこで私の記憶が消え、次に思い出すのは、男の死体を跨いだことです。
男が出てきた部屋は倉庫で、スナック菓子あるだけでした
どこにも武器は無かった。

数週間後、司令官は、「敵を100人殺した」と言いました
その数には、町を歩いていただけで射殺された人が含まれています

このころには二回目、三回目の派兵となる海兵隊員の多くが、仲間が死ぬのを見て、深刻なトラウマに苦しんでいた
そのため、非戦闘員としか思えない人を撃つようになった
道路わきで爆弾が爆発したことがあり、海兵隊員が銃を撃ったが、数百メートルも離れた数台の車に向けて撃った
遠くて誰が乗っているのかもわからず、脅威の無い車だった

無差別射撃をした兵士は、司令官が、野菜を担いで歩いていた老婦人を射殺したのを見たことがありました。
彼は、「その女を撃て」と命じられたが断ったので、司令官が撃った
危険の無い車を彼が撃ったのは、司令官をお手本にしただけでした。

交戦規定は頻繁に書き換えられ、その内容は矛盾するものになりました
規定が厳しい時には守らず、市民を銃撃して殺しても報告されません

私達は、自分を守ることが精一杯でした。
解放したはずの市民が、誰でも爆弾で攻撃してくる危険がある
誰が敵か分からず、命をかける使命も無いので、海兵隊員は、交戦規定を冗談か、無事故郷に帰るためには、誤魔化すものと考えていた
交戦規定の運用がでたらめなのは、戦略が間違っているためで、モラルが無くなった
恥を知るべきです。
イラクから、直ちに軍を撤収すべきで、その理由の一つが、交戦規定の乱用です。


ジェイソン・ハード


戦争を終わらせるための、大きな一歩が始まりました。
反戦イラク帰還兵の会への入会者が激増し、たくさんの帰還兵が来て、兄弟姉妹の契りを結び、長く続く友情を育んでいます。
ウインターソルジャーが明らかにしたいのは、イラクで起きていることは、個人ではなく、政策の責任だと言うことです。
証言者の軍歴を見れば、彼らが優れた兵士だったとわかります。
証言者はみんな、国を愛する愛国者です。
ウイタンーソルジャーに来た市民も、みんな国を愛しています。
アメリカを信じているのです。
アメリカ精神である、人間らしい国を作ること、それを私たちは目指しているのです。


マイク・ロビンソン


州兵の歩兵機関銃部隊として、バグダッドの北にあるバラド空軍基地に派兵されました。
バラドは旧イラク軍の空軍基地で、我々は、飛行機用の巨大なコンクリート製格納庫に住みました。

自分のした作戦について、話したいと思います。
これがバラド基地です。
ここに、戦闘用ヘリコプターが駐機していました。
それを、テロリストと呼ばれる人たちが、毎晩、ロケット砲で攻撃してきた。
基地の南東はブドウ畑で、ヘリコプターを攻撃した者は見つからなかったが、あるイラク人が畑を見ながら歩いているのを発見した。
50才くらいの男で、背中に機関銃を背負っていた
彼は草むらに何かを感じ、我々の物音が聞こえたのだろう、銃に手を伸ばした。
怖かったのだろう
交戦命令が下り、私は彼に向かって5発撃った
他の部隊も銃撃、彼は虫の息で、トラックに乗せると亡くなった。
彼は怖がっただけで、悪いことはしなかった
私だって犯罪を犯したわけではない。
彼は撃とうとしたし、私は命令された
このことで苦しんでいる。
普通の市民を殺したのだから。

バラド基地の正面入り口で、警備をしていた時です。
幼い少女が、門に向かって歩いてきた
7歳の少女です。
通訳が、「止まれ」とイラクの言葉でいった。
少女は止まらない
どうしたら良いのか?
「止まれ」と言って止まらない子供は、射殺するしかないのでしょうか?
命令が下り、彼らは、7歳の少女を射殺した
調べると、彼女の胸に爆弾がつけられていて、服で隠されていた
お父さんが、娘に自殺攻撃をさせた
5人の兵隊がそこにいた。
お父さんが、娘の命よりも米兵の死を望んだ…。
射殺してしまった…。
命令されたのが私でなくて良かった

イラクでは、人間性が踏みにじられてしまった
5人のためだとしても辛い。
どうしたら良いだろう。
頭を離れないことがある。
気になってしかたがないのは、なぜ少女にそんなことをさせたのか。
私にはサラがいるから、親の気持ちがわからない。
その少女もかわいかった。


ジェイソン・ハード
我々は、たくさんの罪を犯した
そのため、彼の言うように、明けても暮れてもその経験が思い出される

戦場に行ったことのない人は、正当防衛だ、と言うと思う。
しかし、殺さなければ殺されていた、と言われてもどうにもならない
子供を殺した事実は忘れられない
爆弾がつけられていたとしても、忘れられない
それで罪の意識を持っている


マイク・ロビンソン
2003年6月20日、強制捜査の任務につき、機関銃を持って、ビルの中で仲間を援護している時、
戦闘ヘリコプターから、不審者発見の知らせを受け、階段を下りているときに、IED=手製爆弾で足を吹き飛ばされ、帰国することになった。
帰国して市民生活を再開したが、怒りの発作がおきて、妻とは殴り合いの喧嘩をして、数回逮捕されそうになり、離婚した
職も失った、怒りの発作が起きて、仕事が続かない。
家も失った。
妻が出て行き、家賃が払えなかった。
友人の家を回り、路上やどこにでも寝た。


ジェイソン
それは辛い。

マイク
車にいるときに、路上の人を銃撃する幻覚を見る

ジェイソン
駐車場で?

