天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

耳かき店員殺害事件で無期懲役判決の際、天を仰ぐパフォーマンスをした検察官は公平冷静な裁判担う資質無し

2010-11-02 22:25:36 | 日記
今日の日記は、東京地検がある裁判での求刑を慎重に勘案せず、裁判での自らの甘さを露呈させたある検察官の行動です。昨日、耳かき店員ら殺害事件の元会社員林貢二被告の裁判員裁判で、東京地裁が無期懲役の判決を言い渡した際、ある男性検察官一人は天を仰いだそうです。
この検察官は、死刑判決が当然と思っていたから、このような自らの無念さを表現した行動を、公の裁判所判決の場で率直に表したのでしょう。添付した写真は、耳かき店員らが殺害された事件の裁判のため東京地裁に入る検察官ら=1日午後、東京都千代田区(中鉢久美子撮影:産経ネットニュースより)です。そして、この中にその行動をした検察官がいます。
この事件は、検察内部でも死刑と無期懲役のどちらでもなりうると、事前に斟酌したそうです。それでも、検察の求刑は死刑になりました。何故もっと深く検討しなかったのか?私はとても残念です。
現在の日本では死刑判決が出ても、速やかなその執行がなされず、刑務所に待機待ちの100人以上の死刑囚がいます。この現状は法体系的にとても猶予すべき事態だと、私は思っています。安易な死刑判決が、この現状を生んだかも知れません。だから、人の生命を奪う究極の刑罰である死刑を選択するには、深く斟酌・熟慮の上の決断でなくてはならないのです。そして、この決断をしたからには、躊躇なく速やかにその執行をなすべきです。そうでなくては、死刑が存在する意味がまったくなくなります。
今回の事件担当検察官は、この現状をまったく理解せず、複数殺人は死刑だとの古い先入観を抱き、その求刑判断を間違ったと私は思っています。さらに、その裁判が無慈悲な行為であると訴えるが如くのパフォーマンスを公の場で見せるこの検察官には、公平で冷静な裁判を担う資質はまったくないと、私は強く思っています。
だから、今回の裁判での教訓を生かし、今後の裁判で死刑を求刑する際、私は検察の良き事例指針としてほしいです。
コメント
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