Mitsugu Yamakawaさんのフェイスブックより
鳩山由紀夫氏の凄さ
【ジャーナリスト・樫田秀樹氏】
辺野古の反対集会で一般市民に交じって、一市民として参加していた姿に感動した。
元総理が普通できないよ。
尊敬に値する。
辺野古にアポなしで訪れ謝罪した鳩山さん
先日、辺野古に半日だけ行きました。
数年前に、辺野古テント村に鳩山さんがアポなしで訪れて、
「皆さまにご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」と、謝罪をしたそうです。
もちろん、沖縄の人たちは、「最低でも県外」の公約が守られなかったことにがっかりはしたけれど、テント村に集う人々は
「それでも、当時の民主党が、鳩山さんが、あの公約を立てて辺野古問題を全国区にクローズアップしてくれたから、今でも、辺野古では本工事が行われないで済んでいる。
鳩山さんに味方はいなかった。
鳩山さんに、『やはり辺野古しかない』と言わしめるに至った、外務省や防衛省などの官僚たちこそを責めるべき、というのが私たちの共通認識。
私たちは、鳩山さんには感謝しています」
と述べていました。
現地に行かなければ、わからないことはたくさんあります。
↑以上、転載おわり
その鳩山さんからの、安倍首相への提言を、ここに転載させていただきます。
↓以下、転載はじめ
鳩山元首相の提言「国民の多くが『戦争が出来る国』になることを心配」
【産経】2015年8月12日
http://www.sankei.com/politics/news/150812/plt1508120035-n4.html
安倍首相、私も首相として大変に稚拙だったと反省する身ですので、あなたに大きな顔をしてお説教をする立場ではないことをよく心得ています。
ですが、せっかく機会をいただきましたので、国のあるべき姿について、私見を述べさせていただきます。
安倍首相、あなたは、昨年の総選挙で大勝利を収めました。
勝ったのだから、自分の思い通りの法律を創(つく)るのだと、力んでおられるようです。
私は、2009(平成21)年、民主党が大勝利し、政権交代直後に最もやりたかったのは、
国家権力を強めるのではなく、一人ひとりの命を大切にする政治でした。
安倍首相、あなたはなぜ今、時代に逆行して、国家権力を強めようとされるのでしょうか。
「国会運営は『国会は野党のためにある』の気持ちで」と、竹下登元首相がいつも話されていたように、
数を頼みに力で押し切るのではなく、野党や国民の声に耳を傾けることを、心がけることが大切ではないでしょうか。
今、国民の多くが、「戦争ができる国」になることを心配しています。
そして、安保法制の法案が、今国会で成立することに反対しています。
首相自身も、「国民の理解が進んでいない」ことを認めておられますが、
「国民の理解が進んでいない」というより、「国民の理解が進むほど反対が増える」と理解するべきでしょう。
なぜなら、首相の説明を伺(うかが)うほどに、時代認識の誤りや矛盾に、国民は気が付き始めているからです。
首相はことあるごとに、「安保環境が大きく変わる中で」と、枕詞(まくらことば)のように話されます。
世界情勢が緊張感を増してきているかのように聞こえますし、メディアもそのように報道します。
首相は、40~50年前の状況と比べておられるようですが、その時代には米ソ冷戦が激化し、キューバ危機やベトナム戦争がありました。
今よりはるかに物騒な時代でした。
現在の米露が戦端を開くことはあり得ませんし、米中も戦争はしません。
あまり報道されませんでしたが、昨年、オバマ大統領が来日した際の記者会見で、
「小さな岩のことで中国と争うのは愚の骨頂」と、諫(いさ)めた通りです。
安保環境が悪化しているならまだしも、その時よりはるかによくなっているにもかかわらず、
「戦争に参加するための法案」を、なぜ、いまさら議論するのでしょうか。
首相は、集団的自衛権をわかりやすく説明するつもりで、アメリカ本国や離れが火事の時に、日本が火消しをすることだと例示されましたが、
火事と戦争はまるで違います。
火事は消せば済みますが、戦争は協力すれば、敵が攻撃する可能性が生まれるからです。
