天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

ネット板反論21:TY嬢が当っていないのに『当った!』と言ったのは首魁応援リボン拒否の強い意志発現

2010-02-12 23:05:15 | 日記
今日の日記は、ネット掲示板に投稿された書き込みに対して、私が衷心より反論と自身の所感21(TY嬢が当っていないのに『当った!』と言ったのは首魁応援リボン拒否の強い意志発現編)を述べます。以下に、その投稿を掲載します。
・客A『首魁は○のリボンシールカード差し入れ周年記念品作成ブログ管理(開設、カスタマイズ、アドバイス、動画コンテンツ更新)担当だよ。表に出るとおじさんがあることないこと掲示板に書いて○に迷惑かけるから内緒にしてるだけ。リボンの件も、○は首魁に注意すべきことは注意できる仲であり、それくらいで関係が壊れたりしないと信頼している証拠。首魁のほうもリボンの失敗で落ち込んだのは○を大切にしている証拠。一方、おじさんは踊り子との信頼関係がない。踊り子の失敗をとがめたてたら簡単に切られただろ。おじさんは踊り子の危険をかえりみず足元にペットボトルを投げ込むし、踊り子が何か意見を言ったら踊り子失格と決め付ける。首魁と○の関係とはずいぶん違うよな。』
・客B『オヤジのベクトルの説明だと首魁との合成も可能だろう。』
・客C『今度はベクトルを比喩的に用いることは許されないという部分がスルーされてしまいました。』
(1).客Aが悪行親衛隊首魁かどうか私には判らない。しかし客Aは、事実を捻じ曲げて「首魁はリボンの失敗で落ち込んだ」と間違った記述をしています。首魁は何らリボン投げを失敗しておらず、首魁自身はTY嬢に投げたリボンを当てていないです。何故なら、その事件が起きた某劇場はとても小さな劇場で、舞台や盆の劇場演技者女性に投げたリボンがその女性に当れば、近くにいる観客にその傷害状況がはっきりとすぐに判るからです。私はそのような光景をまったく目撃していません。その日のTY嬢の舞台は、何も変わったこともなく無事に終了していました。
(2).逆に、事件発生の約二週間前、この某劇場ではなく埼玉県内某劇場で、首魁がTY嬢に『リボンを当てて御免よ!』に謝罪している光景を、私は近くで目撃していました。その首魁の言葉に、TY嬢は『そうなの?気が付かなった!』と答えていました。このように首魁は、自分の投げたリボンにとても神経を使っています。だから、2009年3月22日に、首魁がリボンを実際TY嬢に当てていたら、彼女が首魁に苦情を言う前に、首魁自らがすぐ気付きTY嬢に陳謝したはずです。逆に、首魁はTY嬢に当てていないから、まったくその必要がなかったのです。
(3).実際は当っていないリボンを何故TY嬢が『当った!』と首魁に言ったのか?それは「もうあなたの応援リボンを受けたくない」とのTY嬢のリボン応援拒否の強い意志の発現だったと私は思っています。それほど、TY嬢は首魁を嫌っていたと私は思っています。
(4).客Aは「ペットボトルを足元に投げ込むことが、踊り子に危険」と決め付けていますが、私はその行動でOR嬢から『飲物を投げてはだめ!』とは言われても、一度も『危ないから止めて!』と言われていません。その当時、私は何ら危険な行動をOR嬢にしていません。だから、OR嬢はそんなことを言う必要はなかったです。
(5).客Bは「首魁との合成も可能」と言っていますが、ベクトル合成(各ベクトルの和)は、少なくとも二つのベクトルの向きが同じ方向を向いていなければ、平行四辺形の面積で表すベクトルの合成(和)になりません。私と首魁はその方向は両極端で180度も違います。だから、そのベクトル合成はその力の大小の差だけしかありません。合成というより、その力の大小による両方の勝ち負けの世界です。だから、私は『首魁応援ベクトルは私の応援ベクトルとはまったく正反対でそのベクトル合成は不可能』と昨日の日記で述べたのです。
(6).私は「ベクトルを比喩的に用いることは許されない」を何もスルーしていません。今でも、討論の場で、純粋に数学的数値の現象を表す用語「ベクトル」を比喩的に用いることは良いことと思っていません。ベクトルを比喩的に用いることで間違った討論になる例として、だから私は『首魁応援ベクトルは私の応援ベクトルとはまったく正反対でそのベクトル合成は不可能』とベクトル表現の問題を提起したのです。
コメント
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