天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

ネット板所感17グリーンデスティニーのイェンはTY嬢で天女麻姑の様に私の思いを麻姑掻痒に果す期待感

2010-02-09 22:05:28 | 日記
今日の日記は、ネット掲示板に投稿された書き込みに対して、私が衷心より反論と自身の所感17(映画『グリーン・デスティニー』のイェンはTY嬢で、天女『麻姑』のように劇場社会で私の思いを「麻姑掻痒」的に果たしてくれそうな大いなる期待感を持つ編)を述べます。以下に、その投稿を掲載します。
・客A『おじさん!!今日は「グリーン・デスティニー」ですか!!イェンとローをご自身と○○さんにかけたんですね!!ですが、その続きは確か・・・、イェンは身投げをして終りですよね? まあ解釈はいろいろありますが、おじさんはご自身のために○○さんに身投げをしてほしいのですか?映画のほうはいいのですが、おじさんの場合は「異常愛」ですね!!』
この客Aは「イェンは身投げをして終りで、○○さんに身投げをしてほしいのか?」と解釈していますが、私の思いはまったく違い、もっと「ハッピーな愛」です。
絶壁を前にしたイェンとローがいた辺境の地は、中国武術・武当拳を鍛錬する道教の聖地『武当山(ウータンシャン)』です。ここの険しい山や峰、霧深い谷は、昔から道士(道教の修行者)たちの有名な修行の場です。そして、その教義の根本である「道(どう・タオ)」とは、「人や物が通るべきところで、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的規範、美や真の根元」を広く意味する言葉です。だから、武当拳を究極まで鍛錬したイェンは、さらなる美や真の根元を深く自覚した仙女の境地を追求し『あの伝説を覚えている 祈って!ロー』と叫んで、この武当山の絶壁から自ら跳んでみせたのです。
空中に飛翔したそのイェンの姿は、私にはまるで中国の若く美しい天女『麻姑(まこ)』に見えました。だから、イェンは身投げしその肉体が滅んだのではなく、不老不死の天女『麻姑』に昇天・転生したのです。この天女『麻姑』は「孫の手」の語源となった、掻いてもらったらとても気持ち良さそうに見える美しい鳥のように長い爪を持っています。
「このイェンをTY嬢にかけた」と客Aがネット板で言及した通り、その美しい天女『麻姑』のようなイェンを映画で接して、私はイェンが同じように美しく長いネイルを持ったTY嬢そのものだと、瞬時に得心しました。
そして、映画を見終って天女『麻姑』と同質のTY嬢は、その劇場社会の悪しき所業を私のような部外者からの「隔靴掻痒」の処置対応でなく、直接患部の除去である「麻姑掻痒」的な処置対応をしてくれそうな気が、私にはしてきました。
だから、発揮される劇場での自浄力の第一歩は、天女『麻姑』のような一人の若く美しい女性の勇気ある行動から始まるように私には思えます。
コメント
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