後方支援は直接的な武力行使ではない、と言い張っても、敵は兵站を断つ戦略に出るのが鉄則ですから、真っ先に狙われます。
逃げれば全滅でしょう。
また、首相は、ホルムズ海峡が封鎖されたら、日本に原油が来なくなる。
だから、ホルムズ海峡に敷設された機雷の除去の手伝いをする必要性があると、しばしば例として挙げますが、
これこそ時代認識の大きな誤りでしょう。
首相は、特定の国を想定していないと逃げていますが、イランを念頭においておられることは明らかです。
かつて私がイランを訪問した際、国内から大きな非難を浴びましたが、
そのときに、私がアフマディネジャド大統領に申し上げたのは、
「原子力の平和利用に徹するとしても、理解されるには時間がかかるので、日本を見習って、辛抱強く対話路線で交渉してほしい」ということでした。
その後、イランは、辛抱強く対話を続けてくれたと思います。
そして漸(ようや)く、6カ国との協議が、最終合意にまで達しました。
イランとアメリカやイスラエルとの間の不信感が、完全に拭えたとは思いませんが、
少なくとも、ホルムズ海峡に機雷が敷設されるような環境では、まったくないことだけは明白です。
首相は、適切な具体的な例が見つからないので、このような例を挙げられたのだと推察いたしますが、
具体的な例がないということは、法案に今日的な必要性がない証左でしょう。
首相、そもそも、集団的自衛権を限定的であれ行使できるようにするには、憲法改正が必要です。
どうしても行使するというのなら、憲法改正を堂々と行ってからです。
国の安全保障の、根本に関わる議論を変更するのですから、表玄関から正直に入らなければ、生涯禍根を残すでしょう。
ただ、私は、アメリカに媚を売るような形で、集団的自衛権を行使することには反対です。
それは、アメリカの決めた戦争に、唯々諾々と参加せざるを得なくなることが明らかだからです。
また、日米安保一体化の一環として、普天間飛行場の辺野古移設を、強引に推し進めておられますが、
これ以上強行されると、沖縄の人々との間に、流血の惨事が起きかねません。
この件では、私が大きな責任を有していますし、辺野古に決めてしまったことを、沖縄県民にお詫びいたします。
ただ、翁長(雄志)知事を筆頭に、沖縄の皆さんは覚悟を決めておられます。
辺野古では無理です。
首相には民主主義を守っていただき、あらゆる可能性を、沖縄を含めアメリカ政府と検討していただきたいと願います。
少なくとも私が首相のときには、アメリカには柔軟なところがありました。
柔軟でなかったのは、むしろ日本の外務省と防衛省でした。
北海道のある駐屯地では、司令が、すべての自衛隊員に遺書を書くことを命じました。
こんな形で、自衛隊員に苦しみを与えてよいと思われますか。
私は日本を、「戦争のできる普通の国」にするのではなく、
隣人と、平和で仲良く暮らすにはどうすれば良いかを真剣に模索する、「戦争のできない珍しい国」にするべきと思います。
私が首相のときに訴えました「東アジア共同体」構想を、中国の習近平国家主席が唱え始めています。
中国と韓国は、自由貿易で結ばれていきます。
アセアン(東南アジア諸国連合、ASEAN)も、今年中に、経済共同体がつくられます。
日本こそ、そして沖縄こそ、その結節点として、立ち上がる時を迎えているのではないでしょうか。
「戦争への国造り」から「平和への国造り」へ、首相の英断を求めます。
長い間、鳩ぽっぽ、などと呼んでたりしてごめんなさい。
博愛博愛って、そりゃ言うのは簡単やけどさ~、そんなこと叶うわけないやん、こんな世の中で…なんて思ってたりしてごめんなさい。
こんな世の中だからこそ、筋金入りの博愛精神が必要なんだと、叶えるんだという強い意志が大事なんだと、いろんなことを知った今は痛感しています。
日本は、あなたのおっしゃるように『戦争のできない珍しい国』になって、それが全く珍しくもない世界になるまで、他の国を先導する役目を負うべきだし、
それができる、選ばれた国だと信じたいです。
世界中のどの国も、戦争のできない国になる。戦争のできない国にする。
そのバトンをしっかりと渡せる大人になれるかどうか、子どもたちの期待にそえるよう頑張らねば!
鳩山由紀夫氏の凄さ
【ジャーナリスト・樫田秀樹氏】
辺野古の反対集会で一般市民に交じって、一市民として参加していた姿に感動した。
元総理が普通できないよ。
尊敬に値する。
辺野古にアポなしで訪れ謝罪した鳩山さん
先日、辺野古に半日だけ行きました。
数年前に、辺野古テント村に鳩山さんがアポなしで訪れて、
「皆さまにご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」と、謝罪をしたそうです。
もちろん、沖縄の人たちは、「最低でも県外」の公約が守られなかったことにがっかりはしたけれど、テント村に集う人々は
「それでも、当時の民主党が、鳩山さんが、あの公約を立てて辺野古問題を全国区にクローズアップしてくれたから、今でも、辺野古では本工事が行われないで済んでいる。
鳩山さんに味方はいなかった。
鳩山さんに、『やはり辺野古しかない』と言わしめるに至った、外務省や防衛省などの官僚たちこそを責めるべき、というのが私たちの共通認識。
私たちは、鳩山さんには感謝しています」
と述べていました。
現地に行かなければ、わからないことはたくさんあります。
↑以上、転載おわり
その鳩山さんからの、安倍首相への提言を、ここに転載させていただきます。
↓以下、転載はじめ
鳩山元首相の提言「国民の多くが『戦争が出来る国』になることを心配」
【産経】2015年8月12日
http://www.sankei.com/politics/news/150812/plt1508120035-n4.html
安倍首相、私も首相として大変に稚拙だったと反省する身ですので、あなたに大きな顔をしてお説教をする立場ではないことをよく心得ています。
ですが、せっかく機会をいただきましたので、国のあるべき姿について、私見を述べさせていただきます。
安倍首相、あなたは、昨年の総選挙で大勝利を収めました。
勝ったのだから、自分の思い通りの法律を創(つく)るのだと、力んでおられるようです。
私は、2009(平成21)年、民主党が大勝利し、政権交代直後に最もやりたかったのは、
国家権力を強めるのではなく、一人ひとりの命を大切にする政治でした。
安倍首相、あなたはなぜ今、時代に逆行して、国家権力を強めようとされるのでしょうか。
「国会運営は『国会は野党のためにある』の気持ちで」と、竹下登元首相がいつも話されていたように、
数を頼みに力で押し切るのではなく、野党や国民の声に耳を傾けることを、心がけることが大切ではないでしょうか。
今、国民の多くが、「戦争ができる国」になることを心配しています。
そして、安保法制の法案が、今国会で成立することに反対しています。
首相自身も、「国民の理解が進んでいない」ことを認めておられますが、
「国民の理解が進んでいない」というより、「国民の理解が進むほど反対が増える」と理解するべきでしょう。
なぜなら、首相の説明を伺(うかが)うほどに、時代認識の誤りや矛盾に、国民は気が付き始めているからです。
首相はことあるごとに、「安保環境が大きく変わる中で」と、枕詞(まくらことば)のように話されます。
世界情勢が緊張感を増してきているかのように聞こえますし、メディアもそのように報道します。
首相は、40~50年前の状況と比べておられるようですが、その時代には米ソ冷戦が激化し、キューバ危機やベトナム戦争がありました。
今よりはるかに物騒な時代でした。
現在の米露が戦端を開くことはあり得ませんし、米中も戦争はしません。
あまり報道されませんでしたが、昨年、オバマ大統領が来日した際の記者会見で、
「小さな岩のことで中国と争うのは愚の骨頂」と、諫(いさ)めた通りです。
安保環境が悪化しているならまだしも、その時よりはるかによくなっているにもかかわらず、
「戦争に参加するための法案」を、なぜ、いまさら議論するのでしょうか。
首相は、集団的自衛権をわかりやすく説明するつもりで、アメリカ本国や離れが火事の時に、日本が火消しをすることだと例示されましたが、
火事と戦争はまるで違います。
火事は消せば済みますが、戦争は協力すれば、敵が攻撃する可能性が生まれるからです。
