ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

カオスの後の静けさ

2009年12月20日 | 家族とわたし
30時間に及ぶ、嵐の中のドライブを経て、夢のような一夜を過ごし、疲れも緊張も解きほぐされた朝の目覚めは、なんとも格別のものでした。

隣のベッドでむっくり起きたと思ったら、ウゥッとうめき声を上げ、バスルームに飛び込んだ旦那にとっても、また別の意味で特別だったようです。
半日、狭い車の座席に縛り付けられ、この先どうなるのかも全くわからず、まるで我々を飲み込むかのように雪がどんどん深く積もるのをただ見ているしかなかったわたし達。
それでもあそこに居た人達は、出会うと必ず笑って「希望を持とう!これ以上悪いことは起こらないんだから」と励まし合っていました。
あそこで、ああいう事態の中で、誰かひとりでもイライラしたあまりクラクションを鳴らしたり怒鳴り始めたりしていたら、それに触発された人がまた……、
そういう負の行動に出る人がひとりも居なかったこと。あの雪の中の異様なまでの静けさの意味を、今もまだ考えてしまうわたしなのでした。

「ゆ~き~が~ふぅ~るぅ~、たすけは~こないぃ~」なんて替え歌を閉じ込められた車の中で、小さな声で歌うぐらいの抵抗は許してもらえますよね。

全天候型のタイヤも、ああいう凄まじい嵐の中では頼りなく、ハンドルを握っている間中、神経のすべてに緊張の針が刺さっていたような気がしました。

けれども、あの魔の30時間の間、ずっと自分に向かって問い正していたこと……それは……、

どうしてあの時、ニュースをもっと真剣に聞き、事態の深刻さを認めようとしなかったのか。
どうしてTの、今までの恩返しがしたいという気持ちを優先させてしまったのか。
どうしてTは、たとえ死にもの狂いで卒業に向かっていたとはいえ、少しずつでも引き上げる準備をして、パッと荷物を運べるようにしておかなかったのか。

このどうしては、あの車の中に閉じ込められている間中、思いついては消し、また思いついては消ししたことでした。
もう済んだことは仕方がないし、その時は善かれと思って選んだことだったのだけど、事故や天災に巻き込まれる可能性は、いつ、どこで、どれを選択するかで、かなり変わってくるのだと、今回は特別に痛いお灸をすえてもらったような気がします。

大人になった息子達。あんなメチャクチャな状況でも運転を任せられるまでに成長していたのを目の当たりにして、そのことにも驚きました。
強攻策を押し通し、ハンドルから手を離そうとしないわたしの横で、全身に震えが出るほどの恐怖を感じていた旦那。
わたしはその姿を皮肉ったりしましたが、ああいう場面を恐ろしいと思う彼の常識もまた、わたしには必要だったのだと思います。

たくさんのことを学んだ嵐の中の30時間。その間にTは誕生日を迎え、卒業式を終えました。
家族4人一緒に祝えたこと、困り果てたこと、助け合えたこと、ほんとに一生の思い出に残る2日間でした。

家に無事に着き、男達はドライブウェイと階段の雪かきをし、わたしはご飯を炊き、大根と白菜とワカメのお味噌汁を作り、牛丼の素を温めました。
久しぶりの、我が家での温かいご飯とお味噌汁の味もまた、一生忘れられないでしょう。おいしいなあ、おいしいなあと言いながら、皆でガツガツ食べました。