天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

人がよいと語った石井一氏はその土地に共通した人間の匂いを感じない政治家、司馬氏著「街道をゆく」熟読を

2010-02-26 23:06:00 | 日記
今日の日記はは、自らの発言の弁明で『鳥取のカニも好きだし風光明媚でもある。だいたい人がよい。』と語った民主党・石井一選挙対策委員長(参院議員)のことです。石井一氏は、鳥取県にかって実際に住んでみてその体験談から、そのような自然的風土や県民意識の自己見解を披露したとは、私にはとても思えません。鳥取県は自然が風光明媚だけのその美しさが目立つ場所ではなく、古代出雲王朝以来の伝統的な文化施設のあるとても魅力的な街です。そして、彼は鳥取の県人意識を何も知らないのに、自己への批判の矛先を旨くかわす為、とっさに鳥取県人を「人がよい」と単純に美化した見解を述べています。さらに、彼は実際、鳥取に住んでいる人々の忌憚のない郷土話をまったく知りません。その鳥取の県民性がよく判る司馬遼太郎さんの名著『街道をゆく(27)因幡・伯耆のみち』の「伯耆国倉吉」から、鳥取県人の対抗意識を巧みに語った名文を長文になりますが、私は一部抜粋して掲載します。
『倉吉へゆく。この町は、同じ鳥取県ながら、伯耆の国に位置している。伯耆のかっての主邑である。それだけに、江戸期を思わせる古風な家や蔵が残っている。大正以後、伯耆における繁華は米子に移った。伯耆の人気(じんき)は、因幡とは別趣のものらしい。倉吉でも米子でも、「鳥取の人間はずるい」などという言葉をしばしば聴く。「伯耆も鳥取じゃありませんか」などと、愚問を返してはいけない。この場合の鳥取とは、因幡のことである。・・「伯耆と因幡は、そんなに違いますか」と聞いてみた。米子の酒場でのことである。たすき掛けのよく似合うママが首を振って、「それは、ずいぶん違いますよ」顔をしかめた。ただし具体的にどうとは言わない。言ったところで他国の者には判らないだろうとみているのだろう。・・江戸期、藩主池田氏は両国を版図としつつも、因幡の鳥取市を治所とし、伯耆には老臣たちを置いて、鳥取城からみれば間接支配した。いわば、農業が商工業を支配していたのである。・・鳥取県は、人口が日本最小の県である。雑賀氏(私注:「週刊朝日」に連載執筆中の司馬さんに、ある逸話書籍を寄贈された地元郷土史家)によれば、そういう小さな県内で「因幡だ伯耆だと目くじら立てることの愚かしさ」と自らを責めておられるが、しかしそういう感情を持ちぞこねた私としては、郷党意識がかえって新鮮なおかしみに感じられる。第三者がその土地にやってくると、土地に共通した人間のにおいを感じる。においだけでは、その土地の文化とは言いがたいが、においが愛嬌として感じられる場合に、そのにおいのもとこそその土地の文化であるに違いない。・・「鳥取人間」などと罵るのは、他府県に対して無害で、逆にユーモアでもある。言われて「鳥取人間」だけはむっとするかもしれないが、しかし双方、同じ鳥取県人である以上、さらに利害の問題に発展する主題でないから、最後は微苦笑で終わるに違いない。私が右に用いた「文化」とはそういうものである。』
「鳥取は人がよい」とただ単純に語った石井一氏は、その土地に共通した人間のにおいをまったく感じない政治家です。だから、この行為をできない石井一氏は、政治家として完全に失格者です。だから、私は石井一氏に司馬さんの名著『街道をゆく(27)因幡・伯耆のみち』を熟読されることをお勧めします。読んでその郷土のにおいを、敏感に嗅ぎ取ってほしいです。
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