マイク
銃撃し、自分にだけに爆弾の音が聞こえる
これは何だろうね?
あたりは血の海で、血しぶきがかかる
毎日死ぬことばかり考えていた
頭の中は、どう自殺しようかという考えでいっぱいだった。
去年の1月19日、私の誕生日、一人ぼっちだったから、酒場で飲んで酔っ払い、狂ったようなスピードでジープを走らせ、タイヤが外れてしまった。
警官が来なかったので、銃で頭を吹き飛ばそうと思いながら歩いていると、女友達のエリザベスから電話があり、励ましてくれたので、自殺しないですんだ
それから3才の娘と会い、エリザベスの娘だが、彼女が私の生きる理由になった。
サラ、来てくれない?
サラは3才だが、この子がいるから生きることができた
この子がいなければとっくに死んでいた

ジェイソン
私の場合、うつ病がひどくて、ガールフレンドがとても心配したが、どうしようもなかった。

マイク
心的外傷後ストレス障害はとても辛い
怒りの発作、うつ病、自殺を繰り返す
治療はほとんど不可能だ。

ジェイソン
兵士を募集する時、大学奨学金が貰える
職業訓練になり、各種給付金もある
家が持てて友人ができると言うが、イラク市民を虐待し、ひどく傷つけるという事実は言わない
現実には、足を負傷する場合もあり、ホームレスになる人までがいる




反戦イラク帰還兵の会・ワシントンDC支部長
ジェフ・ミラード


9.11以降に、戦地に派遣された兵士の間では、周知の事実ですが、軍では人を間化するため、ハッジという言葉を使います。
イラク人やアフガニスタン人に限らず、自分たち以外の人間をハッジと呼ぶ。


2005年の夏、42歩兵師団の作戦地域の交通管制地区で、銃撃がありました。
そういうことは、イラクでは毎日起きています。
スピードを出して来る車があり、機関銃手が脅威と判断し、50口径の銃弾を200発撃ちました
母親、父親、子供二人を殺し、男の子は4才、女の子は3才でした
夕方、将軍に対する報告会で、担当官がこの件を説明しました。
その時、司令官のロシェル大佐が、部下の方を向いて、
ハッジの馬鹿が運転を知っていたら、こんなクソみたいなことは起きなかった」と言った。
周りは将校や下士官たちばかりで、私が一番下の階級でした。
誰も抗議しません
首をかしげるものもおらず、全員がそのとおりだと思った
ハッジの馬鹿のせいで、こんなクソみたいなことが起きた
信じられませんでした
でも本当なんです。
このことが忘れられませんでした。

ハッジという言葉が聞こえるたびに、あたりを見渡しました。
あの射撃手は、このことを一生背負って生きていく
あの日、皆殺しにされたイラク人家族、それをロシェル大佐は考えない
こんな人種差別と、間化が、戦争の最高司令官に始まり、最下層の兵士まで浸透している

他の証言者のみなさん、また、表には出られないけれど、証言を寄せてくださった皆さんにお礼を申し上げます。
制服を着ていた時も、これほど大きな誇りを感じたことはありません。
アメリカの歴史で、最高の愛国者である皆さんと、一緒に証言できて光栄です。

ハッジとは、聖地であるメッカを巡礼したイスラム教徒のことで、地元の人にとっては尊敬すべき人を指す言葉です。
それをアメリカ軍は、軽蔑すべき人という意味で使いました

アメリカ軍のイラク占領政策の根底には、差別感情がありました
そして、住民の人権を蔑ろにしていきます


ジェイソン・ハード


ジェイソン・ハードと申します。
テネシー州兵として10年間働きました。
バグダッドに、2004年11月から翌年の11月まで、派兵されました。
パトロール中に、庭の手入れをしている女性を見かけた。
通訳が、
「サラームアレイコム、神と平和があなたと共ありますように」と挨拶をすると、
「神も平和もあなたには無い」と彼女は怒って言うので、
「なぜ怒っているの?私たちはあなたを守っているのです」と言った。

その女性は、「数ヶ月前、夫が、米軍の車列に近づいたという理由で射殺された」と話した。
彼女の夫は、武装勢力でもテロリストでもなく、家族のため働く男だった
さらに悪いことには、その数週間後、この女性が武装勢力を支援している、という情報を得て、特殊部隊が彼女の家を捜索、
彼女と子供たちに手錠をかけ、床に転がし、息子を拘束連行した

二週間、彼女は、息子の生死も知らされませんでした。
二週間後、特殊部隊は、彼女の息子を、家のドアの前に投げ捨てていった
謝りませんでしたが、間違っていたことに気がついたわけです。
こんなことがイラクでは毎日起きて、人々の生活を破壊している

控えめな統計数字でも、イラク人の大半が、連合軍に対する攻撃を支持しており、我々が出て行くことに賛成で、
ほとんどのイラク人は、我々が暴力の原因だと見ています

我々は、米軍や連合軍と戦う集団を増やしてしまった


リアム・マダン
占領を拒否した町は破壊されるべきだとされ、米軍は、武装勢力の町だとレッテルを貼り、攻撃を正当化している

ある人がテロリストと呼ぶ人は、別の人にとって自由の戦士だ
戦争を正当化するため、戦争の相手側の市民を、人間的でないものと思わなければならない
今、アメリカでは、テロリストが人間的でないものだ。
テロリストは顔の無い敵で、破壊すべきものだ。
テロリストの定義は、市民を標的に暴力を行使するもののことだ。
米軍は、多くの市民を殺している
戦争は、大規模に市民を殺害する
私には、テロリストと軍隊の違いがわからない


