ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「在特会を必要としないほどに在特会化した日本社会には、レイシストがもう普通に溶け込んでいて、確実に根を下ろしている」by 安田浩一氏

2021年08月10日 | 日本とわたし
Jeong Wooさんが紹介してくれたMr. Yasuda(安田浩一氏・ジャーナリスト)のコメントが、ここ20年の間、日本に帰るたびに年々増してくるわたし自身の恐怖感を的確に語ってくれていましたので、文字おこししました。
 
安田浩一氏:
2002年っていうのがまさに、青木さんなんかも取材した日中首脳会談、小泉訪朝、プラス日韓ワールドカップ。
で、僕はね、かつていわゆるその排外主義者たち、例えば在特会とかの古参メンバーなんかを取材した時に、「あなたはいつからレイシストになったんですか?」みたいな質問をするわけです。
そうするとね、彼らは堂々と答えるわけです。
「ワールドカップからですよ」と。
言ってみればね、それまで韓国っていうものを知らなかったわけですよね、どんな国なのか。
つまり、極東の小国ぐらいの意識しかないわけです。
ですから差別しようがないというか、そもそも関心がなかった。
ところがワールドカップでもって初めて韓国を意識して、隣国というものを発見するわけです、いわばね。
それによって、お、すごいじゃんとか、同じような政治体制、まあ民主主義体制を取っていながら、しかし、韓国は遅れた極東の小国ではなくて、それなりの科学技術を持ち、民主主義があり、そして日本を上回るパワーみたいなものをそこで発見することによって、韓国に対するライバル意識が出てくる。
それが嫌悪にかわって在日コリアンをも差別してくる。
差別の形態が、2002年ぐらいから変わってきたような感じは僕はするわけです。これは極めて主観ですけれども。
それまで差別はありましたよ、在日コリアンに対する差別なんて一貫してあったわけで、
その戦前もあった、えーずっと差別はあった。
しかし、その差別の中身を検証してみると、どちらかというと上から見下すような差別が中心だったわけです。
在日コリアンというのはどこか、例えば貧しいよねとか、あるいは治安の問題だよねっていう形で、上から見下す差別がほとんどだった。
ところが今世紀に入ってから変わってきたのは、上から見下す差別をがっしり抱え込みながら、一方で、下から見上げる差別も増えてきた
その典型なのが、いわゆる在日特権なる、この醜悪な言葉で、なんか在日コリアンって得してるよね、優越的な権利持ってるよね、日本人以上に恵まれてるよね得してるよねって、これ、今の多くの在日外国人に向けられる差別の、一つの端緒(?)になってるものだと思うんですけれども、なんら優越的権利を持っていない外国人に対して、得してるとか、上手いこといってる、日本人よりかいい暮らししてる、日本よりかなんか様々な特権を与えられるっていう妄想をね、しかしそれを差別のエネルギーとして発動されている。
つまり、上から見下す差別と下から見上げる差別を加えて排外主義、あの、青木さんが言うような排他と不寛容みたいなものが増強されてるんだなっていう気がしましたね。


青木氏:
在特会の会長さんだった、今もそうなのか僕はよく知りませんが、桜井さんって人が都知事選に出て、18万票っていう票を獲得していると。
そういうことってやっぱり、我々の知らない部分で、非常にこう、草の根でそういう排外主義的な意識が広がっているんですかね、やっぱり。

安田氏:
ですから、僕、今本当に怖いのは、その桜井とか在特会の後継組織がありますけれども、あの人たちはレイシストですという名札をつけて歩いているから、むしろそんなに怖くない。
もちろん当事者からすれば恐怖ですよ。
当事者からすれば、つまり被差別者の当事者からすれば恐怖以外の何ものでもないけれども、僕からすれば、名札つけて歩いてくる人間に対しては、わかりやすいから、ああ、こいつレイシストだなと。
しかし、今ほんとに僕が背筋が凍るほど怖い思いをするのは、いわば平場です。
例えば酒飲んでる時、食事してる時、あるいは僕が大好きなスーパー銭湯に行って温泉に浸かってる時、ふと隣にいるお客さんが、在特会と変わらないような言葉を口にするのを聞くことがあるわけですよ。
よほど怖いですよ、名札つけてないから、ワッペンないから。
そうした人間が、露骨な朝鮮人差別をしたり、排他的排外的なことを口走ったりした時に、僕は在特会を見る時以上の恐怖を感じます。
つまり、でもそれが当たり前になってる
つまり今、昔のようにね、新大久保を取り囲む大規模な排外デモとか無いですよ。
散発的なデモはしょっちゅうやってますけど。
数百人が「〇〇人殺せ!」って言いながら喚くようなデモは、最近少なくなりました。
これをもって、ああよかったねという人がいるんだけど、僕からすると、いや違うだろと。
もはや、在特会を必要としないほどに社会が在特会化しただけのことであって、レイシストっていうのはもう普通に溶け込んでるわけで、僕らの隣に、僕らの後ろに、僕らの前に、同じ電車の中に、同じ職場の中に、同じ学校の中に、わんさといるわけですよね。
確実に根を下ろしている
そういうこともしっかりと直視しないといけないんじゃないかという気もします。