ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「9番目の先にある音に誘われて、僕はふらっと旅に出た」→『47歳からのNY・ジャズ留学』大江千里さん

2015年08月24日 | 音楽とわたし
大江千里さん。
若い頃からシンガーソングライターとして一世風靡をし、他の歌手の歌作り、俳優、ラジオ番組のパーソナリティ、さらにはエッセイや小説なんかも書いてた彼が、
すっかりおっさんになった47歳のある日、突如ニューヨークにやって来て、ジャズを学ぶ学生になっていた。

そのことを知ったのは今から5年前。
広島の原爆を被爆したピアノがニューヨークにやってくるというニュースを、広島在住の友人のちいこちゃんが教えてくれて、
慌ててそのサイトを調べてみると、なんと演奏者を募っているということが分かり、
でも実際に連絡してみると、もう締め切りが過ぎていて、演奏したい者は演奏のデモテープと履歴を送っておかなければならなかったんですよ、と言われた。
そこで諦めないのがおばちゃん!
ということで、あれこれあったことはここに書いた↓。
『被爆ピアノコンサート in ニューヨーク』

その12日の『ニューヨーク本願寺』でのコンサートに突然、千里さんが現れた。
そして、その演奏会中に朗読された『ミサコの被爆ピアノ』という物語に合わせて、千里さんは即興でピアノを演奏した。
その音楽の力強さ、悲しさ、悔しさ、深さ、闇の暗さ、そして祈りの強さ。
もうすっかり圧倒されて、そしてほんとにびっくりして、わたしは唖然としながら千里さんの姿を観ていた。
彼はなんでこんなふうにピアノが弾けるのやろう。
ピアノを弾けることは知ってたけど、なんでこんなにすごいのやろう。
(ちなみに、この時の感動が、自作曲『いのり』を創る原動力となった)
 
家に戻ってから調べてみた。
そしたらなんと、学生をしていることが分かった。
それも随分な苦学生だ。
それでもっともっと興味が出てきて、あれこれと追っかけるようになった。
ほんとは、月一でやってるジャズクラブ『富ジャズ』ライブを聴きに行きたいのだけども、平日の夜というのはやはり難しい。
だから、たま~に、何か特別な催しがある時を逃さずに行くようにしている。
今回の、JAA 女性実業家の会が主催した千里さんのトークショー&ミニライブは、まなっちゃんが一緒に行こうと誘ってくれた。
ちょうど夏休み中でレッスンがスカスカなので、楽々に行くことができた。

お、カワイのグランドピアノだ。


始まる前から赤ワインを飲んでた千里さん。


モデレーターはジャーナリストの津山恵子さん。


雪駄を取り寄せて持ってきたというのに、すっかり履き忘れてる千里さん。


ジャズピアニストへの挑戦がいかに無謀なことだったかを、ジョークを交えて面白可笑しく話してくれる千里さん。
たま~に大阪弁になるのが嬉しい。


彼は元々有名人だし、いろんなコネとかもあっただろうし、お金に困ってなんかいないだろうし…などと勝手に想像してた。
でも、学校に入って卒業するまでの4年間、嫌な目にも合った、いじめもあった、練習してもしてもどうにもならなかったこともあった、
オーディションには最初の2年間全く受からなかった、騙されたこともあった、それがみんな音楽に関わっているだけに余計にいやだった、
などというような話を聞いているうちに、どれほど彼のことを誤解していたかを思い知り、これはもうジャズ留学自叙伝を読まにゃ~と決心した。

それがこれ。
『9番目の音を探して』

http://www.amazon.co.jp/9番目の音を探して-47歳からのニューヨークジャズ留学-大江-千里/dp/4048120034/ref=tmm_hrd_title_0?ie=UTF8&qid=1435280261&sr=1-1



わたしがこちらに引っ越したのは、千里さんより4歳若い(?)43歳の誕生日。
とりあえず日常会話はできるはずだと思っていた。
けれども、そんなのんきな思い込みは、ほんの数日でガラガラと崩れた。
車に乗っては迷い、電話をかけては「あんたの言ってること全然わからんわ」とガチャンと切られ、スーパーのレジでさえも幼児扱いされた。
これが日本だったら…そう思ったことが何万回あったか。
わたしは43歳で、社会生活を難なくできて、少々困難な交渉や質問だってできた、いっちょまえの大人だったのに、なんなんだ、このトホホ感は?

それは母国語が使えないということ。
それまで経験してきた、培ってきたものが、言葉を自由自在に使えないことで伝わらない。
まずはそういう大きなハンデが存在する。

学ぶ物事が何であれ、中年からの学習の困難さは、わたしが身をもって知っている。
なんといっても記憶力の衰えが、すべてのことに影響する。
さらに老眼。
若い頃には思いもしなかった譜面の読みにくさ。
あれほど自信があった初見力も、老眼という敵にボコボコにやられてしまう。
周りは20代の若者がほとんどで、自分以外の人を蹴落とすことに必死になって、信じられない行動に出る者もいる。
そんなあからさまな嫌がらせや騙しをバンバン受けながらも、千里さんはなんとか踏みとどまり、ひたすらに精進した。
音階を肩がダメになるまで弾いて、とうとう全く弾けなくなった時、これまでゆっくり聞けなかった音楽が存分に聞けるいいチャンスだと担任から言われ、
イヤフォンからの音を口真似をしながら地下鉄に乗ってたら、いつの間にか自分の周りには人がいなくなり、
それでもとにかくポジティブに、たとえへこたれてもまた起き上がりして、千里さんは卒業までこぎつけた。
卒業式には、さんざっぱら呆れさせたり怒らせたりした教師が、こんなに良いジャズピアニストになるだなんてと、涙をハラハラと流して抱きしめてくれた。
長年のポップス生活で身についた癖が、ジャズの習得をさまたげたこともあったけれども、それを今度は逆手に取って、自分だけにしかできない音創りに生かしている。

だからこそのこの笑顔!


なんか深いよ、千里さん。


でも、ほんと、言葉にできないほどの辛い思いがあったんだと思う。
時々、10秒も20秒も、言葉が出てこないことがあった。


わたしはその10秒20秒の間に、千里さんが一番言いたかったことが、忘れようとしても忘れられないことが潜んでいるような気がした。

でもまた気を取り直して、






25年間、千里さんの本の担当をしてこられた角川書店の編集者さん。この本を最後に退職なさったらしい。


「一番人気があって忙しかった時に、自分が自分ではない気がした。幸せだと思えなかった」

たった一つしかない人生だ。
どう生きていくか、どう生きていきたいか、それを自分に問い、自分の心に耳をすませ、自分の気持ちを大切にした千里さん。
その結果、ものすごく辛いこと、しんどいこと、難しいことにバンバンぶつかったけれど、自分という木がしっかり根付いているから大丈夫。
トークで聞ききれなかった話をもっと聞きたくて、もちろんサインももらいたくて、本を買って列に並んだ。
気がついたら、「47歳どころか58歳なんですけど、個人レッスンとかお願いしてもいいですか」と尋ねてしまっていた。
「もちろん」と言われ、ピャ~っと舞い上がった還暦近しのおばちゃん。

よっしゃ~、たった一つしかない、それも折り返し点をだいぶ前に過ぎた人生だ。
ずっとずっと、いつか弾けたらよいな~とぼんやり思ってきたジャズピアノ。
3年ほど挑戦してみたけれども、結局身につかなくて挫折したジャズピアノ。
秋からのスケジュールをきちんと調整して、再挑戦するぞ!
ありがとう千里さん!