アダム・コケシュ
夜間外出禁止令を出した時、夜にはあらゆるものを撃つことが許された
写真を見せてください。
ファルージャを包囲したとき、我々は、女性と子供を出そうとした
立派なことをしているつもりだった
ファルージャの西、ユーフラテス川北の橋で、男は14歳未満でないと出さないと決めたので、男達を追い返しているところです。
寛大なことをしているつもりだったが、私は、ひどい意思決定を家族に強制した、と思うようになった

25万人の住む町が、膨大な爆弾で攻撃された
ですから、女性や子供も殺されました
ファルージャでしたことで、私がもっとも後悔しているのは、
停戦をして、市民を避難させるチャンスをつくり、ここは戦場なので、残れば攻撃を受けると知らせ、女性と子供を外に出そうとしたが、多くは出なかった
女性と子供が町を出るとき、14歳以上の男性は出さないので、家族の半分を残して町を出る、ということを強いた
そして行くところも無いのに、「あっちにモスクがあるよ」と言って橋を渡らせた
選択肢が無かった
たくさんの家族が、一緒にいることを選び、町に留まった
アメリカの政策に責任がある


マイケル・リュデューク


私はマイケル・デュークと申します。
海兵隊第一大隊、武器小隊に属し、2004年6月から12月までイラクに派遣されました。
2004年10月末、僕の中隊は、ファルージャの基地近くにあるイラク訓練センターに転進した。
二回目のファルージャ侵攻・『亡霊の怒り作戦』のためでした。

攻略戦まで訓練を受けていると、ある日、大隊の法務官が全員を招集した。
彼は、大隊で軍法の最高権限を持つ人物だった。
従軍記者がいないことを確かめて、法務官は、ファルージャの交戦規定を指示した
何が敵対的行為で、何が敵対的意思かについては、これから下士官の中で最も階級が低い兵卒にも、判断をまかせるということだった。

また、発砲偵察という戦術を奨励した。
この戦術では、家や建物を調べるために踏み込むとき、危険や不安を感じたら、どんな攻撃をしても良いと許可された。

これで、僕たちのやり方が、本当に大きく変わった。
それまでは、攻撃の段階的拡大とやり方で、厳しい条件の下で武器を使った
しかし今、すべての住民が敵対しているとみなす

法務官は、最後にこんな質問をした。
「海兵隊の諸君、武器を持つ人間がいたらどうしますか?」
誰かが声を上げた。
「銃を撃つ」
「違う。発砲し威圧することと、射殺することは別だ。もう一度質問する」

「武器を持つ人間を見たら?殺せ」
「双眼鏡を持つ人は?殺せ」
「携帯電話を持つ人は?殺せ」
「何も持たず、敵対行為が無くても、走っている人、逃げる人は何か画策しているとみなし、殺せ」
「白旗を掲げ命令に従ったとしても、罠とみなし殺せ」


ファルージャで僕たちは、その交戦規定に従い、最初の三日間、特に激しい戦闘が続いた。
ブルドーザーと戦車を使って、家屋を一つ一つひき潰し、瓦礫の上を歩いた
戦闘が始まって数日後に、町は静かになった。
僕たちは、家屋の中に隠れた。
数時間から一日二日も隠れたので、退屈し、癇癪を起こし、やっちまおうぜと。
人間は撃ちつくしたから、犬や猫や鶏など、動くものは何でも撃った
道に放置されている死体に、名前をつけている隊員がいた
腐乱のランディ、胴体トニー、道に横たわる死体の頭を標的に、銃の照準を調整する隊員もいた。
狙いをつけて撃ち、左に反れるなら照準を調整してまた撃った。


みんなでモスクの屋根にいた時、前日占拠したばかりのモスクで、陽がさしていた。
さほど遠くないところに家があり、その地下室に家族全員が隠れていたようで、男数人と女数人、たくさんの子供たちが出てきて、手を振ったので、
武器を持たないことを知らせようとしているのだ、と思ったが、隊員の一人が、それを見て発砲した
家族を狙ったのかどうかはわからないが、彼らはみんな逃げ、もう見ることはなかった。

いろんな家に入り込み、そこにあったアルバムの、家や近所の写真を見た。
今の状態と写真を比べ、僕たちは大笑いした
街の下水システムが、爆弾で破壊され、下水が道路にあふれ出ていた。
その下水に死体がいっぱい溜まり、恐ろしい光景だった

前日何人かを射殺し、残りの人たちを拘束していた。
その中に、夫を殺された女性がいて、彼女の叔父か父親は、目が見えなかった。
僕たちは、二人を家まで送り返すことになったが、二人は遅れてついてきて、足手まといだった
途中まで来たところで、二人を、下水が溢れた道に置き去りにした

私は、良いことをしたくて軍隊に入った。
人々の役に立ちたかった。
イラクでそれができると思った。
私は若すぎて、浅はかで、間違っていた。
何かあったことで、僕が大きく変わったというつもりはありません。
自分がしたいと思っていたことができたこともあったし、誇りを感じたこともあったが、みんなやるしかないからしていた
正しいことも間違ったことも、命令されれば、やるしかなかった


カルロス・ハリス


最後にイラクに行ったとき、路肩爆弾で友人が殺されました。
輸送部隊が襲われた。

敵対象はとても変化しました
最初は共和国防衛隊でした。
それから多分、アルカーイダになりました。
今はすべての人です。
シーア派、スンナ派の民兵、つまりすべての市民です。
多分アルカーイダは、まだイラクにいるかもしれないが、米軍が戦っているのはアルカーイダとだけじゃない
イラクの住民と戦っているのです。
アメリカ軍はイラクの住民と戦っています。

