天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

松下幸之助晩年の座右の銘『青春とは心の若さで、信念と希望にあふれ、勇気にみち日に新たなら、永遠なり』

2010-11-27 15:15:01 | 日記
今日の続編日記は、思わぬ動機で今読み直している著書『夢を育てる 松下幸之助 私の履歴書』(著者松下幸之助:1989年日本新聞社刊)のことです。添付した写真は、最新版の文庫版の著書表紙です。
この著書を読み直してみて、20年の歳月を経て、私も著者に強く共感した”座右の銘”を皆さんに紹介します。以下に、その著書から一部引用して掲載します。
『昭和四十一年のことである。四十一年というと私の七十歳のころで、そのころ何となく肉体の衰えというものが感じられてきた。・・だから、肉体の老化は防げないとしても、精神的にはいつまでも若々しくありたい、いつまでも青年でありたい、と強く思うようになったのである。・・私は、その思いを色紙に筆で自ら書き、額に入れておいた。・・その額入りの銘とは次のようなものである。
・・青春・・
青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ
勇気にみちて日に新たな
活動をつづけるかぎり
青春は永遠にその人のものである
     松下幸之助
私は現在八十五歳。今もなお、この銘を座右におき、読み返している。』
松下幸之助は、論語で孔子が語る「七十にして、心の欲する所に従って矩を踰えず」の年齢に達した時、論語が語った聖人君主みたいに老成せず、いつまでも若々しくありたい、いつまでも青年でありたいと願っています。この松下幸之助の言葉に、私は深く感動しました。
私は、今五十七歳です。七十歳になって、松下幸之助の境地に達するか?どうか判りません。でも、松下幸之助のこの”座右の銘”を拝借して、日々の生活を充実したものとしたいと、今私は思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『夢を育てる・松下幸之助・私の履歴書』談:仕事がうまくいかないのは、経営の進め方が当を得ていないから

2010-11-27 12:22:03 | 日記
今日の日記は、私への間違った意見への私の真摯な反論です。
今日の早朝4時頃、私が関係しているネット掲示板に私の行動には私自身に非があるとの投稿がありました。以下にその書き込みを引用掲載します。
・投稿客C『松下幸之助 著書「経営のコツここなりと気づいた価値は、百万両」より抜粋 うまくいかない行き詰まりの原因と言うものは、外部なりいろいろの事情はあるにしても、そのほとんど100パーセント、まあ少し割り引くとしても95パーセントまでは自分にある。決して外部にあるものではない。 おじさん、悪行客とやら外部ばかりを批判するのではなく、己を見つめ直してみませんか?ご自身のブログで多数の著書の熟読を薦められているようなので、おじさんにはこちらの熟読をお薦めします。最後に松下幸之助からのメッセージを。「うまくいかない原因は自分自身の内にある」』
この投稿客Cは、松下幸之助の経営哲学を、ある趣味を共有する特殊なサークルに無理やり当てはめようとしています。また、投稿客Cは、私が理不尽に迫害されたこの劇場サークルでは、そのサークル指導者の教義に反する個人応援の自由はまったく認められないので、その迫害・排除は当然であり、その責任及び非はその個人にあると思っています。この独善的教義を強く信奉しているから、このような主張を投稿しているのです。さらに、この物事を柔軟に見ず独善的にしか見れない思考が、松下幸之助の人生哲学を曲解し間違った喩えとして悪用しているのです。
私にこの投稿客Cに、松下幸之助肉声の自伝『夢を育てる 松下幸之助 私の履歴書』(1989年日本新聞社刊)を熟読することをお勧めします。添付した写真は、その著書の表紙です。(私注:この著書は私の愛蔵書です。現在は増版され文庫版も出版されています。)
その著書にも、この投稿客Cが言及した言葉「うまくいかない行き詰まりの原因」に関係する記述があります。以下に、その箇所を抜粋し引用・掲載します。
『・・私の商売に対する考えを簡単に述べよう。創業時代、やや油の乗りかけたときのこと、熱心なある同業者から「どうも仕事がうまくいかないが」と話しかけられて私はこう言った。「商売というものは損したりもうけたりしながら成功するものという考え方があるが、それは誤りだ。商売は真剣勝負と同じで、切られているうちに成功することはあり得ない。やればやっただけ成功するものでなければならぬ。”うまくいかないのは運でも何でもない。経営の進め方が当を得ていないからだ。”だから確固たる信念を持っている人は不景気のときほど、もうけるではないか」。このように私は万事積極主義だ。』
このように松下幸之助は「仕事がうまくいかないのは、経営の進め方が当を得ていないから」と経営姿勢に言及しているだけです。投稿客Cは、読んだ著書を自分勝手に曲解せず、著者の思いを正しく理解して下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『イースター・パレード』アン・ミラーは素晴らしい脚線美を見せながらリズミカルにタップダンスを披露