後方支援は直接的な武力行使ではない、と言い張っても、敵は兵站を断つ戦略に出るのが鉄則ですから、真っ先に狙われます。
逃げれば全滅でしょう。
また、首相は、ホルムズ海峡が封鎖されたら、日本に原油が来なくなる。
だから、ホルムズ海峡に敷設された機雷の除去の手伝いをする必要性があると、しばしば例として挙げますが、
これこそ時代認識の大きな誤りでしょう。
首相は、特定の国を想定していないと逃げていますが、イランを念頭においておられることは明らかです。
かつて私がイランを訪問した際、国内から大きな非難を浴びましたが、
そのときに、私がアフマディネジャド大統領に申し上げたのは、
「原子力の平和利用に徹するとしても、理解されるには時間がかかるので、日本を見習って、辛抱強く対話路線で交渉してほしい」ということでした。
その後、イランは、辛抱強く対話を続けてくれたと思います。
そして漸(ようや)く、6カ国との協議が、最終合意にまで達しました。
イランとアメリカやイスラエルとの間の不信感が、完全に拭えたとは思いませんが、
少なくとも、ホルムズ海峡に機雷が敷設されるような環境では、まったくないことだけは明白です。
首相は、適切な具体的な例が見つからないので、このような例を挙げられたのだと推察いたしますが、
具体的な例がないということは、法案に今日的な必要性がない証左でしょう。
首相、そもそも、集団的自衛権を限定的であれ行使できるようにするには、憲法改正が必要です。
どうしても行使するというのなら、憲法改正を堂々と行ってからです。
国の安全保障の、根本に関わる議論を変更するのですから、表玄関から正直に入らなければ、生涯禍根を残すでしょう。
ただ、私は、アメリカに媚を売るような形で、集団的自衛権を行使することには反対です。
それは、アメリカの決めた戦争に、唯々諾々と参加せざるを得なくなることが明らかだからです。
また、日米安保一体化の一環として、普天間飛行場の辺野古移設を、強引に推し進めておられますが、
これ以上強行されると、沖縄の人々との間に、流血の惨事が起きかねません。
この件では、私が大きな責任を有していますし、辺野古に決めてしまったことを、沖縄県民にお詫びいたします。
ただ、翁長(雄志)知事を筆頭に、沖縄の皆さんは覚悟を決めておられます。
辺野古では無理です。
首相には民主主義を守っていただき、あらゆる可能性を、沖縄を含めアメリカ政府と検討していただきたいと願います。
少なくとも私が首相のときには、アメリカには柔軟なところがありました。
柔軟でなかったのは、むしろ日本の外務省と防衛省でした。
北海道のある駐屯地では、司令が、すべての自衛隊員に遺書を書くことを命じました。
こんな形で、自衛隊員に苦しみを与えてよいと思われますか。
私は日本を、「戦争のできる普通の国」にするのではなく、
隣人と、平和で仲良く暮らすにはどうすれば良いかを真剣に模索する、「戦争のできない珍しい国」にするべきと思います。
私が首相のときに訴えました「東アジア共同体」構想を、中国の習近平国家主席が唱え始めています。
中国と韓国は、自由貿易で結ばれていきます。
アセアン(東南アジア諸国連合、ASEAN)も、今年中に、経済共同体がつくられます。
日本こそ、そして沖縄こそ、その結節点として、立ち上がる時を迎えているのではないでしょうか。
「戦争への国造り」から「平和への国造り」へ、首相の英断を求めます。
長い間、鳩ぽっぽ、などと呼んでたりしてごめんなさい。
博愛博愛って、そりゃ言うのは簡単やけどさ~、そんなこと叶うわけないやん、こんな世の中で…なんて思ってたりしてごめんなさい。
こんな世の中だからこそ、筋金入りの博愛精神が必要なんだと、叶えるんだという強い意志が大事なんだと、いろんなことを知った今は痛感しています。
日本は、あなたのおっしゃるように『戦争のできない珍しい国』になって、それが全く珍しくもない世界になるまで、他の国を先導する役目を負うべきだし、
それができる、選ばれた国だと信じたいです。
世界中のどの国も、戦争のできない国になる。戦争のできない国にする。
そのバトンをしっかりと渡せる大人になれるかどうか、子どもたちの期待にそえるよう頑張らねば!
