天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

後藤田正晴著『情と理』死刑制度がある以上行政の長官である法務大臣が執行命令に判を捺さないのはおかしい

2010-11-18 22:22:04 | 日記
今日の日記は、後藤田正晴著『情と理・後藤田正晴回顧録』(1998年講談社刊)で書かれた死刑制度の問題に触れ1992年に法務大臣を拝命した後藤田正晴氏の主張見解のことです。添付した写真は、その後藤田正晴氏です。その著書から、私が強く共感した後藤田氏の存念・覚悟を、以下に一部転載します。
『官邸の中で新閣僚の記者会見が必ずあるんですね。その時いきなり聞かれたのが、今死刑の判決を受けて執行していない人が五十数名(私注:1992年当時)たまっているというんだけれど、これについてはどう思いますか?あなたは執行命令を決裁しますか?という話があった。そこで僕は言下に、現在制度として死刑があって、何百人という人の目を通して、これは間違いないということで死刑の判決は最終確定しているはずだ、現在の法律では少なくとも六ヶ月以内に法務大臣はそれを執行しなければならないことになっている、それを考えた場合、これを決裁しないというわけにはいかない、それは必ず決裁するよ、と言った。それはなぜですか?と言うから、法律の意義というものはそういうものだよ、といったようなやりとりがあったんです。・・少なくとも今死刑制度がある以上、裁判官だって現行制度をきちんと守って判決をしなければならないと思って、敢えて判決をしているわけですね。それを行政の長官である法務大臣が、執行命令に判を捺さないということがあり得るのか。それはおかしいというのが僕の考え方です。・・いきなり執行命令書にどうぞご決裁を願います、というのとは違うんだ。その書面に判を捺さなければならない法務省内の幹部全員を大臣の部屋の会議席に並ばせるんだ。そこで調べた人が全部報告するんですよ。その前で全員が判を捺す。つまり法務大臣一人に判を捺させるということはしないんだな。そこは非常に、法務大臣の重荷を、事務当局としてはできるだけ軽くしようと配慮している。・・そう軽々に、私は執行命令に判を捺したつもりはありません。これをやらなければ法秩序が死んでしまうということです。改めるならば制度論でする、ということです。』
1992年に法務大臣になった後藤田氏は、長い間執行されておらず五十数名にもなった死刑囚を減らす為、勇気を持って死刑執行を復活させました。しかし、その後は再び死刑執行待ちの死刑囚が増大し続けれて、今では百名を越えてしまいました。これは、とても異常な事態です。後藤田氏が語ったように、日本の法秩序が死んでしまう重大な事態です。
だから、辞任が避けられなくなった柳田法相の次に任命される法務大臣には、この異常な事態を直視し、執行を待つ死刑囚の速やかな低減を、私は是非御願いしたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする