天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

塩野七生著『ローマ人の物語キリストの勝利』四世紀末ローマ人の徳・寛容精神も芸術傑作と共に破壊捨てらる

2010-11-07 12:09:21 | 日記
今日の日記は、今愛読している塩野七生著『ローマ人の物語・キリストの勝利「下」40巻』(新潮文庫版2010年刊)のことです。添付した写真は、その著書表紙です。
私は塩野七生著『ローマ人の物語』文庫版シリーズの全てを読んでいますが、9月に出版された最新版を読んで、とても感銘した記述がありました。以下に、その『キリストの勝利「下」40巻』から一部を引用・掲載します。
『ローマはギリシアを軍事力で、征服し、属州にした。ギリシアの文化文明の素晴らしさは心から認め、自分から進んで、「ローマはギリシアを征服したが、文化ではギリシアに征服された」(Graecia capta ferum victorem cepit)などと言ったりしていたくらいである。・・ローマ時代の(ギリシア時代の)模作が模作の域を越えるほどに素晴らしいのも、ローマ人のギリシア文化への愛と、得意とする人にはたとえその人が敗者であろうと任せるという、ローマ人に一貫した寛容の精神による。・・しかし、・・四世紀末、同じローマ人が今度は、かつては大切にし大金を払って購入した傑作の数々を、破壊し河に投げ込むように変わったのだ。寛容とは、辞書には、心が広くおおらかにで、他の人の考えも受け容れる、とある。ローマ人が徳の一つとさえ考えていた「寛容」(clementia)の精神も、芸術作品の傑作とともに、破壊され捨てられ河に投げ込まれたのである。・・
以前から私には、疑問が一つある。それは、これらの一千年の眠りの後に発掘された傑作の中に、どう考えてもあまりにも完全な形で遺っているものが存在するのを見たときに、頭をもたげてきた想いだった。・・打ち捨てられたままで一千年が過ぎたとはとても思えない、各部を接続するだけで充分な程度に保存状態の良い作品も、多くはないにしても存在するのである。・・邪教の象徴でありアウトローになった神像は、皇帝が命ずるとおりに廃棄しなければならない。違反すれば、資産没収と死罪に処される。と言って、この見事な傑作を、壊したり河に投げ込むのは忍びない。となれば、自分の屋敷の庭に深い穴を掘り、布地に包んだ像をそのままか、・・上部は何もないように隠してしまう。いつの日か、今は吹きまくっている狂信の嵐も過ぎ去り、この傑作の価値をわかる人の手に渡る時代が来ることを夢見ながら。』
この名著を読んで、私は深く感銘しました。私の現在置かれている境遇が、四世紀末ローマ帝国に一神教のキリスト教が、多神教であったギリシア・ローマの神々に勝利した歴史的出来事にとても良く似ていると想ったからです。
邪教的な信念を持つ私は、独善的な教義を持つ劇場応援親衛隊らの排除行為に完全に敗北しました。そして、私の応援信念を理解する劇場世界での同調者も、今はまったく皆無の状態です。
しかし、ローマ・ギリシア文化が完全に排除された四世紀末から一千年が過ぎた時、その近世イタリアで『ルネサンス』(ローマ・ギリシア古典古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命)が起きています。今は独善的教義応援者から完全に排除された私のかつて行なってきた応援信念にも、この『ルネサンス』のように復興のときが訪れるかもしれません。何時になるか?私にはまるで分からないですが、私が生ある限りその日を期待しつつ、日々の出来事に関して、私の忌憚なき思いを自分の日記ブログで綴っていく所存です。
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