先だっての大雪がもたらしたでっかい雪のかたまりが、ようやく少しずつ溶けてきたと思ったら、
また降った…予報通りに、木曜日の夜から金曜日の午前中いっぱい。
でも、降り終わってすぐに雪雲が流されていったので、さっそうと登場した青空とお日様が、みるみるうちに積もった雪を溶かしてくれた。
昨日は歩美ちゃんがうちに寄って、体調のことや今抱えている悩みなんかを話してくれた。
彼女は、わたしが足元にも及ばないほどに、いろいろな場所に出没する。
困っている人、弱っている人のことを、放っておけないからだ。
もちろんいくら放っておけないからって、彼女自身も生きていかなければならないし、守らなければならない家族もいる。
でも彼女は、様々な、それも会ったこともない人や行ったこともない場所に幸せがもたらされるようにと、本当ならのんびりと過ごせる時間を使って飛び回っている。
足元にも及ばないとはいえ、わたしの考え方も以前とは随分変わり、ふと気がついたら自分以外の世界や人のことを考えている。
5年ほど前までは、ということは半世紀以上も生きてからということになるけれど、ずっと跨ぐのが怖かった敷居を越えたという感じがする。
前にもここに書いたように、まだ小学校の低学年の頃から、原爆や戦争のことをもっと深く知りたくて、図書館に通って読みふけったような子どもだったから、
大きくなる過程で、原子力発電所やダムや公害や米軍基地などのことも、耳や目に入ってくるたびに、深く知るべきなんじゃないか?と問うてくる自分が居た。
けれども、13歳を境に家庭が崩壊し、その崩れ様が年々酷くなるにつれて、文字通り他人のことを考えているような場合では無くなってしまった。
それから約40年の間に、「そんなの本当の事とは思えない」と、事の顛末を話すと必ず言われるような出来事が何度も起こったが、
いろんな人が手を差し伸べてくれたおかげで、なんとか無事に、二人の息子たちを自分の手元で、成人するまで育て上げることができた。
歩美ちゃんもまた、たくさんの辛い思いをしてきた人だから、かつての自分と同じように困っている人のことを、見て見ぬ振りができないのだ。
世界には、困っている人が大勢いる。
困っている人だらけだと言った方が正しいのかもしれない。
本当は困っているのだけれど、それを認められない人もいる。
本当は困っているのだけれど、それがわかってない人もいる。
本当は困っているのだけれど、それを認めたくない人もいる。
本当は困っているのだけれど、わからないふりをしている人もいる。
そんな人たちを見て、
本当は何とかしなきゃいけないと思っているけど、何をしたらいいのかわからない人がいる。
本当は何とかした方がいいと思っているけど、時間や体力や気力が無いと思っている人がいる。
わたしは、これまで生きてきた間に、そんな人間をずっとやり続けてきたような気がする。
いろんな気持ちを両手いっぱいに抱えて、いろんな言い訳を心の壁に貼り付けて。
この5年間、わたしはじわりじわりと変わり続けてきた。
心だけではなくて、髪の毛には白髪が増えて、とうとう去年の夏に、生まれて初めての毛染めをした。
顔や手にはシミとシワが堂々と姿を現して、はじめは少し抵抗を試みてもみたが、よし、しっかり老いよう!と踏ん切りをつけた。
わたしがわたしであるように、それぞれの人が自分を生きている。
それぞれの生きている場所で、それぞれの暮らしている環境で、その人でしか持ち得ない熱情や愛や苦しみや悲しみや諦めを感じながら生きている。
ここで生きると、大人は決めることができるけれど、子どもにはそれができない。
けれども子どもは子どもなりに、大人が決めた場所で一緒に生きようと覚悟する。
だから、その場所を良い場所にしなければ、生きている間、毎日のように苦しまなければならなくなってしまう。
その場所を良い場所にするためには、そこにつながるものを順繰りに辿り、丁寧にチェックしていくという作業が必要になる。
そういう作業は面倒だ、できっこないと思うように、わたしたちは長い長い年月をかけて教育されてしまった。
そういう作業は特別で、だから特別暇か、特別お節介で物好きな人がすることだと、他人事にしてしまえる考え方を植えつけられてしまった。