そのため、法的に正当な、軍事目標だけを攻撃するという交戦規定を守れず、住民を無差別に殺害するという事件を、日常的に繰り返すことになっています。
そして、敵は大人の男だけではありません
子供が攻撃してくる事件も起きているので、少女の持つバッグまでも検査していました。
アメリカ軍は、女性や子供までも相手に戦争をしています


◾️軍隊という監獄

クリストファー・ゴールドスミス


クリストファー・ゴールドスミス軍曹です。
私は今日、戦争の囚人の話をしたい。
この囚人のことを、米国人は知らない。

この写真は10歳の私で、迷彩服を着て、認識票を下げ、ボーイスカウトの敬礼をしている。
この少年はイラクで死んだ。
これは、2003年のクリスマス直後、志願した誇り高い兵士だ。
アメリカの憲法を防衛しようとした。
この少年は死んだ。

私は、マンハッタンから20分の、ニューヨークの町に住んでいます、
9.11に、貿易ビルが崩れる時の煙が見えた。
9月12日、私はピザ店で立ち上がり、「中東の人間をみんな殺したい」と言った。
中東は、核兵器でなくしてしまえと、私は思った。
マスコミがそう思わせた。
マスコミが、不当な差別観を、私に植え付けた。

私は、人を殺すため軍隊に入った。
19歳でイラクに派兵され、8ヶ月間、サドルシティに配備された。
そこはバグダッドのスラムで、サダムに無視されたばかりでなく、アメリカにも恐ろしいほど無視されている。
住民は私達を嫌っている。
私達が、自由、水、食料、仕事を約束したのに、2005年、私が見た状況は今も同じだが、
電気は一日、2時間から4時間、いきあたりばったりに供給されるだけだし、下水が水道に混じっているのに、2005年には、下水道施設を建設している業者はいなかった。

恐ろしいほど暑いところでは、昼間に外に出ようとは思わない。
夜、米兵が巡回し、「外に出るな、人と話すな、喫茶店に集まるな」と言う。
夜間の外出は違法だから、夏のサドルシティは監獄だった。
320万人のサドルシティの住民は、戦争捕虜だった。

私の陸軍褒章メダルの業績評価を読みたい。
業績ナンバー3、ゴールドスミス上等兵は、サドルシティのパトロール中、イラク軍の援軍を求められ、
ゴールドスミス上等兵は、武器の配備を率先して行ったので、イラク軍は、敵の武装勢力を逃さず、破壊することができた。

私は、その日何が起きたのか、正確に言いたい。
今読んだことは事実だが、書いてないことがある
私は軍用車の中で立っていたが、部隊長がそばにいた。
彼は、黒い服の武装勢力を見たので撃った。
銃弾は当たり、敵は殺されたか負傷した。
部隊の最高責任者が銃撃したので、戦闘が開始され、何かしなければならなかった
幼い少年がいた。
右のビルの屋上にいた。
少年は米兵を嫌い、棒を機関銃のように構えて、撃つまねをした
私は銃を向け、彼を敵だと確認した。
銃を向けながら、数分間、私は考えた。
イラク人は嫌いだ。
石やレンガを投げてくる子供は嫌いだ。
この子を殺せば手柄になる
数百万の中のたった一つの命じゃないか
引き金は引かなかったが、それまでに長い時間がかかった。

私は6才の少年を、誰かの息子を、殺そうとした
私は子供を殺しかねない、そんな立場に追いこまれていた
米国によるイラク占領で、そういう立場におかれ、マスコミがイラク人に対する嫌悪を煽った

イラクから帰国して、酒を飲み続けた。
軍を辞めて、大学に行くことだけが希望だった
しかし、その希望は、2007年10月に打ち砕かれた。
ジョージ・ブッシュが、新たに、2、3万の軍を送ることを決めた
私の部隊は、その要員確保政策で拘束され、誰も辞められなくなった
軍と言う監獄から解放されると思い、最高に幸せだったのに、それからとても気がめいり、恐ろしいほど激しい苦しみの渦に落ちこんでいった
自殺しようと思い、薬を飲んで、ウオッカをもう飲めないところまで飲み、意識が無くなり、気がつくと、病院で担架に拘束されていた

私は結局、除隊したが、恩恵が受けられないという処分を受けた
それで大学給付金を失った
私にとって唯一の希望は、大学に入れるということだったのに、2007年9月、大学に入れなかった。
入学金が払えなかったのだ。
病院通いや不安定な精神状態で、仕事を見つけることはとても難しい

私は、水曜にピザの配達をしている、ピザ配達人だ。
私は軍曹でリーダーを務め、自分がとても優秀な兵士と思っていたのに…。

写真を見せてください。
彼は、要員確保政策の犠牲者です。
この男の名前は明かせませんが、私の友人で、お見舞いに行った。
彼は対人地雷を踏んだ
右足をほとんど失い、右耳の鼓膜が破れ、聴覚を失った
この男は、私と同じ週に除隊できる予定だったが、その週に私の部隊は再配備された
だから彼に起きたことは、私に起きてもおかしくなかった。
この人と私は、一緒に1年間従軍したので、よく知っていた。
病院に行ったとき、私は自殺未遂をしたことに、罪を感じていた
病室に入るや、「従軍しないで悪いやつ」と、彼に言われることを覚悟していたが、
彼は私を見て、強く見つめて、「戦地に戻ったりはしないよね?」と言ってくれた
その言葉は、誰からも与えられなかったもので、私の心を満たした。

あなた方にメッセージがあります。
世界中の人が理解できる。
平和。

わたしたちは、利用されるだけ利用され、打ち捨てられていくのはもういやだ!