いつも記事の転載、文字起こしを感謝します。
「日本を『戦争のできる普通の国』にするのではなく『戦争のできない珍しい国』にするべき」鳩山由紀夫氏・・・・を私のブログで紹介させていただきますことをお許しください。
http://matome.naver.jp/odai/2143955640838791201
「安倍談話」の内容に村山元首相がバッシングした理由
http://matome.naver.jp/odai/2143955640838791201
遅くなりましたが、ようやく気付きつつあります。
一方で、愛国者の仮面をかぶって売国している人たちが国を動かしていることに愕然とします。
鳩山氏の行動は決してブレませんね、信念をお持ちなのでしょう。
それと、こんなニュースがありました。
「八日市図書館(滋賀県東近江市)で開催中の故ジョー・オダネルさんの写真展が、20日から大津市内でも開かれる」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150816-00000031-kyt-l25
ジョー・オダネル氏も鳩山氏も、今はまだ少数派かもしれませんが、多くの人々に理解される日がきっと来ると思います^^
それは多分にマスコミによる報道を信じていたかもしれません。
自分の考えの浅さに、今は愕然としております。
沖縄で謝罪し
そして一個人として集会に参加し
韓国では、心からのお詫びの慰霊をしています。
彼の言う「友愛」は本当だったのだと思っています。
ご紹介いただきました文章を読んで、更にその思いを強くしました。
安倍さんは、戦争になりにくい国、米国に従属しない国を目指しています。
鳩山さんは、侵略されやすい国を目指しています。
詳しくはこちら
http://earth.kurasu.biz/index.php?QBlog-20150721-1
http://earth.kurasu.biz/index.php?QBlog-20150819-1
実はつい先日、ひょんなことから、ここからの記事をまるで自分が書いたようにして載せておられた方がいらっしゃるのを知りとても驚きました。その記事は特に、長い長い時間をかけて文字起こしをしたものだったので、いささか複雑な思いになりました。
花てぼさんへのお返事の場をお借りして、ちょっとひとりごちさせていただきました。謝謝。
海外での受け取り方は、多分翻訳を経て読み聞きされていることもあり、さらに厳しい批判が伴っているものが多いように思われます。
いずれにせよ、これは単なるパフォーマンスであり、外面を整えるための一作業に過ぎないというのがわたしの印象です。
わたしは日本に生まれ育ちました。
そして今、その年月の3分の1にあたる15年を、こちらで過ごしました。
愛国という言葉をよく耳にするようになり、わたしもそのたびに自分に問うてみるのですが、国を愛するというのはいったいどのようなことなのか、国とはそもそも何なのか、今後も考え続けていきたいと思っています。
その中のひとつとして、政治家の方々への勘違いや誤解について考えますと、彼らよりもさらに権力を持ち、支配しようと目論んでいる者たちにとって、都合の悪い者や邪魔者は特に、中傷や冤罪などで失脚させられていることに気づくことができます。
ひとりの政治家が世の中を変えたり先導したりすることは不可能なので、だからこそわたしたち市民の支えが、それも目に見える支えが必要なのだと思います。
マジョさんは、さまざまな大切な場所に足を運ばれていて、わたしはそのことにとても心を打たれました。
さまざまな視点からの、いろいろと違う見方があることを、このブログを読みに来てくださる方々にお知らせするという意味で、ここにやしろさんのコメントの紹介をさせていただきます。