そしてテレビと新聞が言うことは正しいと、丸呑みする癖をつけられてしまった。
そして極め付けは、自分と違う考えを持った人の話をきちんと聞いて、その中から共感できること、学べることを見つける心の広さを持たない人が多くなってしまった。
5年間で、それまでの半世紀以上の年月の分を上回るほどの数の人と、いろいろと話を交わしてきた。
今、日本は、本当に大きな分岐点に立っている。
政治家に共闘を指示するわたしたちこそが、いろんな違いやしがらみやこだわりを乗り越えて、共闘しなければならない。
わたしたちが共に戦える術は投票。
大きく転換した、変化した国はすべて、投票率が70%前後まで上がっている。
政治家に注文つけていることをそっくりそのまま自分に投げつけるといい。
『大日本帝國の復活』を狙う人たちが、敗戦直後からコツコツと、何代もかけて続けてきた根付けの強さと深さを、わたしたちは認めなければならない。
その人たちは、『大日本帝國の復活』だなんて一言も言わず、親を大切にしましょう、子どもの未来を守りましょうと、誰もがそうだそうだと頷くような話をする。
そうして美しい日本を取り戻しましょうと、名声や地位、立派な肩書きを持った人が、柔らかに微笑みながら言う。
わたしは今、友人の幸雄さんが送ってくれた、山崎雅弘著の『戦前回帰』(「大日本病」の再発)を読み始めている。
わたしたちの敵は相当にしたたかで賢く、そして根気強い。
この勝負は負けるわけにはいかないのだから、わたしたちはものすごく考え、計画し、行動しなければならない。
そして、そんなことを考えるわたしが珍しい人間などではなく、10人いればそのうちの7人が、思考が違っても尚、同じ敵に向かい立つようにならなければ、この戦いには勝てない。
負けたらどうなるか。
「安倍晋三は、天が下し賜うたリーダーだ」などと言って絶賛している、日本会議の新会長・田久保忠衛(杏林大学名誉教授)をはじめとする集団の悲願、『憲法破壊』と『戦前回帰』に転がり落ちていく。
落ちていく深い穴には、「大日本帝國病」菌がウジャウジャといて、日本という国を国民もろとも殺していく。
だからこの戦いは絶対に負けられない。
また降った…予報通りに、木曜日の夜から金曜日の午前中いっぱい。
でも、降り終わってすぐに雪雲が流されていったので、さっそうと登場した青空とお日様が、みるみるうちに積もった雪を溶かしてくれた。
昨日は歩美ちゃんがうちに寄って、体調のことや今抱えている悩みなんかを話してくれた。
彼女は、わたしが足元にも及ばないほどに、いろいろな場所に出没する。
困っている人、弱っている人のことを、放っておけないからだ。
もちろんいくら放っておけないからって、彼女自身も生きていかなければならないし、守らなければならない家族もいる。
でも彼女は、様々な、それも会ったこともない人や行ったこともない場所に幸せがもたらされるようにと、本当ならのんびりと過ごせる時間を使って飛び回っている。
足元にも及ばないとはいえ、わたしの考え方も以前とは随分変わり、ふと気がついたら自分以外の世界や人のことを考えている。
5年ほど前までは、ということは半世紀以上も生きてからということになるけれど、ずっと跨ぐのが怖かった敷居を越えたという感じがする。
前にもここに書いたように、まだ小学校の低学年の頃から、原爆や戦争のことをもっと深く知りたくて、図書館に通って読みふけったような子どもだったから、
大きくなる過程で、原子力発電所やダムや公害や米軍基地などのことも、耳や目に入ってくるたびに、深く知るべきなんじゃないか?と問うてくる自分が居た。
けれども、13歳を境に家庭が崩壊し、その崩れ様が年々酷くなるにつれて、文字通り他人のことを考えているような場合では無くなってしまった。
それから約40年の間に、「そんなの本当の事とは思えない」と、事の顛末を話すと必ず言われるような出来事が何度も起こったが、
いろんな人が手を差し伸べてくれたおかげで、なんとか無事に、二人の息子たちを自分の手元で、成人するまで育て上げることができた。
歩美ちゃんもまた、たくさんの辛い思いをしてきた人だから、かつての自分と同じように困っている人のことを、見て見ぬ振りができないのだ。
世界には、困っている人が大勢いる。