2015年08月03日 | 日本とわたし
ここ数年の間に、同時多発テロの後に起こった軍隊コマーシャルの過剰放送状態が、また戻ってきたような気がする。
映画館などに行くと、予告編の映画の前に、これでもかこれでもかというように、軍隊のコマーシャルが繰り返し流される。
それがまた、映画の予告か?と勘違いするような、なんともよくできたもので、かっこいい、感動する、なんてことを思わせるようなものばかり。
オバマ政権になってから、少なくとも撤退の方向に進んでいるのだけども、それでもこうやって勧誘しないといけないほどに、軍隊への入隊希望者が減ってきている。
貧しい高校生をターゲットに、資格や補助、それから優待などの餌で釣るなんてのは普通に行われている。

イラクなどから帰還した兵士たちが、ぼちらぼちらと証言や告白をし始めた。
今それを一つずつ、ビデオを観ながら聞いている。
悲惨、などという言葉では括れない、人殺しの現場。
そんなところが職場だなどと言わなければならない軍隊は、この地球から抹消しなければならない。

どんなに道が遠くても。
わたしたちがまず、その道を歩き始める人にならなければならない。

文字起こししました。

↓以下、文字起こしはじめ



■山本太郎議員質疑全文

山本太郎議員:
生活の党と山本太郎と仲間たち、共同代表・山本太郎と申します。
7月30日のこの特別委員会で、私は安倍総理に対しまして、
「我が国が、ジュネーブ条約や、国際人道法や、国際人権法に違反する行為、つまり戦争犯罪に協力することが有り得るか、有り得ないか」と質問いたしました。
安倍総理は、
「それは、我が国は我が国として、国連憲章上、違法な武力行使を行う国に対して、支援や協力を行うことはないわけであります」
このように答弁されました。

岸田外務大臣にお伺いしたいと思います。
『我が国は、民間人に対する攻撃、殺人、傷害などを禁じたジュネーブ諸条約、国際人道法や国際人権法に違反する、違法な武力行使を行う国に対して、支援や協力を行うことはない』、ということで間違いないでしょうか?


岸田文雄・外務大臣:
仮にある国が、軍事目標主義、謂わば文民を攻撃してはならないとか、あるいは、捕虜を人道的取り扱いをしなければならない、
こうしたジュネーブ諸条約をはじめとする、この国際人道法に違反する、こうした行為を行った場合に、
我が国がそのような行為を支援することがない、これは当然のことだと考えます。


山本太郎議員:
中谷防衛大臣にお聞きしたいと思います。
『日本の自衛隊員は、今後とも、民間人に対する攻撃、殺人、傷害などを禁じたジュネーブ諸条約や、国際人道法や、国際人権法に違反する、米国などの違法な武力行使には支援や協力は行わない』、ということでよろしいでしょうか?


中谷元・防衛大臣:
自衛隊が活動するにあたりましては、国際法を順守をし、また、国際人道法上違法な行為に対する支援を行うことはない、というのは当然でございます。
これは、法案によって規定されておりまして、例えば重要影響事態法、これによる我が国による後方支援活動の対象は、
日米安保条約、または、国連憲章の目的の達成に寄与する活動を行っている外国の軍隊等に限られております。

また、国際平和支援法におきましても、国際社会が国連憲章の目的に従い、共同して対処していることが要件の一つでございまして、
国連憲章の目的に反する活動を行っている相手に対しては、我が国は支援を行うと(多分言い間違い)行わないということは、国内法上担保されているということでございます。


山本太郎議員:
今日の私の質問のテーマなんですけれども、『経済的徴兵制』
私は、今回の安保法制によって、日本の自衛隊が、世界中のアメリカなどの戦争に参加協力し、
自衛隊員自身が殺されたり、拘束されて人質になるリスク、高まる
ことももちろん、これ重要な問題なんですけれども、
自衛隊員が、アメリカ軍などの戦争犯罪に加担し、民間人殺害の共同正犯になることも、非常に重大な問題だと考えています。

これまでは専守防衛、正当防衛、災害救助など、大義のある正義の行動だったものが、
大義のない、正義に反する戦争犯罪に、自衛隊員が加担してしまうことはあってはならない、と思います。
私は、自衛隊員になろうとする人が減ってしまうんじゃないかな、っていうふうに懸念しております。

それでは、パネルの方お願いいたします。



そこで、『経済的徴兵制』という話になるんですけれども、パネルと配布資料の方、ご覧ください。

これは、昨年5月26日、文部科学省の学生への経済的支援のあり方に関する検討会、議事録でございます。
色の塗ってある部分が該当部分です。

当時、経済同友会の専務理事で、現在、奨学金を担当する、独立行政法人日本学生支援機構の運営評議会委員でもある、前原金一(かねいち)さんの発言です。

これ、与野党の理事の皆さんの了解があれば、ひょっとしたらこの方、参考人に呼べたりするんじゃないかなと思いまして、とりあえず問い合わせをしたんですね。
で、いろんなことも確認しておこうということで、スケジュールはどうなんだろうと思ったんですけれども、
支援機構が言うには、この前原さん、8月1日で委員を辞められるので、本日8月3日はもう委員ではない、ということだったんですよね。

でも、しつこく今日も確認したんです。
そしたらまだ手続きが終了していないので、今日現在はまだ、学生支援機構の運営評議会委員であるそうなんですよ。
おかしな話だな、これ。
話変わっているんですよ。
元の話に戻りたいと思います。
ね、ぜひ、来ていただきたいですよね。

この議事録の中で、噂の前原さん、このようにおっしゃってる。
「まず延滞している人の年齢、年齢別の人数、教えていただきたいと。
それから延滞者が無職なのか、低収入なのか、あるいは病気なのかという情報をまず教えていただきたい」

このように発言されているんです。

学生支援機構、奨学金に関するこのような情報っていうのは、存在するんですかね。
そして、この前原さんとか防衛省に、情報提供したことはあるんですか?
そして返済猶予、おそらく情報があるとしたら、この返済猶予の手続きをとった人たちだと思うんですけれども、
この返済猶予の理由別の人数、教えていただけますか。
さらに、防衛省やほかの機関から、情報提供を求められたことはあるのかどうか、お答えください。


遠藤勝裕・学生支援機構理事長:
平成26年度末の延滞者の年齢別の件数でございますけれども、
25歳未満、6万200件、構成比は17.2%、
25歳以上35歳未満が21万4751件、構成比は61.4%、
35歳以上45歳未満が5万7176件、構成比16.3%、
45歳以上が1万7848件、構成比5.1%です。

またあの、ご質問でございますけれども、事由別の延滞者の件数ということでございますが、
全体の事由別件数というのは、把握しておりませんが、
サンプリング調査によりまして、奨学金の延滞者に関する属性調査、というものを行っております

これの平成25年度の属性調査の数字でございますけれども、
まず一番多いのが、半分以上51.1%が本人の低所得によるもの、
そして、15.1%が本人が失業中、無職ということでございます。
それから本人が病気である、これが5%ということです。
それからもう一つ大きな理由として、親の支援というのがございます。
親の経済的困窮に対して返還者が支援をすると、ま、そういう理由が17%ほど、ということでございます。

また、返還期限の猶予制度の適用者の、主な事由別件数でございますけれども、これは26年度末のデータでございますが、
やはり経済的な困難、失業等、これが9万2341件、87.2%、9割近くを占めている。
ほかに、本人の病気、あるいは生活保護、あるいは災害に遭ったと、
そういったことが、返還猶予制度の適用者の理由になっております。

尚、お尋ねの、奨学金の延滞者に関する属性調査の結果については、これは私ども公表しております。
ただ、個別の延滞者の情報について、前原委員、あるいは防衛省、他省庁に提供したり、防衛省や他省庁から問い合わせを受けた、という事実はございません。
以上でございます。


山本太郎議員:
すいません、たっぷりとお時間を使ってご説明いただきました。
本日の質疑時間は15分しかございません。
さ、続いて参りたいと思います。

さきほどの噂の前原さん、このようにコメントされております。
「現業をもっている警察庁、消防庁、防衛省などに頼んで、1年とか2年のインターンシップをやってもらえば、就職というのはかなりよくなる。
防衛省は『考えてもいい』と言っている。
『2年コースを作ってもいい』と言っています」
と発言されています。

防衛省、端的にお答えください。
あったかなかったかだけね。
前原さんにこのように言ったんですか?
2年コースのインターン、検討されたんでしょうか、お願いします。


中谷元・防衛大臣:
防衛省では、前原氏に対して、企業が新規採用者を2年間、自衛隊に実習生として派遣するとのプログラムのイメージについて、お示しをしたことはございますが、
防衛省としては、奨学金の返還延滞者を対象とした、インターンシップ制度、これについては検討は行っておりませんし、また今後、検討を行う予定もございません


山本太郎議員:
今お話しいただいたのは、社会人ということですか? ごめんなさい。
その、検討されたというか、その話し合いの場にのぼったというのは、そういうことですね?
奨学金のことはのぼってないけども、社会人の教育訓練、というような部分に関してあがったっていうことでよろしいですかね?
ごめんなさい、そうなのかそうじゃないのかだけお答えください。


中谷元・防衛大臣:
はい、これは、企業が、新規採用者を2年間、自衛隊に実習生として派遣する、というプログラムのイメージでございまして、社会人のことでございます


山本太郎議員:
これ、どういうことですか?
じゃあこの前原金一さんという人は、無茶苦茶ですよね、言っていること。
防衛省と無かった話を、嘘を言っているということになる。
防衛省が嘘を言っているのか、この前原さんという人が嘘を言っているのか、という話ですよねこれ。
こういう方が奨学金に関わって、今、若者たちが首が絞まっているような奨学金に関して、いろんな意見を言うということが、すごく問題ですよ。
これ、前原さんが嘘を言っているのか、防衛相が嘘を言っているのか
防衛省にもう一度お伺いします。
今のご発言、間違いない話なんですか?
イエスかノーかでけっこうです。


中谷元・防衛大臣:
私が先ほど申し上げました、
防衛相では、前原氏に対して、企業が新規採用者を2年間、自衛隊に実習生として派遣するとのプログラムのイメージについて、お示しをしたことはございますが、
防衛省としては、奨学金の返還延滞者を対象としたインターンシップ制度については、検討を行っておりませんし、また今後も検討を行う予定もないと、いうことでございます。


山本太郎議員:
なるほど。
ということは、前の経済同友会の専務理事である前原金一さんが、とんでもない人だっていうことが、
今、防衛省が嘘をついていないんであれば、とんでもないということがはっきりとした、という話ですね。

一度この方、参考人として呼んでいただきたいんですけれども、理事会で協議していただけないでしょうか?


鴻池委員長:
後の理事会で協議いたします。


山本太郎議員:
ありがとうございます。
昨年の7月1日、憲法違反の閣議決定をした直後にですね、全国の高校3年生に、一斉に、自衛隊からお手紙がきました。
ダイレクトメール、郵送されてきたんですね。

これ、インターネットでも、『すわ赤紙!』『赤紙キター!』っていうふうに、大変に話題になりました。
これは、法令に基づいて、全国の市町村から情報提供を受け、
全国の高校3年生の個人情報を、名前、生年月日、性別、住所の4情報を収集して行った、という話なんですけれども、
防衛省、現在持ってる全国の高校3年生の個人情報、今何人分あるんですか?
この情報、今後どうするんでしょうか?


