天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

自衛隊を暴力装置と言った仙谷官房長官と違い村山元総理は後藤田氏にいまさら理屈を言うて始まる時代ですか

2010-11-21 21:50:57 | 日記
今日の続編日記は、国会の審議で自衛隊を「暴力装置」と表現した仙谷由人官房長官のことです。
この問題発言した仙谷官房長官は、19日の記者会見で「批判を甘んじて受け止める。我々が慣れ親しんできた時代とちょっと言葉のイメージが違う。こういうポジション(官房長官)に就いているので、思いを致すべきだった」と陳謝しています。添付した写真は、19日午後、参院予算委員会で答弁に臨んだ仙谷由人官房長官です。そして、右下は菅直人首相です。
政府中枢にいながら、この50年前の政治姿勢(我々が慣れ親しんできた時代とちょっと言葉のイメージが違う)をいまだに抱いている仙谷官房長官に、私は大いに失望しています。
このまるで政治音痴の仙谷官房長官には、同じ選挙区(旧徳島県全県区)の代議士だった後藤田正晴氏の著書『情と理・後藤田正晴回顧録』(1998年講談社刊)を柳田法務大臣と同様熟読してほしいです。この著書で後藤田氏が、仙谷官房長官の国会議員の出発(1990年衆議院議員初当選)の所属政党だった日本社会党の党首・村山富市氏のことを語っているからです。以下にその記述を引用掲載します。
『村山さんは非常に誠実一路の人ですよね、人柄としては本当に文句の付けようのない人です。・・僕は、「村山さん、あなたが(総理を)お引き受けになるのがよかろうけれども、一体、あんたは憲法問題をどう考えるんですか?同時に、自衛隊というものの存在をどうお考えになるんですか?あなたは自衛隊の大将になるんですよ」という、要するに過去四十年、社会党の皆さん方が言い続けていた一番痛いところを村山さんに確かめたんです。その時の返答は今でも覚えているんです。「後藤田さんね、いまさら理屈を言うて始まる時代ですか?始まらんじゃないですか」と言うから、判ったよ、それならあなた総理をやりなさいと僕は言ったんです。』
この二人はもう故人となられていますが、1994年当時の有力政治家二人のほうが、菅内閣の仙谷官房長官より、もっと現実的で柔軟な政治思想を持っておられました。自身の深層心理ではいまだに理屈を言うている政府首脳がいる現内閣は、村山社会党首が首班指名された内閣より政治センスが完全に欠如したまったく危険な政府です。もう政権交代しか日本を救う道はないと私は思っています。
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新聞記事「ガリレオはゆっくり、着実に教会も動かす」とは逆に、私の劇場世界への復権はまったく期待不可能

2010-11-21 09:43:06 | 日記
今日の日記は、19日(金)読売新聞夕刊・ちきゅう 時の散歩『ガリレオ・ガリレイinピサ:全知傾け物理を探究』で取り上げられたガリレオ・ガリレイのことです。添付した写真は、去年9月私も訪れたピサ斜塔と聖堂(新聞掲載の一部)です。
以下に、この記事で印象に残っている記述を一部抜粋掲載します。
『・・先鋭的な科学研究は天動説を堅持するカトリック教会の怒りを買った。二度の宗教裁判の末、有罪判決を言い渡され、ガリレオは自説の「異端」を公言、屈服した。教会が公式謝罪したのは1992年のことだ。・・地球を動かした「天文学の父」は、ゆっくりではあるが着実に、教会も動かしている。』
この紀行文を読んで、私が書いた2009年8月26日付日記『異端審問に屈したガリレオ・ガリレイは360年の歳月を経て、現ローマ教皇にその非を認めさせた』を思い出しました。尚、その教皇は、もう逝去されており、私の記述は「前」教皇の間違いでした。
そして、そんな私の瑣末な間違いだけを糾弾したこの劇場社会独善的応援客の悪行は、さらにもっと悪化しています。「ゆっくりではあるが着実に、教会も動かしている」と言及した読売新聞記事とは、まったく逆の方向に進んでいます。
以下に、その私の日記書込の一部を引用・掲載します。
『17世紀初頭、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイがコペルニクスの地動説を支持、地球が太陽の周りを回ると人々に教えたとして、1633年ローマ教会の異端審問所は、彼に自著出版禁止と無期限拘束の有罪宣告を下しました。唱えた自説を異端と認めなければ、さらに拷問を行なうと脅迫されて、彼はその自説を撤回して過ちを認め、異端(地動説)を放棄しました。・・・人間はとても弱い生き物です。ガリレオ・ガリレイほどの偉人でも自らの信念を捨て、時の権力に屈したのです。だれも、彼を非難できないです。そんな彼の苦渋の姿を私は思い浮かべ、今ガリレオの行動を今回の追放劇で私が取った行動・信念の放棄に対して拠所・大きな励みにしています。でも、ガリレオの場合の偏屈な宗教心による異端審問官と違い、私の追放首謀者はその世界で楽しみを享受し、その恩恵を被っている人間でありながら、外の一般世界が持つその世界に対する蔑んだ倫理観を是として、その世界の素晴らしい価値をまったく認め無い、卑劣でまったく矛盾した論理を持った悪行客です。だから、その悪行客はその追放手段として、外の一般世界が持つその世界に対する倫理観を卑劣に悪用し、私をその世界から追放できたのです。現(私注:「前」の誤植)ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は10年の歳月かけてガリレオ裁判の見直し検討を行い、1992年10月に教会の非を認め、「聖書の権威が、明確で確実な推論と対立するような場合には聖書の解釈が正しくない」という決定を下しました。異端とされたガリレオの復権には360年近く歳月がかかりました。でも、私はその世界への復権はまったく期待できないでしょう。』
この私の投稿から、現在15か月近く経っています。しかし、逆に私を取り巻く環境はさらに悪化しています。私が関係した劇場社会から私を理不尽に追放した首謀者は、私が定義した通り『その世界で楽しみを享受し、その恩恵を被っている人間でありながら、外の一般世界が持つその世界に対する蔑んだ倫理観を是として、その世界の素晴らしい価値をまったく認め無い、卑劣でまったく矛盾した論理を持った悪行客』です。この追放首謀者は、独善的応援を行なう劇場演技者女性のブログを私だけ閲覧不能にしています。追放劇は第二幕になりました。私が去年言及した「その世界への復権はまったく期待できない」は、より強固で完全なものとなりました。
さらに、この劇場社会は、現民主党政権と同じでまったく自浄能力が欠如した悲しい閉鎖社会と私は得心しました。
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