困っている人だらけだと言った方が正しいのかもしれない。
本当は困っているのだけれど、それを認められない人もいる。
本当は困っているのだけれど、それがわかってない人もいる。
本当は困っているのだけれど、それを認めたくない人もいる。
本当は困っているのだけれど、わからないふりをしている人もいる。
そんな人たちを見て、
本当は何とかしなきゃいけないと思っているけど、何をしたらいいのかわからない人がいる。
本当は何とかした方がいいと思っているけど、時間や体力や気力が無いと思っている人がいる。
わたしは、これまで生きてきた間に、そんな人間をずっとやり続けてきたような気がする。
いろんな気持ちを両手いっぱいに抱えて、いろんな言い訳を心の壁に貼り付けて。
この5年間、わたしはじわりじわりと変わり続けてきた。
心だけではなくて、髪の毛には白髪が増えて、とうとう去年の夏に、生まれて初めての毛染めをした。
顔や手にはシミとシワが堂々と姿を現して、はじめは少し抵抗を試みてもみたが、よし、しっかり老いよう!と踏ん切りをつけた。
わたしがわたしであるように、それぞれの人が自分を生きている。
それぞれの生きている場所で、それぞれの暮らしている環境で、その人でしか持ち得ない熱情や愛や苦しみや悲しみや諦めを感じながら生きている。
ここで生きると、大人は決めることができるけれど、子どもにはそれができない。
けれども子どもは子どもなりに、大人が決めた場所で一緒に生きようと覚悟する。
だから、その場所を良い場所にしなければ、生きている間、毎日のように苦しまなければならなくなってしまう。
その場所を良い場所にするためには、そこにつながるものを順繰りに辿り、丁寧にチェックしていくという作業が必要になる。
そういう作業は面倒だ、できっこないと思うように、わたしたちは長い長い年月をかけて教育されてしまった。
そういう作業は特別で、だから特別暇か、特別お節介で物好きな人がすることだと、他人事にしてしまえる考え方を植えつけられてしまった。
そしてテレビと新聞が言うことは正しいと、丸呑みする癖をつけられてしまった。
そして極め付けは、自分と違う考えを持った人の話をきちんと聞いて、その中から共感できること、学べることを見つける心の広さを持たない人が多くなってしまった。
5年間で、それまでの半世紀以上の年月の分を上回るほどの数の人と、いろいろと話を交わしてきた。
今、日本は、本当に大きな分岐点に立っている。
政治家に共闘を指示するわたしたちこそが、いろんな違いやしがらみやこだわりを乗り越えて、共闘しなければならない。
わたしたちが共に戦える術は投票。
大きく転換した、変化した国はすべて、投票率が70%前後まで上がっている。
政治家に注文つけていることをそっくりそのまま自分に投げつけるといい。
『大日本帝國の復活』を狙う人たちが、敗戦直後からコツコツと、何代もかけて続けてきた根付けの強さと深さを、わたしたちは認めなければならない。
その人たちは、『大日本帝國の復活』だなんて一言も言わず、親を大切にしましょう、子どもの未来を守りましょうと、誰もがそうだそうだと頷くような話をする。
そうして美しい日本を取り戻しましょうと、名声や地位、立派な肩書きを持った人が、柔らかに微笑みながら言う。
わたしは今、友人の幸雄さんが送ってくれた、山崎雅弘著の『戦前回帰』(「大日本病」の再発)を読み始めている。
わたしたちの敵は相当にしたたかで賢く、そして根気強い。
この勝負は負けるわけにはいかないのだから、わたしたちはものすごく考え、計画し、行動しなければならない。
そして、そんなことを考えるわたしが珍しい人間などではなく、10人いればそのうちの7人が、思考が違っても尚、同じ敵に向かい立つようにならなければ、この戦いには勝てない。
負けたらどうなるか。
「安倍晋三は、天が下し賜うたリーダーだ」などと言って絶賛している、日本会議の新会長・田久保忠衛(杏林大学名誉教授)をはじめとする集団の悲願、『憲法破壊』と『戦前回帰』に転がり落ちていく。
落ちていく深い穴には、「大日本帝國病」菌がウジャウジャといて、日本という国を国民もろとも殺していく。
だからこの戦いは絶対に負けられない。