中谷元・防衛大臣:
自衛隊の募集に関して、必要となる個人の氏名生年月日、等の情報は、自衛官募集を目的といたしまして、
それぞれの自衛隊地方協力本部において用いられるものでございます。
全国の地方協力本部において、こうした情報を何名分、保有しているかにつきましては、集計をする必要がないため、集計をしておりません。

自衛隊の協力本部では、取得した情報を、自衛官募集にかかるダイレクトメールの送付のために利用をいたしておりますが、
自衛隊の地方協力本部において、こうした情報利用目的の達成に必要な範囲のみで保有することを、徹底することを含めて、
今後とも法令に基づき、適正に管理するように努めているわけでございます。

また、これの保管等につきましては、1年以内に消去をいたしておりまして、
この個人情報等につきましては、法令上、個人情報ファイル等の作成公表を要しないということにされて、
厳正に管理、また対応していると、いうことでございます。


山本太郎議員:
これね、非常に不気味なんですよ。
そんな、ダイレクトメールでいきなりきたら。
『え!? どうして? どうして私が今年卒業するのってわかるの!?』という話で、
全国で、いろんなところで、いろんな声が上がっているんですけれども、やめていただきたいんです、こういうこと。

で、なによりも、防衛省として把握してない?この数を?
あまりにもおかしくないですか?
18歳に該当する人達、120万人近くいるんですよ。
ひょっとして、その人達の情報、すべて持ってるかもしれない。
それをどうするのか、てか、その数も把握してないなんて、あまりにもおかしな話なんです。

たくさんお話をしたかったんですけれども、下村大臣が、ミラノからわざわざ直行してくださってるんですね。
本当にありがとうございます。
お疲れのところ、いろんなお話伺いたいんですけども、もうポイントでいきたいと思います。
大臣は、交通遺児育英会の交通遺児小学生の第一期生ですよね。

もうほんとに、奨学金を受けている人達の星だと思うんです。
経済的格差を利用して兵員を確保すること、『経済的徴兵制』。
問題になるのは、私、やはり日本の奨学金制度に問題があるからだと思うんです。
各省庁みてみても、これ、給付型の奨学金があるのは防衛省だけなんですよ。
おかしいでしょこんなこと。
これ、あまりにもおかしいと思うんです。

不平等だと思うんです。
法の下の平等に反している。
奨学金、なにが問題か。
利息がつくこと、延滞金がつくこと、これサラ金と一緒なんです
よ。
これなんとかしてあげてほしいんです。
国がサラ金やってどうするの?
国が武富士になってどうするんだ?
って話なんです。
力を貸していただきたいんですけれども、この利息、どんどん減らしていくと、
無利子で奨学金を出していくということに、お力を貸していただきたいんですけれども、
一言聞かせていただけますか?


下村博文・文部科学大臣:
ありがとうございます。
もう時間がオーバーしてますので、簡単にお話、お答えさせていただきたいと思いますが、認識はまったく同じでありまして、
まず、有利奨学金をできるだけ無利(子)奨学金にしてまいりたいと思います。
そして、平成29年から、所得連動変換型奨学金制度の導入について、今検討しているところでございます。
年収300万以下であれば、返還しなくてもいいと、いうようなかたちをとることによって、
すべての意欲と能力のある若者がチャンス・可能性が広がっていくような、そういう奨学金制度を充実をさらにしてまいりたいと思います」


山本太郎議員:
ありがとうございます。
無利子に加速させると、安倍総理は施政方針演説で言いましたけれども、
88万人の有利子の奨学金を借りている者のうち、それに該当するのは1%しかいないんです。
力を貸していただきたいんです。
小学生の星でありますから、大臣が、それを行ったということを大きく見せていただきたいんです。
首が絞まっています、若い人達の。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。


おまけです。

太郎さんの、8月2日に行われたNHK「日曜討論」での発言をここに。
これは、IWJのウェブジャーナルからお借りしました。

【発言全文掲載】
「いつまでアメリカやグローバル企業のATMを続けるのか」
安保法案めぐり、山本太郎参議院議員がNHK「日曜討論」で吠える!

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/256073

◾️「この国の危機管理能力のなさがよく表れている」~福島第一原発3号機の燃料交換機引き上げ作業のリスク

山本太郎参議院議員:
国民の皆さんから、憲法を守れだとか、そして立憲主義を守れということを、大きな声で出されている時点で、詰んでいると思うんですね。
国民の生命、財産、幸福追求権を守るということが、安倍政権のよく言われる決まり文句ですよね。
その中身をよく見てみると、空っぽなんですよ。
普段の政治というものをウォッチしていれば、どういうことなのか、ということの答えがよく分かる。

たとえば、「国が先頭に立ってやります」と言った福島東電原発の収束作業
この3号機の話をしたいと思うんですけれど、
発災後に使用済み燃料、ここに落下した燃料交換機というものがあるんですよ。
20トンあります
これ、たった今、引き上げ作業を行っているんですよ。
すごくリスクの高いもの
これ、国民の皆さん、どれくらいご存知ですかって話なんですよね。
このプールには、566本の燃料が入っています。
引き上げに失敗したら直撃するんです。
これ、リスクがすごく高い。


そこで万が一を考えて、引き上げに関わる人以外は、全員退避なんですよ。
敷地外に退避なんです。
こんなことは、事故以来初めてのことなんですね。
収束作業で敷地外避難をさせられるのは、かなりリスクが高い証拠だと。
一方で、敷地から1キロ圏内にある国道6号線は、一切規制がかかっていないんですよ。
これ、不発弾を考えれば分かります。
電車が止まる、交通規制がある。
一体どういうことなのか。
この国の危機管理能力のなさがよく表れていると思います」


◾️原発に弾道ミサイルが直撃するリスクを、政府は想定していない

山本議員:
もちろん、アジア内、中国であったり韓国、北朝鮮というところとの関係がいびつだ、という部分はあると思います。
それは、外交の手法というものであったりとか、挑発的な部分が我が国にはあったと、安倍政権にはあったと思います。
とにかく安倍政権が言っているのは、ミサイルが飛んでくる飛んでくると。
10分で到達するんだということを、具体的な国名をあげて言っている

そんなにアピールするんなら、ということで、先日、特別委員会で質問したんです。
もうまもなく再稼働される鹿児島の川内原発、ここに弾道ミサイルなどの直撃を受けた場合、最大でどの程度の放射性物質の拡散があるのか、と。
これは、予測していないとまずいですよね。
ミサイルが飛んでくるってしきりに言っているんだから
でも結局、攻撃された場合の放射性物質がどれくらい拡散されるのか、被害の想定、人々の命を守る避難計画とか、
基本的なことさえもほとんど想定されていない
んですよ。

これ、考えていただきたいんです。
全国の海岸線沿いに集中しているわけですね、脆弱な核施設
安全保障というならば、ここに着目しないわけにはいかない
武力行使もできるような法案を通すんだったら、 国防上、原発は即時、廃炉以外にないんですよ。
ターゲットにされますから
国民の生命と財産、幸福追求権が守れないということは明白です」

【質疑応答全文】
こんないい加減な話があるか!誰の税金でやってるんだ!誰の命を守るんだ!どうして真剣にやらないんだ!
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/9bbe4b8348bfffedbccf740f0f112c8e


◾️安倍総理はイラク戦争の総括を~「自衛隊を共同正犯にしてはいけない」

山本議員:
後方支援、これは、武力行使そのものなんですよね。
国際法では、武力行使か武力行使でないか、その2つしかない。
武力行使と一体ではない後方支援なんてありえないって話なんです。
これがあり得るというのは、詭弁でしかない
武力行使をしている軍隊に、補給だったり輸送だったり給油を行う、これは武力行使そのものじゃないですか。

名古屋高裁で、違憲判決がくだったと思うんですよ。
イラクでの、航空自衛隊による輸送のことですよね。
表向きは国連関係者を送っていたというけれども、フタを開けてみれば、6割以上が米軍関係だった、と。
人道支援という名のもとで、戦闘員を送り込んでいた可能性が高い、という話ですよね。

イラク戦争では、2007年からの1年間で、1447回空爆があった
これは、一般市民に対する殺戮ですよ。
それも含めて、2万4千人もの民間人を大量に殺戮した
これは、アメリカの戦争犯罪です。
この時、安倍総理というのは、第一次安倍政権でも総理だったんですよ。
この時の総括をしていない
おかしな話なんです。
これから活動を広げる自衛隊、と言っているくせに、その昔の派遣に関して、何も総括ができていない
ありえないと思います。
自衛隊を共同正犯にしてはいけない


◾️集団的自衛権の本質は米国の「肩代わり」

山本議員:
この安全保障問題というのは、すべてのスピンだと言っていいと思います。
TPPについても、原発の再稼働に関しても

参議院は自由な議論が許されている、と僕は信じています。
だから本当のことを言っていく。
今回の法案が成立して喜ぶのは、経団連とか、武器製造に関わっている企業だけじゃないんですよね。
たとえばこの、『スターズアンドストライプス』5月13日付けでは、
2016年のアメリカの最新の防衛予算は、日本政府が後押しする新法案、すなわち可決する方向で仮定している、と。

要はこれ、リバランスなんだ、と。
アメリカの支出を日本に肩代わりさせる話
その原資は誰ですか
皆さんの税金です
いつまでアメリカやグローバル企業のATMを続けるのかって話です。
騙されちゃいけない

「わたしたち教職員は 子どもたちを人殺しにさせない 子どもたちを殺させない」全群馬県教職員組合

2015年08月02日 | 日本とわたし
よかったね、うれしいね、群馬県の子どもたち!



教職員は『安全保障関連法案』を拒否する

主権者はあなただと 教えてきた
日本は戦争をしないと 教えてきた
幸せになる権利をみんなが持つと 教えてきた


人を傷つける言動はやめようと 教えてきた
争いは話し合いで解決しようと 教えてきた
意見のちがいを大切にしようと 教えてきた

平和であること 人が人として大切にされることの大切さを 教えてきた
教師として 教えてきたことを嘘にはできない


国民はそのうち忘れるなどとうそぶく 権力者が
戦争はしないとウソをつく 権力者が
命を道具としてしかみない 権力者が

子どもたちが人を殺すことを 求めている
子どもたちが殺されることを 求めている
子どもたちに嘘を教えることを 求めている

教え子を再び戦場に送るな 古めかしささえ感じていた言葉が目の前にある
教師として 嘘を教えることはできない
まして 子どもたちに死ぬことを教えることはできない


日本国憲法を尊重し擁護する義務を負う公務員として
子どもたちの未来に責任を負う教職員として

わたしたち教職員は
子どもたちを人殺しにさせない 子どもたちを殺させない


そのために
わたしたちは声をあげる
わたしたちは行動する

2015年7月29日
全群馬教職員組合




ONCE IN A BLUE MOON.


親友の歩美ちゃんと夫の3人で、まん丸お月さんを見ながら散歩をして、楽しませてもらったお礼に月光ソナタを弾きました。

満月を見上げて楽しむこと。
こんなことができなくなった子どもたちが世界のどこかに居ます。
空からたくさんの爆弾が落ちてきて、とても怖い思いをした子どもたちです。
そんな子どもたちが、世界のどこにも居なくなることを願って、わたしも声をあげます。行動します。