2010-11-26 22:01:13 | 日記
今日の日記は、映画『イースター・パレード』(1948年製作 チャールズ・ウォルターズ監督 ジュディ・ガーランド フレッド・アステア ピーター・ローフォード アン・ミラー主演)に出演したアン・ミラーのことです。
この映画では、ヒロインとして二人の若いミュージカルスターが出演しています。9年前に子役で主演した映画『オズの魔法使い』での名声がある有名なジュディ・ガーランドと彼女より一歳若いが無名に近い実力派のアン・ミラーです。そして、この二人は、フレッド・アステアをめぐってライバルとなる新旧の踊り子を演じています。
私の個人的嗜好から言うと、とても有名だけれど小柄なジュディ・ガーランドより、無名に近いが背が高くダンサー向きのアン・ミラーの方が、数段ダンスもうまくより魅力的な踊り子だと感じました。特に、アン・ミラーがフレッド・アステアとのペアダンスから一本立ちして、ソロで大劇場の舞台で踊り歌うシーンは圧巻です。添付した写真は、その舞台で快活に”Shaking the blues away”を歌い踊るアン・ミラーです。そして、以下にその歌詞を掲載します。
♪南の国の迷信だけど 悩み事は振り落とせる 人はそう信じてる 復活を信じるなら 心配事も振り落とせる みんなそう信じてる 暗い気分は振り払え 悩み事を振り払るのは簡単 頑固な憂うつでも 振り落とせば消える ブードウー教の踊りのように 体をゆすれば幸運が訪れる 気苦労も追い出せる 暗い気分がいやなら振り払うのよ♪
この歌が終わってから、アン・ミラーは素晴らしい脚線美を見せながらリズミカルにタップダンスを披露します。添付した写真は、残念ながら彼女の上半身だけです。だから、興味のある方はこの映画を是非鑑賞して、私のこの話に納得して下さい。そして、アン・ミラーの言葉”復活を信じるなら 心配事も振り落とせる”に、私は強く元気付けられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『イースター・パレード』ダンス巨匠フレッドアステアはバニーを抱えステッキを巧みに操り軽やかに踊る

2010-11-25 22:05:44 | 日記
今日の日記が、”超”久しぶりにお茶の間鑑賞した映画『イースター・パレード』(1948年製作 チャールズ・ウォルターズ監督 ジュディ・ガーランド フレッド・アステア ピーター・ローフォード アン・ミラー主演)のことです。
私は、23日付の日記『映画「パリの恋人」新しいものと”古いもの”が同居と酷評されたフレッド・アステアは自身卑下する必要なし』で、ダンスの巨匠フレッド・アステアのとても余人に真似のできない珠玉の名人芸を紹介しました。
また、某ネット劇場客掲示板には、久しぶりに私に関する投稿がありました。以下に、その投稿を引用・掲載します。
・投稿客A『おじさん!おじさんの老体の力で悪行客を叩き斬ってみてください!今こそ怒りのショボい鉄槌を振り降ろす時です!おじさんは強くない人です!』
・投稿客B『もう過去の人』
この投稿客Aは、別の投稿客の書き込みを転用し悪しき改竄までして、今は何も出来ず無力になった私を茶化しています。そして、投稿客Bは、劇場への復活はできず、もう「過去の人」になったと、勝手に断定しています。この投稿客Bは、往年のアメリカミュージカル映画の大スター、フレッド・アステアが成し遂げたカンバック劇を御存知ないと見えます。
だから私は、彼の代表作の一つであり、当時もう過去の人と言われながら2年後に、見事復活した映画『イースター・パレード』を突然観たくなって、今自宅でDVDビデオ鑑賞しています。
この映画は、1910年代のアメリカでイースター(復活祭)に絡ませて、有名な劇場ダンサー(フレッド・アステア)をめぐって、ペアダンスを組む新しい女性パートナー(ジュディ・ガーランド)、旧パートナー(アン・ミラー)が繰り広げる華麗なダンスミュージカル恋愛劇です。
この映画では、フレッド・アステアは神懸り的な技で、巧みなダンスを披露しています。添付した写真は、楽器店でステッキを巧みに操りながら軽やかに踊るフレッド・アステアです。そして、彼の手にはイースター(復活祭)に付き物の「イースター・バニー」が握られています。私は同じことを再び繰り返しますが、「良いものは、古くなってもいつまでも”良いもの”」なのです。
だから、『怒りのショボい鉄槌を振り降ろす時』と書込した投稿客Aと『もう過去の人』と言った投稿客Bに、過去の古いものが見事に復活したミュージカル映画の傑作『イースター・パレード』を是非観てほしいと、今私は思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソフィアローレンはオードリーヘップバーンへの弔辞で「彼女は何百万という人々の人生を豊かにしてくれた」

2010-11-24 22:01:17 | 日記
今日の日記は、今読んでいる『エレガントな女性になる方法 オードリー・ヘップバーンの秘密』(メリッサ・ヘルスターン著 池田真紀子訳 2005年集英社刊)と『オードリーの愛と真実』(イアン・ウッドワード著・坂口玲子訳1993年日本文芸社刊)のことです。添付した写真は、『オードリーの愛と真実』(イアン・ウッドワード著・坂口玲子訳1993年日本文芸社刊)の表紙です。
そして昨日の続編になりますが、その両方の著書に、私の大好きなソフィア・ローレンに触れる記述がありました。私がとても興味深く感じたその一節を、以下にその著書から引用掲載します。まずは『エレガントな女性になる方法』より
『<six・Friendship 友情ー生涯続く友情を育むには>人の意見を聞くこと:イタリアのグラマーな女優ソフィア・ローレンは、オードリーの親しい友人でした。世界でもっともすばらしい映画スターが二人、キッチンでいつものパスタを食べながらおしゃべりに花を咲かせているところを想像してみてください。旅行、夫のこと、不妊、流産。オードリー自身はめったに他人の助言を仰ぎませんでしたが、相談を持ちかけられれば進んでアドバイスを授けました。オードリーの思いやりと真心にあふれた態度こそ、相手が望んでいたものだったということも珍しくありませんでした。オードリーはよく知っていたのですーパスタの有無にかかわらず、気のおけない友人との楽しいおしゃべりほど心を慰めてくれるものは他にないということを。』
この著書を読むまで、私は二人が親友だったことは知りませんでした。お互いの容姿はまるで逆な二人でしたが、スターとして置かれた境遇はとても似通っていたから、お互い親しい友人になれたのでしょう。
そして、『オードリーの愛と真実』では、1993年1月スイス・ローザンヌ近郊のトロシュナ村のレマン湖のほとり”ラ・ペザベル”で最後の日々を送ったオードリー・ヘップバーンを次のように記述しています。
『彼女は息子たちに夢中になり、弱々しい腕に彼らを抱きしめた。一日一日がゆっくりと、静かに過ぎていった。・・飢えに苦しむ子供たちを助けるという夢はもう果たせないけれど、あきらめるわ、と彼女はロブ(私注:彼女の夫)に言った。でも、ソフィア・ローレンやロジャー・ムーアやグレゴリー・ペックが、後を続けてくれることを彼女は知っていた。・・一月二十日、苦しみのない平和な眠りについた。・・村の郵便局には何百という弔電が寄せられた。・・そして、ソフィア・ローレンは「彼女は何百万という人々の人生を豊かにしてくれた」と述べた。』
ソフィア・ローレンの弔辞は、オードリー・ヘップバーンの映画での大きな功績を称えています。この言葉は、お互いの気持ちがよく判った親友だからこそ言える心温まる名言です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする