ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

うるわしきかなプーアル茶

2009年12月02日 | ひとりごと
朝に一杯だけ飲むコーヒーですが、旦那はそれもできたら減らしたいようです。
その一杯にしても、カフェインを抜いたコーヒーの豆を何%、普通の、けれどもオーガニックの豆を何%混ぜるかに悩みまくります。
なので、日によってその割合は変わり、混ぜる豆の種類も変わり、まるでもう、特許申請を目指す、化学室の実験風景さながらの真剣さが漂うのであります。

で、なんとかコーヒーに代わる、自分にとって魅力的な飲み物、ということで、旦那はこんなんを買ってきました。

じゃ~ん!プーアル茶でございます。



隣町のお茶専門店の中国人のオーナーにいろいろ話を聞いてもらって、選んでいただいたのがこれだったそうな。
では蓋を開けてみましょう。



なんか高級石けんのような感じがしないでもない……。
そして紙包みを開けてみると、



カキンコキンに固められたお茶玉が出てまいりました。お茶に直接シール貼られてあるし……。
裏側はどうかというと、怪しい穴が空いておりました。でもやっぱりカキンコキンです。



旦那がうるさく、もうちょっとアップで、フラッシュ焚いて、と言うので。




すんません……わたしにはどぉ~しても、おっきな動物さん達が居る動物園の檻の中の……これ以上は言いますまい、口が裂けても言いますまい……。

実はわたし、プーアル茶、嫌いでした。あのとろっとした飲み心地がいやで、勧められてもいらんと断っておりました。
ところが、今回のこの奇妙なお茶玉を見て、興味が出たのでウィキでちょこっと調べてみたら、

『天然サポニンとミネラル類を豊富に含み、肥満、脂肪の溶解、ダイエット効果、消化促進、整腸作用、二日酔い、胃のむかつき改善、血糖値の上昇を抑制、血行促進に効果があるとされる。さらに、増強免疫力(免疫力を強める効果)、抗老化(老化予防)、癌予防、歯を強くする効果もあるとされる。漢方薬としても飲用される』

もっと前からガンガン飲んでたら今頃……虫歯も、あっちゃこっちゃにチョロチョロ生えてきた白い毛も、なんか知らんけどすぐ付いてくる肉も、まだまだ出会わんで済んでたかもしてません。
もっと早よにそう教えといてぇな~!!


いなかっぺのばかやろう!

2009年12月02日 | 音楽とわたし
さあ今夜もそろそろ寝ようと、最後の新聞のページをちらっと開いたら、
『片岡みどりさん(ピアニスト、相愛大名誉教授)が1日死去』という記事が目に飛び込んできた。
片岡先生、死なはった……。

片岡先生は、当時ずっとお世話になっていたピアノの師匠のそのまた師匠で、大きなコンクールの予選・本選前などの特別な時にだけ教えていただいた。

その当時、わたしとS子は、三重県の小さな町から毎週土曜日の昼に、学校帰りのランドセルを背負ったまま近鉄電車に飛び乗り、相愛の特設音楽教室に通っていた。
そこではソルフェージュや聴音など、音楽の基礎知識を学び、絶対音感の訓練などを受け、年に数回あるピアノの実技試験を受けた。
昔、相愛は本町にあったので、上六から谷町線に乗り換え、そこからまたバスに乗る。小学生のしかも低学年の子供にはなかなか大変な習い事だった。

毎週レッスンをしてくださる師匠は同じ町に、2週間に1度のレッスンをしてくださる先生は電車で30分ほどの町に、そして1ヶ月に1度、仕上げレッスンをしてくださる先生は宝塚の方に。ピアノの宿題だけでてんこ盛り。毎日何時間もピアノを弾く生活が続いた。

そして、コンクールの予選が近づくと、わたしは師匠に付き添われて(←これはそういう決まりだったらしい。後で知ったことだけど)、片岡先生のお宅まで行く。
初めての日、路上電車に揺られている間、師匠の顔がどんどん強ばっていくのがわかって、それだけですっかりビビってしまったわたし。
絶対恐い先生なんや……絶対そうや……。
平日の昼間しか時間が取れないからと、こちらは学校を休んでまで行っている。
片岡先生に気に入ってもらえるようにと、普段のレッスンまでもが異様に厳しくなっていた。
だから今日はそのための、結果をしっかり出すための日だ。少々恐くても頑張らなければ。

豪邸の門をくぐり、玄関の重いドアを開けると、奥の方からピアノの音が微かに聞こえてきて、わたしは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
上等そうなスリッパに履き替え、できるだけ音をたてないようにすり足でレッスン室に入って行く。
喉はもうカラカラ、胸は心臓が外からでも簡単に見えるほどドクンドクンと波打っている。
レッスン待ちのソファの端に腰掛けて小さくなっていると、柔らかな表情の片岡先生がやって来て、「遠くからで疲れたでしょ。そのお茶とケーキどうぞ」と勧めてくれる。なんや、優しい人やん……とそれまで詰めていた緊張を内緒で一息漏らす。
横には、極端に言葉数の少ない師匠が座っている。大丈夫やで先生、わたし頑張るから。心の中でそう声をかける。

わたしの番になって、弾く曲のページを開き、最初の小節を弾き始めたその時、
「なにやってんの!なにそれ!どうしてそんなことになるの!」
それまで聞いたことのないキンキンした怒鳴り声が耳元で炸裂した。
びっくりして手を引っ込めると、「なによ!もう1度弾きなさいよ。誰がやめろって言ったのよ!」と、ギュッと手首を掴まれた。
爪が擦れて痛かったけど、それよりもそんな強い力を人からかけられたことが無かったので、そっちの方がショックだった。
もう1度弾いた。なにがどう悪いのかわからなかったから、すごく戸惑いながら弾いた。
「そんな音がいいと思ってんの?どうしてそんなふうに弾くの?え?どうして?答えなさいよ!なに黙ってんのよ!」
もうどうしたらいいのか完全にわからなくなった。心がガタガタ震え出した。音楽のことなど吹っ飛んでしまった。
「ここは夕暮れの様子をイメージするのよ!夕暮れ、あなた、それぐらいわかるでしょ!」
一所懸命イメージした。夕暮れ夕暮れ夕暮れ。神さんお願いです、わたしに夕暮れの音が弾けるように力を貸してください!
もう1台のピアノで片岡先生が模範演奏を弾いてくださる。
あれを真似したらいいんだ。そしたらきっと褒めてくれる。歯を食いしばって真似をする。「違う!」と一瞬のうちに拒絶される。また弾く。また怒鳴られる。
いったいこんなことを何回繰り返しただろう、1小節目のわたしの弾き方がいけないということで、すでにその時点で40分が過ぎていた。
その間中、ずっと先生は怒鳴りっ放し。ヒールの先で蹴飛ばされたりもした。
横の机で、片岡先生の注意を楽譜に書き込んでいる師匠(片岡先生からすると弟子だけど)にも、ものすごい罵声が飛ぶ。
わたしのせいで先生があんなに叱られてる……ものすごく悲しくなった。
覚悟を決めて、わたしなりに、これが精一杯の音です、という演奏をしようと、やっぱり1小節目の音を弾き始めた。

「もういいっ!あんたのピアノ聞いてると頭がおかしくなるっ!これだからいやなのよ!そういうのをね、いなかっぺのばかやろうっていうのよっ!」

学校を休んで、師匠だってその日の予定を全部キャンセルして、遠く電車やバスを乗り継いでやってきたのに、
練習だって猛烈に頑張って、師匠にとっても自分にとっても恥ずかしくないぐらいまで仕上げたつもりだったのに、
たったの1小節だけしか弾かせてもらえなくて、それも彼女の思い通りの演奏にならなかったからだけかもしれなくて、
小学生だからって、もうちょっとまともに扱ってくれてもいいのに……田舎で暮らしてることがなんでそんなにあかんの?

師匠だって同じように惨めな思いしてるのに、あまりの恐さに体中の細胞が固まってしまったわたしをなんとか元気づけようと、駅近くの食堂に連れてってくれた。
でも、結局、ふたりとも食べ物が喉を通らなくて、苦笑いしながら店を出た。

お悔やみの記事を読んで、鮮明に蘇ったあの日の思い出。
もう今から40年以上も前の話。あれから先生もかなり変わられたと噂に聞いたことがある。あの頃が1番厳しかったらしいとも。
でも、あの日の強烈な片岡先生は、同じくピアノ教師になったわたしにとって、ある意味でとても大事なことを教えてくださったと思う。
今のわたしには、日本に居た頃と違って、コンクールに出るような子も、近い将来音大に進みたいと思ってる子もいない。
それがとても自分には合っているように思う。35年近くも教えてきた今、1番やり甲斐を感じるのはスーパー初心者を教えている時。
その子、あるいは大人が、2年3年と続けてきて、気がついたらこんなのが弾けた、あんなのも弾けたと、にこにこ嬉しそうにしている姿がすごくいい。
どんな子も、どんな大人も、いつかわたしのもとから離れていくのだけれど、年月が経って、やっぱり音楽が好きな自分に気がついた時、
初めてまともに音楽と関わったのは、東洋人の女先生にピアノ習った時だった、どうしてるかな~あの先生……と、ぼんやりと思い出してもらえばとっても幸せ!

片岡先生、ゆっくりおやすみください。心からお悔やみ申し上げます。