天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

ネット板所感18(論理学「逆・裏は必ずしも真ならず・必要十分条件」をまったく理解できない投稿客編)

2010-02-10 22:52:39 | 日記
今日の日記は、ネット掲示板に投稿された書き込みに対して、私が衷心より反論と自身の所感18(論理学上の『逆・裏は必ずしも真ならず』『必要十分条件』をまったく理解できない投稿客編)を述べます。以下に、その投稿と私の関連日記文を掲載します。
・私コメント『劇場演技者は自分の舞台を離れたら、素知らぬ態度をする人が多い中、TY嬢はとても礼儀正しい女性でした。』
・客A『舞台を離れたら素知らぬ態度をとる踊り子は「礼儀正しくない」ことになりますよ。おじさんはそういいたいのですか?おじさん、お互い言葉には気をつけましょうね。』
・客B『・・あんなキ印愚ログ、読んでるのはアンチオヤジの劇場客とオヤジの行動監視を担当する会社の人間だけだろう・・』
・客C『「俺のアンチはこんなにいるのか!」と戦慄するべきなのに。』
・客D『アンチ+会社人事=200人程度か。妥当なとこじゃないのかな。』
・客E『200人前後なら一部特定の人間の範疇では…。確固たる証拠って程のものでもない。』
これら投稿者(客A・B・C・D・E)の論理で、お互いに共通する顕著な特徴があります。それは、論理学上の『逆・裏は必ずしも真ならず・必要十分条件』をまったく理解できない自己中心的で拡大解釈的な主張を繰り広げている悪しき主張です。以下に、私は詳細にその説明をします。
命題「犬は、動物である」という論理文があった時、命題「動物は、犬である」という論理文が、論理上の『逆』です。 つまり、『逆』とは、前の言葉と後ろの言葉を逆にして結論に導く論理です。この『逆』は、とても判りやすい表現です。
そして、命題「犬でなければ、動物でない」という風に、前の言葉と後ろの言葉を否定した論理の場合、これを『裏』と言います。 『逆』に比べると、とても分かりづらい表現でもあります。
でも、論理学上では、「この『逆・裏』すべての論理が、必ずしも真ならず」なのです。
(1).客Aはその自己の間違いに気づかず「お互い言葉には気をつけましょうね」と私に忠告しています。私は『裏』表現「素知らぬ態度をする人を礼儀正しくない」とまでは、何も言ってません。客Aは『不良投稿者の顕著な10項目の特徴』Ⅱ.(勝手な拡大解釈)相手の主張の些細な部分を拡大解釈したり、捏造したりして、相手の主張を勝手に結論を出す。)の悪しき性質をネット板で如実に露呈しています。
(2).客Bの主張「キ印愚ログ閲覧者はアンチオヤジ劇場客+オヤジの行動監視を担当する会社人間」の『逆』論理である「アンチオヤジ劇場客+オヤジの行動監視を担当する会社人間はキ印愚ログ閲覧者」を客C・D・Eらは正しいと思っているので、こんな狂った論理(アンチ+会社人事=200人程度)の間違いにまったく気づかず、平然とネット板で主張しています。これら投稿客も『不良投稿者の顕著な10項目の特徴』Ⅱ.(勝手な拡大解釈)相手の主張の些細な部分を拡大解釈したり、捏造したりして、相手の主張を勝手に結論を出す。)の悪しき性質をネット板で如実に露呈しています。
(3).これら客A・B・C・D・Eらの論理的欠陥は、以前常連応援客らの劇場演技者女性の周年イベント企画愚行での、私と悪行親衛隊首魁のネット板討論の際も、出現した顕著な現象でした。だから、これら投稿者は、すべて悪行親衛隊首魁の所業かもしれません。
(4).この時、私は『逆・裏は必ずしも真ならず』論理の主張ではなく、このような逆の論理が正しい時は、必ずある命題が「必要十分条件」の関係にある必要があると首魁に主張しました。「逆も必ず真である」つまり「P⇒Q」が真であり「Q⇒P」も真である為には、必ずPとQ は同値(必要十分条件)である必要がある論理学的な条件です。日常生活では、このように「逆も必ず真である」ような論理的結論で、安直に誤謬をする人が多々おります。
(5).私がネット板での長く不毛な討論を続けてしまった原因は、これら悪行親衛隊首魁らに代表される『不良投稿者の顕著な10項目の特徴』Ⅱ.(勝手な拡大解釈)相手の主張の些細な部分を拡大解釈したり、捏造したりして、相手の主張を勝手に結論を出す。)の主要な要因の為せる技でありました。
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