ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

これもひとつの引っ越し手伝い?

2010年06月27日 | お家狂想曲
かあちゃん、なにしてるん?


本ニャンは手伝っているつもりでも、なかなかに邪魔な家猫。今日、友人夫婦が引っ越しには持っていかないと決めた家具の中から、分けてもらった物をうちに運び入れました。
引き出しの中を拭き掃除して、『WHOLE FOODS』でもらう紙袋を解体した紙を引き出しの中敷きに使いました。

あんたの遊び場とちゃうねんって!


引き出しが入るたんす。上半分が深い長持になっていて、そこに毛布や薄い布団を全部入れようと思っています。


長持の中。


この棚は、友人夫婦の集めたアンティークコレクションのひとつ。いろんな分厚い板を組み合わせて作られたもので、かなり重いです。


ふたつお揃いで買った本読みランプ。


一目惚れしたコーヒーテーブル。


うちの台所は、ガスコンロがポツンと離れた所にあるので、鍋を置いたり、ちょっとした準備をしたりするワゴンが欲しかったので。手前の開き扉の網が、昔懐かしい蠅入らずの戸棚を思い出させてくれます。


ちょっと趣が違うのだけど、中に折りたたみ式の椅子が4脚入っているコンパクトテーブル。いつかTが使うかな~なんて……勝手に計画中。


玄関ポーチにはこんなのが。


そして今日一番の重量級。わたしの背より大きな棚ふたつ。あんまり重いので、とりあえず地下に。


ちゃっかり紙類のストックを仕舞っちゃいました。


無言の「あんたは学生やで!勉強しなはれ!」圧力をかけようと、これまたコンパクトに収まるパソコン机。これはKの部屋に既に入れました。


これにあと、ちょこちょことした小物とガス椅子を入れて、今日は合計5回の往復をしました。
わたしはともかく、旦那も腰がかなりやばいようです。
明日はふたりそろって、カイロプラクティックに行かなければならないかも……。


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あじさい受難

2010年06月27日 | ひとりごと


どこの誰だか知らない。知ったとしてもしょうがない。

お昼過ぎまで知らなかった。先に外に出た旦那が見つけた。旦那が指し示す先に、哀れなあじさいの姿があった。
それを目にしても、脳がそれをいくら理解させようともがいても、こんなことがあっていいのかと思う心が邪魔をして、言葉が思いつかなかった。

今頃どこでどうしているのか。
幸いにも、枝から折られたのではなく、根こそぎ引き抜かれているので、命がつながれている可能性が大きい。
せめて、こんなことをした人が、あのあじさいをわたしの代わりに楽しみ、愛でてくれることを祈るばかり。


旦那のオフィスの所有者であるドォン&ブライアン夫妻が、息子達も巣立ち、良い学区に住み続ける理由もなくなったので、高額な固定資産税(彼らの家で年160万円)でその名を馳せるモントクレアの町(わたし達が引っ越した理由もそれ)から引っ越すことを決めた。
自分達の手で改装し続けてきた愛すべき三階建ての持ち家を売り、隣町のこじんまりとしたアパートに住むことにした。
なので、趣味で集めた、ごつい板を組み合わせて作られた家具を一式売ることになった。
わたし達はその家具の一部を安くで分けてもらい、それらを今日の昼から、5,6回往復して運んでいる。
うちにはトレーニングで筋肉を鍛えている、チビだけど屈強な若い男が二人もいるというのに、急に頼むのがイヤな旦那は、出血中の五十路の妻をこきつかう。

道すがら、どこの家にも植えられている、すくすくと大きく育ったあじさいをついつい目で追いかけてしまうわたしの膝を、旦那はポンポンと叩く。

今まで寄りかかっていた仲間がいなくなったので、せめてこれで凌いでもらおう。


ごめんな、あじさい。どこかでまた、みんなが元気にしてますように。
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疑惑のノーゴール

2010年06月27日 | ひとりごと
イギリスとドイツの試合を観ている。
どちらの国の血も流れている旦那にとっては、どちらか一方だけを応援するわけにもいかず、どちらも頑張れ!的に観戦している。
はじめ、ゴール間際のディフェンスが手薄になりがちだったイギリスの隙を突き、もちろんドイツ選手のうまさもあって、2点獲得。
その後、イギリスがゴールを決め、そして問題の、テレビの画面を観ているわたし達でさえ入ったと思われた2点目のゴールが、審判判定で幻となった。

テレビの解説者の話によると、1966年のイングランド大会決勝でも、西ドイツ-イングランド戦でイングランドのシュートがバーに当たり、ほぼ真下に落ちた。
この際は「ゴール」が認められ、イングランドが優勝。「疑惑のゴール」として物議を醸した。
それが44年後の今日、再び、競技場に居る大勢の人々と、44年前とは比べ物にならないほどに発達したメディアによって世界中のテレビの前に座っている我々のような者達の前で起こった。
まあ、今回の場合、疑惑というより、人間の目にも誤審とはっきりわかるものだったけれど……。

審判の判定は絶対。彼が◯と言えば○。彼が×と言えば×。モニター画面上で何万回、ボールが確かにゴールに入っていたことを証明したとしても。
会場はブーイングの嵐。選手達も憮然とした表情。審判はもう、後でモニターを見せられなくても、自分が大きなミスを犯したことがわかっているだろう。

ついさっき後半戦が始まった。ブブゼラの騒音を上回るブーイングと応援歌。今日は久しぶりに人の声が聞こえる。

サッカーもテニスも野球もフットボールも、どんどん進化した人間に打たれたり蹴られたりするのだから、ボールの動きを最後まで見極めることは、人間の目の能力をはるかに越えている。
その人間が開発したテクノロジーを適時適所に使うことは、別にそのスポーツを、そのスポーツを公正に競い合えるために審判する人達を、貶めることにはならないと思う。
どんなに動体視力に優れている人が審判になったとしても、スーパースローモーションでないとどうしても見極めがつかないような場面が出てくる。
人間の限界を露呈するようなことが、こんな、国を背負った選手達の闘いの場に起こらないようにしてほしい……とわたしは思う。

ドイツがどんどん加点している。とても速い攻めに、イギリスのディフェンスが追いついていけない場面ばかり。
運もある。誤審への憤りもある。作戦の失敗もある。スタミナの差もある。

けれども、最後まで腐らずあきらめず、とにかく頑張れ!イングランド!







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